第14 明かされた身の上

 酒場の集まった城下町の通りを、一通り巡回したアルベールは、保たれている治安に安堵する。


「さて、どこで飲もうか。やはり……あそこがいいだろうな」


 知りたい情報を思案し、商人が多く集まる店へと足を向けることにした。


 商人はあちらこちらと国を行き来している。きっと、トシャーナ国の内情を知る者もいるはずだ。


「当たりだったな」


 店内を覗くと、ほどよい混み具合だった。テーブルの六割ほどを、異国の服を着た客が埋めている。


 アルベールはぶどう酒と鳥の香草焼きを頼み、店の窓際りに座った。


「よし、今夜はとことん飲んでやる」


 意気込み腰を据え飲み始めたのだが……二人の男の登場で、気勢をそがれる。


(おいおい、勘弁してくれよ)


 店内に視線を巡らせていることから、人捜しをしているのだとわかる。

 見つかりたくないアルベールは、俯き帽子を深く被り直した。


 独特の雰囲気を纏った男は、アルベールのよく知る人物だ。平民の格好をしていても、野性味が隠せていない。


(なんでこんなところにいるんだ、ディアンのやつ)


 今は顔を見たくないというのに。


 顔は伏せたまま、早く店から出ろと念じながら様子を窺う。


(なにー! ここで飲むつもりか)


 酒を注文している姿に、アルベールは脱力し肩を落とす。


(今夜はもう、切り上げるしかないか……)


 仕方なく、グラスに半分ほど残っているぶどう酒をグッと飲み干す。

 一息つき、立ち上がろうとテーブルに手をついたときだった。


「一緒に飲まないか? 綺麗なお兄さん」


 軽い口調でかけられた声に、ギクリと肩が揺れる。


「悪いな、もう帰るところだ」


 声音を変え、ぶっきらぼうに答える。


「え? まだ料理に手つかずのようだが。食べ物を粗末にするのはいただけないぞ、


 名前を強調するように耳元で言われた。


 最初から自分とわかっていたのかと、アルベールは眉根を寄せ睨みつける。


 しかし、バレているなら抗っても無駄。


「何しに来た、夜遊びか?」


 女を買いたいなら、この先に遊郭があると教えてやる。


「夜遊びなら、セオドアを撒いてくるさ」


 肩を上げおどけてみせるディアンに、後ろめたさは微塵も感じられない。


「まあいい、まだ飲み足りなかったからな。座れ」


 その代わり奢れと、ぶどう酒の追加を催促した。


「で、本当はなんの目的で来た?」


「心配だった、アルベールが。平気そうに振る舞っていたが、俺には辛そうに見えた」


「ふん、おまえも原因に一役買っているけどな……」


 ぼそりと呟いた言葉は、店内の賑わいに掻き消される。


「活気があっていいな。この町の人々は、生き生きとして見える」


「そうだな。大抵の民は、自分に合った仕事を見つけ能力を伸しているからな」


 熱意があり勤勉な者は、平民でも城での役職に就けるのだと教える。


「トシャーナ国では、難しいな。皆が王族に纏わる者か、貴族連中だ。平民は働いても働いても、税金として吸い上げられる。あれでは気力も湧かないだろう」


 自分が王となり、そこから変えていきたいのだとディアンは語る。


「なれると思うぞ。耳を澄ませてみろ」


 アルベールの言葉に、不思議そうに首を傾げるディアンだったが、次第に目を見開いていく。

 店内の至る所から、ディアンの名が聞こえてくるからだ。


 ほら、また。


「ディアン王子は寛大なお方らしいぞ。何せあのアルベール王子の我が儘を、嫌な顔ひとつせず受け止めているって話だ」


「俺も聞いたぞ。今朝、市場のオヤジが言ってたぜ。ディアン王子は、書倉庫の整理をさせられているらしいってな。怒らずに性悪王子のお守りもとは、できたお方だ」


 総じてディアンを人格者だと褒め称えていた。きっと町へ使いに出た城の使用人が、噂を流しているのだろう。


「他国の王子を、ここまで褒めているのだ。商人を介して、トシャーナ国にも伝わっているはずだ」


 これでほぼ、自国民の指示は得られているだろうと匂わせる。


「まさか……こうなると見越して、人目のある場所でディアン様にあのような横柄な態度を取ったと──?」


 セオドアが呆然とアルベールを見る。


「さあな、好きなように捉えろ」


「感服いたしました。しかし、よろしいのですか? 殿下はひどい言われようですが」


 痛ましげな眼差しを向けられ、アルベールは「ふん」とそっぽを向く。


 同情などされたくない。自分は可哀想ではないし、不本意でもないのだから。


「おまえが悪ぶるのは、ジェラルドのためだろう? 理由は、王位争いを避けるため。違うか?」


「────‼」


 ディアンの放った不意打ち発言に、ドクンと鼓動が跳ねた。それはもう大きく、強く。


 今まで、アルベールの行動の背景を知ろうとした者はいなかった。反抗期と片づけられてきたからだ。もちろんそれでよかった。そう思われるようにしてきたのだから。


「はぁ? 何をバカなことを。オレは自由気ままに生きてるだけだ。国王なんて面倒で煩わしいこと、まっぴらごめんだからな。体よく兄様に押しつけたってだけのことだ」


「違うな。アルベールの悪戯は、ただの悪戯ではないだろう。たとえば……子どものころ、厨房でネコを追いかけ回したとき。あぁ……あのときの男は、おまえだったのだな」


 数日後、オリバーは城から姿を消していた。

 何か理由があったのだろうと、ディアンの目が語っている。


 そして、平民の姿をしているアルベールを眺めながら、酒場で子どもの窃盗を止めたこともあっただろう? と、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。


