第10話 国王の器

 一定の距離を保ちながらも、ふとした瞬間に、ディアンはアルベールの心の細部に触れようとしてくる。


 悪態をついては家臣に鬱陶しがられる自分に、彼は呆れではなく、慈愛とも取れる眼差しを向けてくるのだ。


『俺はおまえの味方だ。誰が気づかなくとも、俺は知っている』


 だから思うままに行動すればいい。そう言われているようで居心地が悪い。あの包み込むような眼差しに、いたたまれなくなる。


 嬉しいような、むず痒いような。


 こんな気持ちを味わうことになろうとは、誰が予測できただろう。


 今日も今日とて──。


「おいディアン、これから書倉庫の整理だ。しっかり働けよ」


 ついてこいと、アルベールは横柄な態度でディアンに命令する。


 そんな姿を、冷や冷やしながら見ている侍従もいれば、「礼儀も知らないのか。国の恥だ、嘆かわしい」と侮蔑の視線を向けてくる大臣もいた。


「お供させていただくよ」


 そんな中、目の下にクマを作るディアンは、憤ることなく笑顔で答える。

 一見健気に見えるが、彼は単に寝不足なだけ。だが、実状を知らない者からすれば、我が儘王子に振り回され憔悴した王子に見えるだろう。


 ゆえに、同情を寄せる者が続出したのは言うまでもない。


 なかなかの役者ぶりだ。ちらりとアルベールに向けてくるディアンの眼差しの中には、『今日は何を教えてくれるつもりだ?』とうい好奇心が秘められているというのに。


 連日、読んでおくようにと手渡す本を、ディアンはきっちり読破してくる。相当睡眠時間を削っているはずだ。なのに、それをおくびにも出さず、もっと知識をよこせと言わんばかりの熱意を向けてくる。


 その飽くなき探究心に、アルベールは触発され、求められる喜びを感じていた。


「今日も農作物についてか?」


 書倉庫のドアを閉め、三人になったところで問う。


「その前に、一言よろしいでしょうか」


 セオドアがディアンの後ろから、アルベールの前に進み出てくる。


「なんだ? 聞くだけ聞いてやる」


「ディアン様に対する態度、もう少し緩和していただけないでしょうか」


 自分の主人が、公衆の面前で邪険に扱われることに、我慢ならないらしい。


「嫌なら国へ帰れ。オレは痛くも痒くもないからな」


 にべもない返答に、セオドアが再度口を開こうとしたとき、


「いいのだ、セオドア。俺は気にしていない。それ以上の知識を、アルベールは授けてくれるのだから。さあ、時間がもったいない」


 セオドアを下がらせ、ディアンはすまなかったと頭を下げてくる。 


 その背後で、セオドアは唇を噛みしめていた。主人に頭を下げさせてしまった自責の念からだろう。


 少し配慮しておく必要がありそうだ。セオドアは真面目すぎる。思い詰め、自らが矢面に立とうと奮闘されると、思惑どおりにことが運ばなくなってしまう。


「セオドア、オレの態度にも意味がある。おまえにとっては耐えがたいことだろうが、次期にその意図もわかるだろう。まあ、おまえはそのまま、オレに敵意を向けておいてくれ」


 話は以上だと切り上げ、アルベールは本題に入る。


「ここ数年の干ばつや害虫によって土地が痩せ、不作が続いているんだったか?」


「ああ、そのせいで食糧不足が続いている。なんとかトシャーナ国でも栽培できそうな穀物はないだろうか」


 ディアンは時折、貧民街の民を心配し、炊き出しをしては一時的に腹を満たさせてやっていたという。しかし、それでは根本的な解決にはならない。


「以前はどんな特産品があったのだ」


「葉物野菜も採れてはいたが、どちらかというと根菜が豊富だったな」


「根菜か──」


 前世の記憶を辿ってみる。不格好でもいい。手軽で失敗の少ない、土の中に成る野菜。


(あ、そういえば──)


