第9話

 試験六日目。朝日の気持ちの良い光を浴び、セリルはベッドから体を起こす。コトノハやクロエあたりが訪ねてくると思っていたが当てが外れたね。

 セリルはいつも通り武器の手入れと毒の調合を始める。毒草を素手で触れぬよう手袋をすると器用に仕分けていく。そして、目当ての草をすり鉢に放り込むとごりごりと供奉していく。出てきた液体を細長い瓶に入れると少し振り、台へと立てる。この作業を繰り返していき精神統一するとともに日課をこなしていく。試験官という立場で仕事のほとんどは免除されているが毒の精製や採取及び研究は仕事の内だ。手早くこなさなければ捜査もままならない。

 調合を終えると次は武器の手入れだ。特殊な薬剤をナイフに垂らすと磨き残しがないように丁寧に磨いていく。手入れを行う武器の数は膨大だ。ゆっくり時間を使う暇はないね。

試験も明日で終わる。だけど、いまだ事件解決の糸口もつかめていない。おそらく彼女たちもそうなのだろう。

「生徒っていっても一人の人間ってことか」

 セリルは人知れず反省を呟く。昨日のアメリアたちとのゲームで改めて思い知った。ボクは彼女たちのことを分かっていない。いや、分かった気になっていた愚か者だった。心の内に潜む欲求や願望を見ようとしていなかった。そんなんじゃ……先生とは呼べないよね。磨いているナイフについ力を込めてしまう。

「でも、今気づいても遅いんだよね」

 少なくとも試験中に己の行動を正すだけの時間は残されていない。人を知るという行為は一朝一夕で完了するタスクではないからだ。

 セリルは大きくため息をつき、思考を切り替える。今不可能な案件を頭から取り除き、するべき事案へと思考すべらせる。

 すると、ドアがコンコンと叩かれる音が鳴った。

「どうぞ」

 扉が開き、姿を現したのは紫苑の髪の少女だった。彼女は断りもなく、きょろきょろしながら部屋へと入り、ベッドへと腰かけた。

「コトノハは来てないのでしょうか?」

「来てないよ。何か約束でもしてたの?」

「いえ、そういうわけじゃありません。忘れてください」

「そうかい。それで……君は何をしに来たのかな?」

 セリルは手を止めることなく、クロエを一瞥する。数日前に会った時とは違い、はっきりと顔には焦りの色が見えていた。無理もない。終わりが近いというのに当初の問題を解決どころかその糸口さえ掴めていないのだから。

 クロエは視線を泳がせつつ、乾いた口を開く。

「……先生は誰が犯人だと思っていますか?」

「質問の答えになっていないよ」

「私は答えを聞きに来たんです。先生は最初から犯人が誰か分かっているのでしょう?」

 明らかに見当違いだ。しかし、なるほどね。ボクの立場はそう見えているのか。確かに焦りの様子もなく、傍観していればそう感じられても仕方ない。犯人の予測は立てているが、もちろん真実を知るよしもない。だけど、知らないと言ったところで信じても貰えないだろう。切羽詰まった彼女ならなおさらだ。どうしたものか。

 セリルは沈黙を貫いているとクロエの喉がごくりと鳴る。

「やっぱり……そういうことなんですね」

 クロエは失望したような瞳でセリルを見ている。どうやら深刻な誤解をされてしまったようだ。彼女は足音を立てることなく、セリルに迫り、袖に仕込んでいたワイヤーを鞭のように振るう。セリルはそれを素早く細切れにし、少女の華奢な肩を掴んだ。

「君の勘違いだよ。ボクはマーセル殺しには関与していない」

「信じられません!」

「だろうね。今からボクの予想を聞かせる。それでも怪しいと思えばボクを見限ってもらって構わない。ボクにはそれくらいしかできないけど……どうかな? 話だけでも聞いてみない?」

