第8話

 セリルを行動不能にしたアメリアはその足で一階へと向かった。理由はアシュリンの行動は予測できないからだ。そのため虱潰しに校舎全体を探さなければならない。

校舎は一階が最も広く、隠れやすい。アメリアにとって一番厄介なのはせっかくの一時間を潜伏され、時間を潰されること。よって、最優先の捜査対象は一階なのだ。

アメリアは小走りで細長い廊下を走っていく。

「さてさて、アシュアシュならどうでるかな?」

 彼女は視線を走らせ、廊下の隅々まで観察しながら音にも気を配る。埃の被りや舞いから人の出入りを判断し、床の軋みや声が聞こえないか集中する。言うのは易いが実際に行うのは難易度が高い。ここにいるメンバーは足音をほとんど立てないうえに追跡されないように痕跡を消すのが上手い。しかし、理解したうえでアメリアはにやりと笑う。

 ——それがどうした。身体能力では劣っても私の頭脳はみんなにだって負けないんだから!

 桃髪の少女は四十分かけて一階を探索した。倉庫や食堂、空き部屋もすべて。しかし、アシュリンの痕跡どころか影さえつかめない。

 アメリアは数秒ほど立ち止まって指を顎に当てる。そして、素早い動きで階段を上っていき、二階へと向かう。まだ廊下で横になっているセリルを視界の端に捉えながらさらに階段を上っていく。行き先は屋上だ。気配を殺し、ゆっくりとドアを開ける。遮蔽物はなにもなく、開けた空間が目の前に広がる。しかし、肝心のアシュリンの姿はない。

 アメリアは徐に真ん中まで歩いていくと手慣れた手つきで腰のホルスターから拳銃を抜き、自分の左肩を土台にすると背後に向けて引き金を引いた。

「ハズレ」

 気だるげな声と鋭い蹴りがアメリアに届く。少女は埃まみれの床を勢いよく転がり、苦しそうに空気を吐き出す。

「ターゲットも抵抗くらいすると思う」

「完全にこれは攻撃でしょ……」

「どっちでもいい。ルールには反してない」

 アシュリンはアメリアを見下ろしながら淡々と呟く。陽の光で輝く白髪が風で靡き、神々しい立ち姿である。真正面からの戦闘では逆立ちしてもアメリアはアシュリンに叶わない。商家の娘と貧民街の野生児。どちらが強靭な肉体を持っているかは考えるまでもない。

 しかし、そのハンデを持ってなお選ばれた桃髪の少女は追い詰められた今笑みを浮かべている。

「私が言い出しっぺなんだからこれくらい想定済み!」

 アメリアは腰のポーチから白い球体をアシュリンに向けて放る。得体のしれない物体を警戒したアシュリンは考えることなく、屋上のドアの前まで下がる。

「え?」

 気の抜けたような驚く声を漏らし、アシュリンはドアへともたれ掛かった。彼女が足元を見るとそこには薄っすらと白いジェル状のなにかが広がっている。

「油断大敵!」

 足の止まったアシュリン目がけてアメリアは発砲する。赤い弾丸がターゲットの心臓へと迫っていく。

——白髪の少女の雰囲気が変わる。

今までのどこか余裕のある倦怠感は消え去り、狩りをする獣のような獰猛さが顔を出す。そして、瞬く間にその姿を消し、弾丸を避けた。

「ごめん、舐めてた」

 アシュリンは扉のついている出っ張りの上へと移動していた。履いていた靴を犠牲にして難を逃れたのだ。

「いやいや謝ることじゃないよ、アシュアシュ。私もあなたと同じだから」

 素足の少女は間接的な挑発に分かりやすくムッとした表情を浮かべる。ざらざらとした足の指でしっかりと踏みしめ、前傾姿勢を取る。

「ケガしても知らないよ」

「そんな覚悟はとっくにできてる。私たちは暗殺者になりに来たんだから」

 アメリアは笑顔で引き金を引く。その表情に呼応するように無表情なアシュリンの口角も上がる。彼女は真っ直ぐに飛び出すと弾丸と交差するようにアメリアに迫る。だが、それも予測していたのか二人の間に紫の球体がいつの間にか投げられていた。躱すのを諦めたアシュリンは勢いよくそれを蹴り飛ばす。もし一秒ほど判断が遅れていれば致死の毒ガスが噴出していただろう。

