その辺に植えてやろうか
大教国の中央聖都エルベノンは、それそのものが一つの巨大な神殿の構造を成している。周辺に広がるのは赤く焼けた荒野だ。自然界に存在する霊素を吸い上げてしまったため生まれた、枯れた土地でもある。
同様に河川も干上がっていた。
そこにかかる巨大な橋を、都へと人員や物資を運ぶ霊素機関車が疾走する。
空にはいくつもの航空船が信号灯を明滅させながら行き交ってもいる。その下には尖塔が林立している。都の中枢部へ行けば行くほど高くなるそれは教会によって管理される大聖堂の庁舎だ。聖都とは交通の要にして、この世界における宗教的拠点でもあるのだった。
そしてそんな広大な神殿都市の一角に、学院は存在している。
城郭を思わせる外壁に囲われた区画には植物が生い茂り、幾本もの水路が切られていた。清流のせせらぎは人工のものだが、その景観は美しく規則正しい様式美を誇っていた。
(一種の治外法権エリアともいえるのかな?)
ユタ・エッジワースと共に敷地内を散策しながら、ルルはそんな思索を巡らせている。
ここへやってきたのは物見遊山が目的ではない。
もちろんイジチュール家から脱出したかったというわけでもない。
この世界で生き抜くために必要な知識と、そして戦力たりえる舞踏戦騎の技術を手に入れるためだった。設けられたタイムリミットは約三年間だ。
だが、そんな悠長に構えてもいられない。この世界に召喚されたかつての自分とは死んだ身だ。有無を言わさず奪われた自身の人生を取り戻すことはすでにかなわない。だからこそ、せめてルル・ベアトリクスの無念だけは晴らすべきだろう――そう考えている。
(それが生きること――)
そのためには、この一切を始めた者への制裁が必要と考えていた。己が何者なのか? そんな自分探しをするのは後でいい。ルルの頭の中は、とにかくこんな不公平な世界を作り上げ維持しているものへの憎悪に満ちている。そう、とにかくそいつらをぶっ潰す。それまでは市勢に紛れているべきだと、そう考えていた。
「しかし……なんだなぁ、ユタ」
「どうかしましたか」
「この世界は戦乱が絶えないと聞いているが、その割にはこの学校は静かなものだよな。だってそうだろう? 各地域からやってくる生徒たちは、元を辿ればそれぞれがいがみ合い対立する国や自治領の者たちじゃないか。それなのに――」
「ええ、そうですね。この学校は教会がすべてを管理する、超法規的領域ともいえます。学院外でのいざこざは持ち込んではならないのです。そして平等に知識と技術を習得し、各々の領地へと戻ることで舞踏戦騎士の称号を得る。それこそが世界に公平性をもたらすと……これは聖エクセビウスのお言葉ですが」
「なんとも妙なルールだな。それだけ聞くと、まるで教会が戦争をコントロールしているようにも感じ取れる。言ってみれば、だ。こんな学校さえ存在しなければ、世界はとっくにどこかの国家が統一して平和が訪れているのではないか?」
「……わたしにはそういうことは分かりませんが、聖エクセビウスのお考えになった平等とは、誰しもが持って生まれた才覚を活かせる世の中、ということなのではないかと」
「ふぅん、持って生まれた……ね」
とんだ屁理屈だ、とルルは心の中で毒づいた。
なんだかんだと御託を並べてみたところで、結局、この世界を作り給うた賢者様とやらは、「持たざる者」のことはハナから勘定に入れていないのだ。霊素はあって当たり前――持たざる者に生きる資格なし。つまりはそういう理が支配する世界なのだろう。
「好かないんだよね、こういうの」
「えっ?」
「いいや、ただの独り言だよ。それよりもユタ、あそこに人が集まっている。行ってみようじゃないか」
言って、ルルはユタの手を引いて駆けだす。その先にあるのは、噴水を中央に設置した広場だった。
「うん? あいつは東条レオンとかいったか」
「ルル、上級生に対して呼び捨てはまずいです……。それにあのお方は東条伯爵家の嫡男です。教会内部にもかかわりのある一族と聞いていますよ。下手なことは口にしない方が……」
「ユタは心配性だなあ。なに、気にすることはないさ」
そう言って人の群れに割って入ってゆくルル。ようレオン、何をやっているんだ? そんな声が聞こえてくる。無作法の極みだ。ユタは思わず目を閉じた。
「ルルか。おぉい、みんな――ルルが戻ってきたぞ」
レオンはそう言って少女を輪の中へ招き入れた。ざわつく周囲。注がれるのは好奇の視線だ。そしてそれは決して居心地の良いものではない。
人だかりを作っていたのは紫色のクロークだった。
よって三年生の集団であると理解する。いずれもかつてのルルが席を共にしていた連中なのだろうか。本人の記憶を探ればその答えも見つかるはずだったが、あいにくとかれらについての情報は欠落していた。
(この器もずいぶんなじんだということだろうか?)