 クロエは鋭い視線を向けたまま「……わかりました」と呟いた。やれやれ、この試験が始まってから生徒に振り回されっぱなしだね。

「結論から言うとマーセルは死んでいない可能性が高い。つまり、森の中ないしはこの校舎のどこかに潜伏していると思っている」

 予想外の見解だったのかクロエの目が大きく見開かれる。それもそのはずだ。この結論は彼女にとって非常に都合がよいものなのだから。

「……なぜそう思うのですか?」

「死体が発見できないからさ」

「死体なら教室の棺の中にあるじゃないですか。それともコトノハが言っていた墓地の死体を利用したってやつですか? でも、もしそうなら私たちが見た灰狼の群れは何故あそこにいたんですか?」

 クロエは気になる点を続けざまに質問してくる。紡ぐ言葉の早さに彼女の熱量が感じ取れるようだ。彼女の心情はこの話を信じる方へと傾きつつあるね。

「あの群れに首を始末させるためさ。血液をパックで用意していたくらいだ。予備でいつくも持っていても不思議じゃない。墓地で盗み出した死体の首に血液をかけ、獣に証拠隠滅を手伝ってもらった。筋は通るだろう?」

 クロエは顎に手を当て、真剣な表情を浮かべ俯く。今までの出来事を整理して、話の整合性を確認しているのだろう。コトノハの話に森でのイベントを足した結果、それなりの予想にはなったはずだ。実際、決定的な証拠がないだけで可能性としてはありえるのだから。

 クロエは顔をあげ、真っ直ぐにセリルの瞳を見つめる。

「先生の話を信じたいので、質問をしてもよろしいでしょうか?」

「なんだい?」

「マーセルの狙いは何なのでしょうか? この終盤になっても動きを見せてないようですし」

 セリルは磨き終えたナイフの光沢を確認しつつ、口を開く。

「狙いはボクだよ。コトノハがそう言ってた。それと彼女は行動を起こしていると思うよ」

 クロエは催促するように目で訴えてくる。想像以上の言葉を引き出せたからか心なしか前のめりになっているようだ。

「マーセルはアメリアに接触しているはずだよ」

「……なぜあの子に?」

 解せないという顔をするクロエ。幾重もの感情が入り組んだ表情は嫉妬かはたまた憤怒か。乙女心というやつは感じ取るのが難しい。

「アメリアは昨日暇つぶしをしていたんだ。おかしいだろう? マーセル殺しという特大なネタがあるのに」

 クロエははっとしたように顔をあげる。アメリアの気質からあれほど面白そうな事件を放っておくはずがない。彼女なら他の生徒やセリルを巻き込んで自分が満足するように遊ぶだろう。アメリアはそれほどまでに刺激を求める女の子だ。そんな子がアシュリンとチェスをして時間を潰すほど退屈しているという事実から一つの真実が読み取れる。アメリアは既にマーセルと会っており、彼女の中ではマーセル殺しには決着がついているということだ。

 クロエはごくりと喉を鳴らし、精神を整えるように息を吐いた。

「……アメリアは知ったということですね。それも事件を解いたのではなく、マーセルから接触される形で。確かにそれならアメリアがいつもより大人しいのも合点がいきます」

「そんなに大人しいかな?」

 クロエは目を閉じ、記憶を辿る。思い返される過去は良いものではないのか彼女の顔はゲテモノでも食べたかのように歪んでいく。

「あの子にされた悪戯は数えられませんよ! 一番最悪だったのは毒蛙(ポイズンフロッグ)を敷きつめた球を……。ああっ! 思い出すだけで悍ましい!」

 クロエは鳥肌が立った体を抱きしめ、縮こまる。よほどトラウマだったのだろう。珍しく声を荒げている。

「しかも、あの子が狡猾なのは先生がいない日を狙ってやっていたことです! 先生がいたら罰則の一つや二つは課したでしょうから」

「確かにそうかもね。でも、なんでそのことをボクに言わなかったんだい?」

「飴をくれたからですよ。お詫びに改造銃や特性のトラップ、構想はありますが形にできないものを作ってもらったり、色々です」

 流石は豪商の娘。後片付けも完璧だ。

「いやはや、その徹底ぶりには恐れ入るね。それで……ボクの話はどうだった?」

 クロエは考える間もなく、ほんの少しだけ口角を上げ、答える。

「先生の話を信じます。疑って申し訳ありませんでした」

 セリルは心の中で拳を強く握った。確たる証拠なしにクロエを丸め込むのに成功したからだ。現状最も可能性の高い仮説だが、何も証明するものがない。はっきりいって机上の空論だ。セリル自身もこの考えが正しいとは考えていない。