「やっぱりそう来るよね」

 アメリアは勢いが死んだ目の前ターゲット目がけて赤い球を投げた。速度は大したことはないが空中で体勢の不安定なアシュリンは苦い表情を浮かべる。色からして球体の中身はペンキである。アシュリンにとって迎撃は容易いが避けるのは至難だ。まさしくチェスのごとくアメリアは暗殺においての詰みを目指している。

「せい!」

 間の抜けた掛け声とともにアシュリンは腰に下げていたナイフを瞬時に振るう。神速の斬撃が赤い球を両断した。本来なら液体がアシュリンに向けて飛び散るはずだが、規格外の速度が衝撃波を生み、見事にアシュリンの左右へと軌道が変わっていた。

 あまりのゴリ押しにアメリアは目を丸くする。そして、頬が痙攣しているのか酷く不細工な笑みになっている。

「もう! これだから天才は!」

 狂った計画を修正するため必死に頭を回すアメリア。しかし、着地し、加速した埒外の存在がすぐ目の前まで迫っていた。僅かな時間で脳を酷使した桃髪の少女の鼻からは真っ赤な血が流れ始めた。

 ——思いついた。

 狂気を孕んだ笑みを浮かべ、ぺろりと流れる血を舐める。その独特な迫力に気圧されほんのわずかであるがアシュリンの速度が緩む。

 アメリアはもう一丁の拳銃を抜き、十発もの弾丸を乱射する。あまりの密度にアシュリンも堪らず距離をとる。素足で華麗なステップを踏みながら後退しつつも足元への警戒は怠らない。常に眼球を動かし、罠の気配を感じ取っている。

「どうしたの? もっと強気に攻めるのがアシュアシュ流でしょ?」

 空の弾倉落とし、二丁の拳銃に素早く新しい弾を込め、すかさずアシュリンの心臓へと発砲した。白髪の少女は最小限の動きで難なくそれを躱すが、顔には苦みが広がっている。アメリアの言葉は確実に挑発である。しかし、アシュリンの脳裏には獣の感覚がちらついている。

 その表情を観察し、アメリアは蠱惑的に笑う。

 この状況で最適な選択は逃げることだ。このゲームでのアシュリンの勝利条件は最後まで赤いペンキを急所につけられないことだ。この場所で急所とされているのは頭、首、心臓である。通常通り戦闘行為を行えば適切に防ごうとも被弾のリスクに晒されることになる。また、アシュリンは身体能力だけで言えばセリルに迫るほど驚異的である。よって、ターゲット側であるアシュリンが取るべき最適解は逃げることなのだ。常に敵の隙を探し、射線の切りやすい校舎内潜伏及び逃走を図るだけの行動でも彼女が行えば必勝法になりうる。

 しかし、アシュリンはそんな退屈な選択は取らない。彼女にとってこの勝負は暇つぶし、もしくは挑戦だ。格上であるセリルやチェスでは負けたアメリアへの。だからこそ、チープな言葉でもアシュリンなら乗ってくる。そして、その考えた今確信に変わった。

「考えるのはらしくないって! いつもの獰猛な強さを見せてよ!」

 アメリアの言葉に理性の糸が切れたのか警戒の視線が殺意によって塗りつぶされる。これがゲームであることも忘れ、ただ目の前の生物を狩ることが生きがいの獣が目を覚ました瞬間である。

「それでこそアシュアシュ!」

 先ほどよりも加速したアシュリンは一瞬で距離を縮める。しかし、いつの間にか雨の日に水たまりができるように屋上はアメリアの罠が張り巡らされていた。もちろん、正体は最初に使った透明な接着剤。次踏めばチェックメイトなのは明らかだ。

「もうそれは知ってる」

 アシュリンは僅かな足場を跳ねながら移動する。驚くべきは制限されても一切落ちない速度である。まるで何事もなかったかのように鋭い蹴りがアメリアに当たる。

「私もそれはさっき見たよ」

 アメリアは腕を十字に交差させ、重い攻撃を受け止めた。桃髪の少女は同時に引きつったように口角を上げる。

「うん、分かってる」

 アシュリンはアメリアの腕を足場にして、頭をボールに見立て蹴り飛ばした。その一撃を受けたアメリアはふらふらと後ずさり、その場に倒れ込む。すぐに立ち上がろうとするが脳が揺れているのか腕が震えている。なんとか顔を上げ、ゆっくりと近づいて来るアシュリンを見上げる。

通常ならばこの隙にアシュリンは撤退を選んだだろう。しかし、戦闘のスイッチが入った今は相手が死ぬまで追撃を止めない。腰から銀色のナイフを抜き、躊躇なく桃髪の少女の首元へと振り下ろす。