それは、召喚されたかれがルルの肉体をほぼ掌握した証でもある。記憶と経験は常に上書きされ蓄積されてゆく。かつてのそれが希薄なものであればなおのことだ。つまり――
(ルルはこいつらに対してあまり強い印象を残していない……あるいは、嫌な思い出として記憶を封じてしまったか、かな)
なんとなく理解できる。
霊素を持たぬ彼女がこの学院でどういう立場であったかは、容易に察せるというものだ。
「聞いてくれよみんな。こいつったら、俺たちのことを忘れていたんだぜ」
レオンが言うと、周囲の者たちはさざめくようにして笑った。
「もともと頭の回転もよくない奴だったからな、仕方ないさ」
取り巻きの一人が言う。どっと馬鹿にしたように周囲が沸いた。
(やはりか――)
ルルという少女はいじめられていたのだ。もっとも、それもすべて予想通り。イジチュール屋敷の連中がそうであったように、学院内にも彼女の居場所はなかったのだ。
「で、わざわざ挨拶に来たってことは……分かっているんだろう?」
「は?」
「『は?』じゃなくてさ、いつも俺たちにお小遣いくれてたじゃないか。さっきから変な言葉遣いしているが、俺たちに
「…………」
「まぁそれでも逃げ回らずに自分からやってきた点は褒めてやるぜ。お前が退学してからこっち、俺たちずっと金欠病でさぁ~。分かるよな?」
「だからカネがいると」
「さっきからそう言ってんだろォーッ。相変わらず鈍いやつだなお前は。とりあえず
馬鹿なのかこいつは。
ルルは思った。同時に学院内の治安にも疑惑の念が湧いた。力あるものがそうでないものから吸い上げる構造は、ここでも健在なのだ。それが当たり前とされているのか、はたまたかれらの間だけで構築されたローカルルールなのかはわからないが……。
「俺たち上級生がこれからも仲良くしてやろうって言ってるんだぜ。そういうのを誠意っていうんだ。幼年学校で習わなかったのかな? 誠意には誠意で答えるべきだと……。なあ、聞いてんのかよ、このウスノロッ」
どうにも、とルル。屋敷のやつらもそうだったが、この世界の連中は罵倒語が低俗すぎる。
「なぁ、ルルよ。物分かりが悪いようだから、ここらで一つお勉強しようか。物事にはすべて相性ってものがあるよな? 相性だよ相性。例えばだ、コーヒーとチョコレートってのは全く違う物なのに組み合わせの相性いいだろ。チョコレートとバナナもだ。バナナと牛乳もいい。チョコレートと牛乳、牛乳とコーヒーもいけるよな? だがバナナとコーヒーは致命的に合わねぇ。なんでかは知らん。だがそういうふうに世の中できている。俺たちとお前は、つまりそういう関係だ。そんな俺たちが交換手段である小遣い一つで仲良くしてやると言っているんだぜ……これ以上は言わせるなよ、先生が来ちまうだろうが」
「例えは的確だが、言っている意味はまるで分からんな。まるで精神病患者の妄言のようだ」
「何ィ?」
ざわめき始める取り巻き。当のレオンは顔を紅潮させている。
「髪と同様に顔まで真っ赤だな。ひょっとして
そう言ってルルは笑った。
「レ、レオン……こいつなんか前と雰囲気が違うような……」
今頃になって気づき始める取り巻き立ち。あまり賢いようには見えないが、それでも三年次まで進級した連中だ。基礎的な霊素はじゅうぶんに兼ね備えているはずだった。そうでないのだとしたら――
「袖の下でも渡したか?」
「なん……だと……」
言葉を失うレオン。
でたらめに言った言葉だったが、どうやら的外れでもなかったようだとルルは確信を得る。霊素同様に、個々人の所有する財産もまたここでは権力の証なのだ。金欠と言っていたが、実際そうなのだろう。思うに、実家である伯爵家からの仕送りの大半は、学院への
「この
クロークの胸ぐらをつかむレオン。
返す刀で捻り上げようかとルルが思ったその時――
「何をしているのかね」
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