第10話

 試験は最終日を迎えた。当初の予定では今頃血みどろの生存競争が繰り広げられているはずだった。しかし、打って変わって平和そのものだ。朝から校舎の中を歩いてみたが、生徒の姿は見えない。いや、食堂でご飯を食べるアシュリンだけは見かけたか。相変わらずマイペースな子だ。

 セリルは校舎を一周すると部屋に戻り、精神を統一する。油断こそが最大のトラップだと教えられたからね。目を閉じ、一定間隔で息を吸い、そして吐く。静かな空間に呼吸音と時計の音だけが響く。刻々と時間は過ぎていき、時計の針が夜の十時まで十分となったところでセリルの目が開かれる。

「さて、行こうかね」

 万全のセリルは軽い足取りで一階まで降りていく。月明かりで照らされた廊下を抜け、下駄箱に辿り着くと案の定そこにはクロエがいた。

「遅かったですね。一瞬、嵌められたかと思いましたよ」

「流石のボクでも生徒にそんな嘘はつかないよ」

 クロエは「どうだが」と悪態をつく。実力以外の部分で本当に信用ないね。緩んだ会話の最中、割り込むように足音が響く。研ぎ澄まされた感覚のせいで自然とその方向へと視線が動く。

「クロエも来てるんだ」

 現れたのはアシュリンだった。薄暗い廊下で照らされる美しい白髪が幻想的に煌めいている。

「アシュリンもアメリアに呼ばれていたんだろ?」

「そう。でも、もう一つ目的がある」

 そう言ってアシュリンは懐から透明な小さな箱を取り出した。しかし、薄暗いせいか何が入っているのかはよく見えない。

「なにそれ?」

「シロの首。これで私は合格でしょ?」

 一瞬、言っている意味が分からなかった。セリルは混乱しつつもアシュリンに近づき、箱の中身を確認する。確かにそこにあったのは切断された鼠の頭部だった。彼女が家族だと語った唯一の存在が虚ろな瞳を浮かべている。

 合格条件は仲間の首を持ってくること。彼女は忠実にその言葉を守って愛しているはずの存在を手にかけたってことか。

一日目に感じたアシュリンの殺意は本物だった。よって、彼女の思いも本物。人間でなかろうと暗殺協会が望む条件は達している。セリルは頭を押さえつつ息を吐いた。

「ああ、合格だよ。ボクが最初に言った合格条件は満たしているからね」

「よかった。もしダメならシロの死が無駄になるところだった」

 アシュリンは愛おしそうに透明な立方体を撫でる。その瞳には紛れもなく哀しみの感情が色濃く表れていた。元々、可笑しな子だとは思っていたが、ここまで常軌を逸しているとは……。やっぱりボクに見る目はないね。

 アシュリンは家族の遺体を懐に仕舞うと、腰のナイフをゆっくりと引き抜いた。

「これで安心して協力できる」

 アシュリンは表情を変えることなく、ナイフを投擲する。何故かそのナイフの行き先はクロエであった。この程度なら大丈夫だろう。セリルはあっさりと攻撃を見逃した。

 しかし、一秒後に聞こえてきたのはナイフを弾く音ではなく、少女のかぼそい悲鳴だった。

「クロエ!」

 少女の方へ視線を向けると右肩にナイフが突き刺さっていた。傷口から噴き出た血が服を赤く染めている。よく見ると彼女は小刻みに痙攣しており、今にも倒れそうだ。

——毒か!

セリルは咄嗟に横の壁を壊そうとするが妨害するようにアシュリンが組み付いてくる。素早い打撃の嵐に華麗にさばいていく。

「何故クロエを狙う!」

「そういう作戦らしい」

 セリルは攻撃を逸らすと同時に彼女の態勢を崩し、回し蹴りを叩きこむ。アシュリンは薄暗い廊下を転がり、うめき声をあげる。再び近場の壁に向かって動こうとした瞬間、視界の端に一人の少女の姿が映った。桃髪の少女は笑顔で銃を構え、引き金を引いた。銃口の先に居るのはまたしてもセリルではなく、クロエ。セリルは舌打ちを漏らしながら腰のナイフを抜き、銃弾を逸らす。からんからんと響く薬莢の音が妙に癇に障る。

「ダメだよ、セリルん。そこを離れちゃ」

 アメリアは絶え間なくクロエへと弾丸を送る。セリルは仕方なく防御へと回る。攻勢に転じたいところだが、一切の隙を生まないために二丁の銃を交互に使い、リロードする時間をカバーしている。

「ほらほら、早く起きてアシュアシュ。狩りの時間だよ」

「……分かってる」

 アシュリンは気だるそうに立ち上がると恐ろしい速さで迫ってくる。弾丸と狂気の獣のアンサンブルは見事言う他ない。アシュリンとアメリア、それぞれがお互いの致命的な隙を消している。反撃しようにもクロエも庇いながらではままならない。

「せん……せい。すきに……やって」

 クロエは振り絞るように言葉を紡ぐ。彼女は自分を見捨てろと言っているのだろう。

「そうはいかないよ。これに巻き込んだのはボクの浅慮だ。それに生徒を見捨てたら先生失格だろ?」

 セリルは心配させまいと笑顔を浮かべながら右手で弾丸を捌き、左手でアシュリンの猛攻をいなす。

しかし、超人と言われるセリルであってもぎりぎりの攻防を強いられていた。暗殺者として人を庇いながら戦うことなどない。その性質ゆえ彼はこの状況からの打開策を見いだせないでいた。