アメリアの首が飛び、勝負は決する。そのはずだった。

「あれ?」

 アシュリンは間抜けな声を上げる。何故か狙いが狂い、アメリアの横の地面とへとナイフを突き立てていたのだ。ありえない現象に彼女の中の獣が警鐘を鳴らす。すぐに息を止め、最初に避難した場所へと戻る。

「気づかれたかー」

 アメリアは口に溜まった血を吐きながら徐に立ち上がる。今だダメージは抜けておらず両足は僅かに震えていた。

「あの透明な液体……気化したら毒になるんでしょ?」

「正解! 自信作なんだよね!」

 アメリアは豊満な胸を張り、勝気な笑みを浮かべる。

「あっ、もちろん私には聞かないよ。ちゃんと解毒剤飲んでるから。それとこの毒は体がちょこっと痺れる程度の弱い毒だから安心して呼吸してね」

 輝くような笑みで毒を吐くアメリア。アシュリンは体を精一杯伸ばし、高い場所の空気を慎重に吸いながら、冷静に思考を巡らせる。図らずも敗北の危機に晒されたことで理性を取り戻してしまった。彼女は現状の最適解を試算していく。

 アシュリンの脳裏には逃走の二文字がはっきりと浮かんでいた。ここまでアメリア有利のフィールドを作られてしまったらいくらアシュリンでも勝つのは難しい。

 しかし、毒によって動きが鈍った体では逃げるのも至難だ。アメリアもアシュリンの思考の変化を完全に読み取っており、二丁の銃を構えながらゆっくりと距離を詰めてきている。少しでも隙を見せれば確実に仕留められてしまう。そんな予感がアシュリンにはあった。

 二人の静かな睨み合いが続き、時間だけが刻々と過ぎ去っていく。アメリアは距離を、アシュリンは毒の効果時間を意識しながら。アメリアがまた一歩距離を縮め、残り数メートルとなった。

——地面が割れる。

 予想外のアクシデントに二人の瞳孔が大きく開かれる。そして、その視線の先にはこの崩落の立役者が不敵な笑みを浮かべていた。

「時間はしっかりと確認しないとね」

 復帰したセリルは左右に揺れるナイフを握りながらそう言った。驚くべきことに彼はゴム製のナイフで屋上の床を切り裂いたのだ。まさに超人の所業。少女たちもそれに気づき、乾いた笑みを浮かべる。

 しかし、同時に彼女たちはこの状況を打破するための策を弄していた。まず、動いたのはアシュリン。崩れる瓦礫を足場にし、セリルの方へと近づいていく。だが、狙いはセリル自身ではなく、その場から逃走することだった。彼の攻撃手法の少なさを逆手に取り、アメリアへの壁として機能されようと考えたのである。

「威勢がいいね」

 セリルは青いペンキで塗れたナイフを振るう。鋭い剣線にアシュリンは舌打ちを漏らし、空中で後退を選択する。

 少女たちは三階の踊り場へと着地し、瓦礫がいまだ雨のように降っていた。

 ターゲットを境に二人の暗殺者が睨み合う。しかし、この場を支配しているのはセリルだ。逃げ道である階段側を塞いでいるからだ。

「そろそろ終わりにしようか。つけられた土も払わないといけないからね」

 セリルは一瞬でアシュリンとの距離を詰める。そして、鮮やかな動作でナイフを振るう。万全の状態ではないアシュリンは反応では太刀打ちできない速度域である。彼女の顔には諦めの感情が徐々に浮かび上がってきているように見える。

「泥にまみれるのも悪くないと思うなー」

 間の抜けた声とともにアメリアは右手の銃の引き金を引いた。しかし、もう遅い。確実にナイフがアシュリンの首に届く方が速い。だが、勝利を確信した瞬間、アシュリンは苦々しくも嫌らしい笑みを浮かべていた。

 彼女は何故か弾丸の方へ近づくように後ろへと跳んだ。予想外の選択である。避ける、迎撃する、かく乱する……どれでもない盤外の選択肢。セリルは足に力を入れ、アシュリンを追いかけるように加速し、腕を伸ばす。辛うじて首へとナイフは当たり、青い塗料が筋のように細い首へと刻まれた。しかし……僅かコンマ数秒、赤い弾丸が先に着弾し、白髪の少女の体が揺れたのが見えてしまった。