 前世で母親が、狭い庭の片隅でさつまいもやじゃがいもを作っていたことを思い出す。


 あの方法なら、国にも持ち帰れるのではないだろうか。


「土に問題があるのなら、ここの土を持ち帰るといい。芋なら、麻袋の中でも十分に育つ。明日にでも植えておけ。ここを出るころには、芽が出ると思うぞ」


「なるほど、助かるよ。セオドア、聞いてのとおりだ。早速麻袋に土を詰め、種芋を植えよう」


 段取りを始めた二人に、アルベールは一本の小瓶をポケットから取り出し見せる。


「これはオリーブの実から取れた油だ」


 トシャーナ国にもあるかと問うと、見たことがないという。フランターナ国にもないが、隣国から輸入しているのだと教える。


 文献によると、温暖地が適していて、排水がよいところで栽培すると育ちがいいらしい。ただ保肥力ほひりょくが十分でないと、実が大きくならないそうだ。トシャーナ国で栽培するには土が問題だが、なんとか成功させてやりたい。


 オリーブは塩漬けで実を食べることもできるし、油は料理を美味しくしてくれる。


 それに──。


「オリーブの木は、平和の象徴だ。運気のいい木……王者の木ってところだ。国民に幸せを運んできてくれるだろう」


 これは植物好きだった妹が教えてくれた。


「木が、幸せを運んでくる……?」


「迷信のようなものだ。信じる信じないは、人それぞれだ」


 その気があるのなら、隣国から苗木を数本譲ってもらうから早く決めろとせっつく。


「育つだろうか、我が国で」


 遠い目をするディアンは、自国の荒れ果てた土地の惨状を思い浮かべているのだろう。


「保証はできない。だが、やってもみないで諦めるのか? 挑戦したことは、すべて自分の糧になるんだ。失敗したとしても、次への跳躍台ちょうやくだいだと思えばいい」


「そうだな、アルベールの言うとおりだ。随分と年下のおまえに、人生の教示を受けるとは。確か十八歳だったと思うが、本当はジェラルドのほうが弟ではないのか」


 参ったとばかりに、ディアンは苦笑を漏らす。


 言い得て妙。精神年齢は確かに年上だ。しかし人間は、向上心と謙虚さがある者が、一番伸びるのだと思う。ディアンのように。


「ところで、おまえの兄はどんな人なのだ?」


 酒場で耳にした噂は、オーランドが宝石好きということだけだった。


「オーランド兄上は、政にはあまり熱心ではないな。宝飾を集めることには意欲的だが」


 第二王子のエドモンについては、ディアンはよく知らないという。自室に籠もりがちで、話す機会がないとのこと。たまに姿を見かけると、大抵本を抱えているらしい。


(やはりゲームの中のエドモンとは、似ても似つかないな)


 本来なら、社交的で爽やかな、ジェラルドの友人キャラなのだが。


「話を聞く限り、二人とも国王の器があるようには思えないな」


 宝飾にしか興味がないというオーランドは、国民を守るという考えは到底ないだろう。エドモンに至っては、自室に籠もりがちだというから、公務をしているかどうかも怪しい。


 ふと疑問が湧く。


「ディアン、悪名名高いオレが言うのもなんだが、国王はなぜおまえたちを競わせる? オレなら、間違いなくディアンが継ぐのが最良と判断するぞ」


 国王は、いったい何を考えているのか。


「あぁ……父上はこの所、お身体の調子が思わしくないのだ。日々をベッドで過ごしていてな。自分の目が十分に届かない今こそ、人間性が見えてくるとお考えではないかと俺は思っている」


 早い話、更生の最後の機会を与えたというところだろう。


(なるほど。オーランドは自分が不利だとわかっているから、ディアンを亡き者にしようと企てているわけか)


 それを、フランターナ国で実行しようとしている。きっと、何か狙いがあるに違いない。


 暴いてみせる。どんな汚い手を使おうとも、大切な人を守れるなら。


 アルベールは自分流の悪知恵を働かせるのだった。

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