 しかし、人は自分の信じたいものを信じる生物だ。元々彼女の死から情緒が不安定になっている今なら尚更その性質は色濃くなる。マーセルが生きているという強い可能性をクロエは否定できない。親友ゆえの枷が彼女の判断を鈍らせた。

いや、この説が正しい可能性もあるのだから信じることが愚かだと断じるのも早いか。信じるものが救われる結果になって欲しいものだ。

「分かってくれたのならいいよ。間違いは誰にでもあるさ」

 セリルは爽やかにクロエを肯定する。内に秘めた感情を押し込めた表情だが、一切の不自然さはない。百戦錬磨の殺し屋は感情の殺し方も完璧だ。

「それで——これからの展望はあるのかい?」

「……いえ、今の話を聞く限りアメリアに接触するのがよいと思いますが。私が今から近づけばおそらく感づかれます。彼女はそこらへんの感覚は優れていますから」

 確かにアメリアの危険への嗅覚は一級品だ。騙し合いや探り合いで彼女とやり合うのは無謀と言う他ない。しかし、セリルにはそんな必要はない。

「そうだろうね。でも、ボクには伝手があるよ」

「どのような?」

 当然の疑問をクロエはぶつけてくる。

しかし、セリルは待ってましたと言わんばかりに昨日のゲームのことを話した。何故そのようなことをしたのか、どのような条件で行ったのかなどすべてを。すると、クロエにも合点がいったのか真剣な眼差しを向けてくる。

「なるほど。勝者の権利で要求してきたのが場所の指定なら、そこにマーセルが現れる可能性が高い」

「そういうこと。アメリアとも組んでるだろうから罠マシマシ、殺意マシマシの空間が形成されてると思うけどね」

 クロエはいたずらっ子のような笑みをセリルへと向ける。

「でも、どれだけ準備されようと先生は問題ないですよね?」

 挑戦ともとれる発言。しかし、彼女の真意は信頼である。セリルという超人ならばどんな困難でも真正面から立ち向かうという確信である。一年間、彼を見てきた生徒の言葉に思わず笑みを浮かべる。

「もちろん! 致死の毒が撒かれようと……数多の爆弾で爆撃されようと……ボクの首に死神の鎌が届くことはないよ」

 溢れる自信を内包した表情を見たクロエと笑い合い、明日の時間を伝えると別れの言葉を交わした。これ以上話す必要はない。お互いがそう感じたのか自然とクロエは部屋を後にしていた。

「さて、クロエは誤魔化せたけど本当にマーセルは現れるかな?」

 マーセルが生きている可能性は今でも五分五分といったところだ。アメリアが取引している相手がコトノハやアシュリンの可能性だってある。そうだった場合、明日の夜を指定したのはミスリード及び時間稼ぎかもしれない。

いや、こんなことを考えても仕方ないか。何が正解かを解答できるほど手がかりを集められていないのならば、どんな状況にも対応するしかない。

 それに相手は生徒だ。未知の情報があるくらいが丁度良いハンデ。この程度の差で欺かれ、殺されるのならばボク自身その程度の人間ってこと。悔いなくあの世に行けるってものだ。

 もし、あの世にいったらあの人に会えるだろうか。まあ、会ってもいうことなんてないんだけど。ボクはあの殺しを全く後悔していない。あの瞬間、殺し屋としての自分が完成したと感じたからだ。

あのとき真に感情を殺すことを学んでなければ……今ここにはいられない。それほどの変化を与えてくれたと思っている。そして、いずれ自分自身もその役割を担うのだろう。

 沈む夕日を眺めながらなんとなくそう思った。銀のナイフに映る茜色の自分を見つめると思わず笑みがこぼれた。ボクってこんないい加減な顔をしていたんだ。

いつも見ているはずの顔にいつもと違う感想を抱いている。感傷に浸りすぎたかな。

 セリルは余計な感情を振り払うように握ったナイフを弄び、素早く素振りをする。染み付いた殺しの技能が無駄な思考を削ぎ落とした。

そして、出た言葉が——「そういえば、コトノハは来なかったな」だった。

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