「私たちの勝ちだね」

 アメリアはそう宣言した。その声には満たされた人間特有の独特な喜色が滲んでいた。

「組んでたの?」

 アメリアへの質問であったが、アシュリンが顔を突き出してくる。

「組んでない。でも、負けが確定したあの時……誰に負けるかは選べた。アメリアに負けるのも嫌だけどセリルに一泡吹かせられる唯一のチャンスだと思った。だから……」

 勝ち誇るわけでもなく、切ない表情を覗かせるアシュリンの顔を見て思わずため息がこぼれる。自分の弱さを生徒に教えられるなんてね。

「いや、もういいよ。ボクの負けだ。完敗だよ」

「そうだね、セリルん。これで私は正式に土をつけたことになるのかな?」

 蠱惑的な笑みを浮かべるアメリア。しかし、その顔はいつも通りではなく、勝利の余韻に浸っているのか妖艶だ。

「アメリア。私があなたを勝たせてあげたってこと忘れない」

「それも含めて私の計算通りってこと。だからこそのこのルールだし。あの状況は私が誘導したかったルートの一つだったんだよ。セリルんは分かってるよね?」

 セリルは首を縦に振る。理解しているからこその完敗宣言だ。

「でも、結局は私の選択の結果勝ったのは変わらない。だから、私たち二人の勝利でオッケー?」

 アシュリンはアメリアの道理など一切考慮せず、大胆な要求を突きつけた。確かに彼女の言も間違いではない。しかし、状況やこのゲームの性質全てにおいて仕掛けたアメリアの功績と見るのが妥当だ。

「いやいや、話聞いてた? この絵を描いたのは私。だから勝者は私。オッケー?」

「でも、結局は私の行動が勝利を決定づけた。暗殺者は過程ではなく、結果で語るべき」

「それだって……」

 二人は延々と水掛け論を繰り広げる。どんどん話の論点はそれていき、もはやお互いの不満点を言い合うだけの愚痴合戦となっている。やれやれ、こんなところはまだ子供だね。

「はいはい、二人ともそこまで。今回は二人とも勝者ってことにしときなよ」

 アシュリンは喜び、アメリアは露骨に不満げな顔をする。

「今回の勝者の権利である命令権をボクに対して行使すればいい。ただ、最も勝利に貢献したアメリアは二つまでボクに指示できる。それでどう?」

 二人にとって利益にしかならない提案に二つ返事で承諾した。これもボクの義務だ。敗者はより深い傷を負い、経験を脳裏に刻まないとね。

「それじゃあ、二人の願いを聞こうか」

「リクエスト料理のフルコース!」

「新薬の実験台!」

 恐ろしく早く紡がれた言葉からは若干不穏な気配を感じる。詳しく聞いてみるとアシュリンは自分が望んだ料理を満足するまで作れということだった。彼女らしい欲があるのかないのか分からない要求だ。

 アメリアのリクエストは彼女が作った毒を呑んで感想をくれということらしい。「セリルんなら死なないっしょ!」と言っていた。実に暗殺者らしい子になったものだ。

「分かったよ。それじゃ、さっさと済ませよう。ボクとアシュリンは食堂に行くからアメリアは試すものを全部持って来てくれ。同時にリクエストを消化していこう」

「やったー!」

「ん」

 それから食堂では日が落ち、夜が更けるまで料理しながら毒の評価を下す男とその近くで山盛りの料理を平らげる白髪の少女とその横で真剣に毒の改善をする桃髪の少女がいるカオスな空間が出来上がっていた。

 満腹になり机に突っ伏しているアシュリンを横目にセリルは椅子へと勢いよく座り、息を吐いた。

「お疲れ!」

 アメリアはガラスコップに注がれた水を差し出す。

「そこそこ疲れたけどそれ以上に充実した一日だったよ。生徒の予想外の成長も見れたしね」

 アメリアは照れ臭そうに笑う。セリルは冷たい水を飲み干し、コップを静かに置いた。

「さて、それじゃあ二つ目の要求を聞こうか」

「ああ、それね。二つ目は試験最終日の夜十時に一階の下駄箱前まで来て」

 想定外の軽い願いに思わず首を傾げる。

「そんなことでいいのか?」

「うん、いいよ」

 アメリアは変わらぬ笑みを浮かべ、そう言い切った。彼女の考えはまだ読めないが彼女なりのなにかがあるのだろう。

「りょーかい。楽しみにしてるよ」

 セリルは席を立ち、食堂の出口へと歩いていく。ひらひらと手を振り、背後の少女たちに挨拶をしながら。

「きっと満足すると思うよ」

 セリルはゆっくりと口角を上げ、足を止めることなく、歩を進めた。

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