(やはりあのとき、気づいていたのか。獣並みの嗅覚だな)


 今夜の自分の姿を見られては、言い逃れは難しいだろうが……。


「は? 想像力豊かなおめでたいやつだな」


「もう俺は誤魔化されないぞ。アルベールのやることは、すべてジェラルドや国を守ることに繋がっている」


 観念しろというように、額を指先で優しく突かれる。


「守る? このオレが? おまえはバカげたことばかり言うな。なんの得にもならないことを、オレがするわけないだろう。まあ、このアルベール様が唯一守るとするなら、よほど特別な相手だけだな」


 あくまでも、アルベールはしらを切ろうとする。


「まあいい。今はそういうことにしておいてやる」


 認めればいいものを、素直じゃないな。とでも言いたげだ。


 むっと唇を引き結び、睨みをきかせるものの、心はむず痒くどきどきする。


 まさか、アルベールを見つけ出す人間が現れるとは。


 自分が成していることは、誰に知られなくともいい。ずっとそう思っていた。


 なのに、ディアンが知った。


 誰にも気づかれないよう、悪役という最適な場所に隠れ、身を潜めていたはずなのに。


(どうしよう……嬉しくて堪らない)


 長いかくれんぼの末、やっと『み~つけた!』と言ってもらえた瞬間のようだ。


 かくれんぼ──見つかったら負けなのに、見つけてもらえないと不安になる。そんな不思議な遊びだった。


(オレは……探しに来てくれる誰かを、待っていたのか──?)


見つけたと、手を差し伸べてくれる誰かを。


「で? あの料理人は何をしでかしたのだ」


 感傷に浸っていると、気になって仕方ないとディアンが身を乗り出し問うてくる。


「あぁ、あいつはな、商人から安く仕入れた食材を、あたかも高級品のような顔をして経費に上げていたのだ。差額を自分の懐に入れるために。時々、食材を持ち帰ってもいたな」


 もともとオリバーは、コック長が修行先の隣国から帰国するまでの代理だった。他に適任者がいたというのに。


「年功序列で代理になれたようなやつだ。いなくなっても、なんの問題もなかっただろう」

 

 オリバーはいなくなるべきだった。妬みから、押さえつけられていた優秀な若い料理人たちのためにも。


「確かに料理の味は、満足いくものだったが……そのコック、罪に問えばよかったのではないか? 何もおまえが悪者に──」


「バカだな、オレに手柄など必要ない」


 続く言葉は想像がつく。

 聞きたくないアルベールは、ディアンの言葉を遮った。


「オレが活躍などしたら、兄様の輝かしい未来が歪んでしまうだろう」


「だからって……他に方法はなかったのか? 自分を犠牲にしすぎだ。あまりにもおまえが報われない」


「報われるとは? 『よくやった、素晴らしい功績だ』と周りから賞賛されることを言っているのか? くだらないな」


 自分は褒められたくてやっているのではない。大切な人が幸せなら、それでいいのだ。


「そうは言うが、疎まれて平気とは思えない。──それでアルベールは幸せなのか?」


 痛ましげに、ディアンはアルベールを見る。


(そんな目で、オレを見るなよ……)


 まるで捨てられた仔犬になった気分だ。


「当然だ。兄様を幸せにすることが、オレの幸せだからな」


 十分自分の行いは、報われている。


「それは違うのではないか。自分自身が幸せであってこそ、人を幸せにできるのだと俺は思うぞ」


 ディアンの言葉にはっとする。自分の考え方は、間違っているのかと。


 いや、そんなはずはない。それに、自分は陰でいることのほうが性に合っている。


 アルベールは、ふっと肩の力を抜いた。


「たとえばこのろうそくが、窓辺に置いてあったとする」


 自分たちの座るテーブルの上に置いてある、ランプの中で揺れるロウソクの炎を指差す。


「近くには、窓に吊されたカーテン。それが細く開いた窓の隙間から吹く風で揺れている。場面を想像してみてくれ」


「カーテンに火が移るかもしれないな」


 急に話をすり替えられたと感じたのか、怪訝な顔をするものの質問には答えてくれる。


「そう。『』しれないだ。仮に、案の定燃え移ったとする。事態にいち早く気づいた者が、火を消すだろう。そしてその人物は賞賛される。火を消してくれてありがとうと」


 そうだなと相槌を打つディアンは、まだ意図を掴めないようだ。


「もうひとつ。仮に、危ないと思いロウソク自体をカーテンから遠ざけた人物がいたとする。当然、火事は起こらない。よって、その人物は賞賛されることはない」


 言っている意味がわかるかと、ディアンに問う。


「災いの元を、事前に排除するということか……」


ディアンはアルベールを見つめ、呆然と呟く。


「結果論にすぎないがな。ロウソクを動かさなくても、火事は起こらなかったかもしれない。だが、その可能性を未然に防げるなら、誰に知られなくとも予防に努める。オレはそれでいい。自己満足かもしれないが、オレにとってのやり甲斐も幸せもそこにある。理解しがたいか?」