「まだまだ弾丸は尽きないよ。セリルん、頑張って!」

 挑発めいた言葉と共に無数の弾丸とアシュリンが襲い掛かってくる。しかし、解せない。何故この二人が組んでボクを襲うのだろう。そして、アシュリンは『これで安心して協力できる』と言っていた。もしかするとあの協力はアメリアにではなく……。

思考に気を取られていると一発の弾丸が肩をかすめた。

「目移りしちゃダメダメ。私たちをもっと見てくれなきゃ」

 アメリアは蠱惑的な笑みを浮かべると赤紫色の球を放り投げてくる。嫌な予感しかしないが避けるという選択肢は存在しない。セリルは腰のナイフを一本投擲し、その球を貫く。すると、紫色の煙が噴き出してくる。その煙は余程重いのか地を這うように広がっていく。セリルは倒れているクロエを一瞥すると、アシュリンを巻き込むように大ぶりの蹴りを繰り出した。大鎌を振るうようなその軌道のせいであっさりと受けられたが、威力は十分。アシュリンは数メートルほど吹き飛ばされた。

しかし、セリルの狙いは攻撃ではない。ゆっくりと広がっていた毒の煙が突風に晒され、侵攻を止めていたのだ。その間にセリルはクロエを担ぎ上げ、背負う。

「せん……せい?」

「ちょっと捕まってて。流石にあの煙を吸わせると不味そうだ」

 赤紫の球から出た煙は収束したが、アメリアがあれ一つしか用意していないわけがない。そして、彼女らに一度見せた手段は通じないだろう。やりにくいな。こっちは二人の攻撃を防ぎつつ、未知の戦力にも警戒しないといけないのに。セリルは頭の隅に金髪の少女の姿を思い浮かべる。

「セリル。流石にそれじゃあ、勝負にならないと思う。そろそろ荷物は下ろした方がいい」

「ボクは荷物なんて背負ってないよ。体の一部のようなものさ」

「そう、後悔させてあげる」

 アシュリンは速度を上げた。やはり、まだ全速じゃなかったか。先ほどよりも苛烈な猛攻を片手で必死に捌く。だが、徐々に打撃がセリルへとかすり始める。

「おやおや、セリルん。動きが鈍って来たんじゃない?」

 白い球を片手にアメリアは挑発的な笑みを浮かべている。どうやらこの場に撒かれている毒はボクにも若干ではあるが効果があるらしい。先ほどから指先が震え始めている。僅か一日でそんなものを用意するなんて大したものだ。本来なら称えるところなんだけど生憎そんな余裕はない。本格的に不味いね。

「アメリア、アシュリン、君たちと取引してるのはマーセルなんだろ?」

「さあ、私馬鹿だからわかんなーい」

「私も」

 全く話すきはないのか適当にあしらってきた。しかし、彼女らに一切の動揺が見られないこと自体が確たる証拠。今回の黒幕はマーセルだ。後はいつ彼女が仕掛けてくるか……。一瞬の気の緩みを感じ取ったのかアメリアは白い球を放り、弾丸で撃ち抜いた。すると、白い煙がまるで霧のようにあたりを包み込む。一寸先も見えないほどの完全な目くらまし。相手にとっても最大のチャンスだ。

 セリルは煙の僅かな揺らぎも見逃さぬよう目を凝らす。

 ——ありがとう、先生。そして、さようなら。

 この一瞬の時まで潜んでいた獣は牙を付き立てんと肩に刺さったナイフを抜いた。その赤く濡れた牙はセリルの首筋へと吸い込まれていく。

弱者を演じ、状況をコントロールする。理想的ともいえる暗殺者の資質が彼女に絶対的強者を屠る千載一遇の機会を作り出した。

勝利への確信が彼女の顔に獰猛な笑みを浮かび上がらせる。まるで気分は賭けに勝ったギャンブラーであり、その思考はすでに未来へと移ろうとしていた。

 ——しかし、潜んでいたのは一人ではない。

 突如、天井が切り裂かれ、崩壊した。その音にこの場にいる一人を除いたすべての人間の脳裏には驚愕の二文字が浮かんでいた。

 例外の存在は落下していく瓦礫を足場に加速し、腰に下げられた刀を抜刀する。その剣線は獣の牙をへし折り、続けさまに振るわれた鞘で獣の顔を殴りつけた。セリルの背から落ちた少女は華麗に受け身をとり、ゆっくりと立ち上がる。

 白い煙が晴れ、ようやく全員が事態を認識する。

「やってくれたわね」

「そうかしら? ここからが本番でしょ?」

 クロエの頬の皮膚らしきものは剥がれ落ち、本物の顔がむき出しになっている。クロエだったものは頬を触るとため息をつき、顔の皮を剥いだ。現れた顔は紛れもなくマーセルのものだった。確かに彼女は潜んでいた。クロエとして……。違和感さえ感じさせない完璧な演技で変装していた。それが事件の結末だった。

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