第31話 消えたアルベール

 自室のソファーに一人座り、ディアンは顔を手で覆いため息をつく。


「何をやっているのだ、俺は……」


 アルベールの美しさに頬を火照らせ狼狽える若者の姿は、ディアンに冷静さを失わせた。


 手を握らせてなるものかと。


 頭にカッと血が上り、威圧するような態度を取ってしまった。アルベールのことだ。なんらかの意図があっての行動だと、わかっていたのに。


 自我を抑えられなかった自分が情けなく、アルベールに顔を向けられなかったのだが……。


「俺を守ってやる……か」


 その言葉に込められた、アルベールの想いを噛み締める。


 彼は以前、こう言っていた。


『自分が守るのは、特別な人間だけだ』と。


(俺はアルベールにとって、特別な人間──)


 そのことが、ディアンを甘酸っぱいような、こそばゆいような、幸せな気持ちにさせてくれる。


 正直なところ、自分は初心うぶではない。恋の駆け引きを楽しむこともあった。なのに……この初恋のような感情。


 アルベールが絡むと余裕がなくなり、平静でいられなくなる。アルベールはどうなのだろう。初めて彼にキスをしたとき、不慣れさを感じたが、それは男の自分が相手だったからかもしれない。


 それとも、相手を昂ぶらせるための演技だった?


 だとしたら――魅惑の小悪魔。


 そんな言葉が浮かんでくる。


 そう思いながらも、色事がはじめてであってほしいと身勝手なことを願ってしまう。


(早くアルベールを抱きたいのだがな……)


 情事でのアルベールは、どんな姿を見せてくれるのだろう。妖艶ようえんな姿か、それとも少女のような恥じらう姿か。


 可愛がって、鳴かせたい。アルベールの身体に、あんなことやこんなこと……想像しただけで、下肢に熱が集まってくる。


 だというのに……。


 ディアンは毎夜、拷問に耐えていた。

 同じベッドで寝ているのだが、アルベールは身持ちが堅く許しがでないのだ。


 ならば強引に迫ればいい。


 そう思うところだが、あろうことかアルベールは、二人の間に『防波堤だ』と言ってマルクスを寝かせているのだ。


 ベッド自体は広く大きい。三人だとしても、ゆったりと横になれる。しかしそういう問題ではない。


 二人に挟まれているマルクスも気の毒だが、自分も焦らされて焦らされて……本懐を遂げたとき、果たしてアルベールの身体は無事だろうか。


 そんな不穏なことを考えてしまう自分を、なんとかいさめる。


 アルベールは勘が働く。自分の邪な願望を知られては大変だ。『最低のけだもの』とののしられ、国に帰られては目も当てられない。


「ディアン様、コーヒーをお持ちしました」


 ノックが響き、セオドアが入室してくる。

 お陰で不埒ふらちな妄想を打ち切ることができた。


「アルベールはまだ戻らないのか」


 共に自室に戻ったのだが、アルベールは「モーリスに会いにいってくる」と再び部屋を出ていってしまったのだ。


 現在モーリスは、王宮の地下牢に幽閉されたままだ。けれど、拷問などは受けていなかった。アルベールが安堵したのは言うまでもない。

 なんとか牢から出してやりたいと、これまでも数度、お忍びで会いにいっていた。


 そして数日前のこと、モーリスはダリウスから「今度こそ、二人を亡き者に」そう誓えば、ここから出してやると持ちかけられたという。


(アルベールの読みどおりだったな)


 自分たちが王宮に赴けば、ダリウスはモーリスをそそのかしに来るはずだとアルベールは言っていた。

 その際の受け答えに、何らかの策を授けたようだが、ディアンは知らされていなかった。


(危ない橋を渡るつもりでなければいいが)


 残念なことに、アルベールの思考は、ディアンには計り知れない。


「少し遅い気もしますね。様子を見て参りましょう」


 テーブルにカップを置き、セオドアは足早に部屋を出ていく。


 アルベールの側近であるマルクスは、今朝から貧民街に行っていて王宮にはいない。彼らに任せた畑を拡大するために、指導者として赴いている。二、三日は戻ってこられないのではないだろうか。


「そうか……いないのか。ならば、今夜こそ──」


 いよいよ、アルベールのすべてを手に入れるときがきた。


 そう浮かれる最中、「ディアン様、大変です!」と、セオドアがノックもせずに部屋に飛び込んできた。


「何事だ」


「地下牢にモーリスの姿はなく、牢の前に、これが」


 手に持った何かを、セオドアが差し出してくる。


「これは……フランターナ国の紋章が刻まれたボタン──」


 目にした瞬間、身体に戦慄せんりつが走る。


 このボタンは、アルベールの服についていたものだ。

 

「探しに行かねば。セオドア、おまえはダリウスの所在を確かめろ」


 アルベールの身に何かあったのだ。


 こんなことになるなら、「おまえが一緒では目立つだろう!」と嫌がられても、ついて行くべきだった。


 いても立ってもいられず、ディアンは部屋を飛び出す。


 しかし出たはいいが、探す当てもないディアンは、闇雲に王宮の外を走り回った。


「くそっ──! 落ち着け、冷静になるのだ」


 深呼吸を繰り返し、ようやく思考が回り出す。


 地下牢から連れ出すには、裏手の使用人口を使うはず。


 見当をつけたディアンは、裏口へ向かった。


 戸口の前に立ち、異変はないか目を凝らす。日は沈み薄闇の中、月明かりだけが頼りだ。


「あっちか!」


 道に沿って伸びる生け垣が、不自然に潰れていた。何かが上に倒れたような跡だ。


「ディアン様! ──こちらにおいででしたか」


 セオドアが息を切らし駆け寄って来る。動き回っていたディアンを探すために、相当走り回ったようだ。


「どうだった」


「ダリウスの姿は、どこにも」


 神妙な面持ちで、セオドアは首を左右に振る。


「やはり、あいつが絡んでいるようだな」


「ダリウスが連れ去ったということですね」


「ああ。ここを見てみろ」


 ディアンは生け垣を指差す。


「きっとアルベールだ。俺たちに知らせるためにやったのだろう」


 そのような跡が転々と続いていた。

 ディアンは導かれるように、その痕跡を辿る。


「この先には、確か小屋があったかと」


 セオドアが言うには、数年前まで庭師が住んでいた小屋があるという。


「急ごう」


 そこにアルベールが捕らわれている。


 許さない。アルベールに傷一つでも負わせた人間は、絶対に――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る