「いや。偉大な男だな、アルベールは」


 尊いことだと笑みを向けられ、心臓がドクンと跳ねる。


(止めてくれ、そんな優しい眼差しで見つめられると、オレは──)


 自覚してしまう。ディアンへ寄せる想いを。


 薄々感じてはいた。自分が男に恋心を抱く人間だと。前世、あれだけ王子キャラに嵌まっていたのだから。


 ただ、半信半疑でもあった。まだ恋をしたことがなかったから──。


「ふん、オレの話はもういい。今度はディアンの番だ」


 以前の酒場での一件を知られたのだから、もう隠す必要はない。


 アルベールは、なぜディアンが商人の姿であそこにいたのかを知りたかった。


「あぁ……あれはだな──」


 話せと詰め寄ると、ディアンの歯切れが急に悪くなる。


「もったいぶるな、早く言え」


 なおも急かすと、渋々口を開いた。


「実はな、俺の出目には事情があって……王子としての教育を、ほとんど受けていないのだ」


 アルベールはその事情とやらに、「詳しく話せ」と遠慮なく踏み込む。


「敵わないな、アルベールには」


 観念したディアンは、十三歳まで王都から外れた小さな田舎町で、平民として暮らしていたと身の上を明かす。


 それが一変したのは、後妻として迎えたいと国王に求婚された母親が、それに応じたからだという。


「苦労したぞ。平民として生活していたのに、いきなり王子だ」


 勉強もさほどしておらず、読み書きが少しばかりできる程度だったという。

 苦い記憶が蘇っているのか、ディアンは顔を顰めている。


「それにしてもすごいな、ディアンの母君は」


 国王は、どこで見初めたのだろう。しかしこれで合点がいった。どおりでディアンに関する情報が少なかったわけだ。


 納得するアルベールだったが、話にはさらに続きがあった。

  

「なに⁉ 国王の血を引いているのか!」


 ディアンの母親は、ただ後妻に入っただけではなかったのだ。


「ああ、俺の母上は、若いころ使用人として王宮勤めをしていたそうだ」


 なかなかの美人で、国王がお手つきをした。そしてディアンを身ごもった。それなのに、小さな町で育ったとは……。


「国王には、すでに王妃がいたのだ」


 ならば側室でもよかったのでは? 


 そんな疑問が顔に出ていたようだ。苦笑を浮かべたディアンは、「王妃が許さなかったのだ」とぽつりと零す。


 聞けば、王妃は隣国の王女だったそうだ。


(平民に夫を取られたとあっては、我慢ならないってところか)


 その王妃が亡くなり、晴れて王宮に迎えられたはいいが、今度はディアンが嫌がらせを受ける羽目になったという。


(まあ、そうだろうな。言うところの、妾の子というやつだしな)


 おまけに平民となると、貴族から向けられる目は冷ややかだっただろう。とはいえ、国王の血を引いているのだ。あからさまな態度は控えていただろうが。


 しかしオーランドの仕打ちは執拗で、ディアンは相当な目に遭ったらしい。気になるが、さすがのアルベールもこれ以上聞くのは憚られた。


「まあ、そんなこんなで、国をよくしたいという志はあっても、俺にはその方法がわからなかったし、知識も伝もなかった。だから知ることから始めようと、近隣諸国を巡っていたのだ」


 新たに知った、ディアンの一面。

 逆境に負けず、自力でどれほど頑張ってきたのか。


 本来なら、彼は第三王子。投げ出してもよかっただろう。だがディアンは、民のことは二の次というオーランドと、公務に興味がなく自室に籠もりがちだというエドモンには、国を任せられないと奮起した。


「オレほどではないが、おまえも大したやつだぞ」


 地道にコツコツと積み上げてきたディアン。彼にも幸せになってほしい──。


(聞くんじゃなかったな……)


 もう、完全に恋という卵が孵化してしまった。


 けれど──自由に羽ばたかせるわけにはいかない。


(諦めるから、安心して。兄様)


 想い合う二人の仲を、邪魔するようなことはしないから。


 アルベールは、自ら羽を手折る。


 ズキン、ズキンと疼くような痛みが襲う。


 自分をこんな気持ちにさせるなら、見つけないでほしかった。じっと暗い洞窟の中で蹲っているほうがよかったのに。


 苦しさから逃れようと、アルベールは次々に杯を重ねた。

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