聖都エルベノンへ

 イジチュール家の次男、アルゴスが死亡したという知らせが屋敷を駆け抜けたのは、翌朝のことだった。庭師のシゴルヒが仕事道具を取りに行ったとき、それは発覚した。


 シゴルヒが目の当たりにしたのは、無惨にも両目をくりぬかれた巨漢の死体だった。

 おそらく即死でしょうと、早朝から屋敷に駆け付けた医者は言った。


 アルゴスの、がらんどうになった眼孔からは赤黒い神経線維が見え隠れしている。肝心の眼球の行方はわからない。持ち去られたのか、何処かに遺棄されたのか……いずれにせよ、猟奇的な殺人現場だった。


「ああ、アルゴスお兄さま。なんてお姿に……」

 

 泣き崩れるのはマリリンだった。ヒンドリーも悔しそうに顔を歪めてはいる。

 だが、それらがただのパフォーマンスに過ぎないことを使用人たちは理解してもいた。


(先代の伯爵さまが残された莫大な財産。その相続人が一人減ったのだ。表向きは悲しんで見せてはいるが、内心は喜んでいるはずだ)


 そのようなことを誰もが思っている。


「……死亡推定時刻は」

「体内の残存霊素量から逆算するに、おそらくは昨晩遅くでしょう」

「そうか」


 ヒンドリーがそう言った。


「いずれにせよ犯人を捜さねばなるまい。もっとも、見当はついているが――」


 それはもちろんルル・ベアトリクスのことだった。

 ルルは先日から、何かに目覚めたかのように殺気を放っていた。殺人に至る動機も十分にある。それだけのことをかれらは彼女にしていたからだ。


(しかし、殺害された時刻が正しいとするならば、屋敷の誰にでも嫌疑は生じてくる)


 こういうとき、ヒンドリーは計算高い男だった。弟をやったのはルルで間違いないだろう。だが、それを逆に利用する手はないものかと考えてもいる。冤罪をでっち上げるのだ。上手くいけば遺産相続人の一人であるマリリンを屋敷から追放することも可能ではないか……。



 ***



 学院に続くのは鉄路だった。

 轟音を響かせながら霊子機関車がそこを駆け抜ける。イジチュール屋敷からの距離は相応にあると見えた。


「聖エルベノン大教国、か」


 教会の管理する学院はそこにあった。

 場所は大陸のほぼ中心に位置する中央聖都エルベノンだ。この世界を統べる三賢者の一人である聖エクセビウスが開いたとされる学問の場だった。


「書庫にあった文献から得た知識によれば、大陸の東部地域を統括するのが聖ヒエロニムス、西部地域が聖ソポロニウス、と」


 それが三賢者の名前だった。

 もっとも、かれらがどこに座すのは公にされていない。聖エルベノンの大聖堂にいるという話もあったし、あるいは北部地域に広がる神殿群が本拠地とも噂されていた。


 要するに、伝説上の人物なのだ。


(持って生まれた資質だけが社会的地位を左右する、このイカれた世界を作った張本人たちだ)


 ルルが抱える憎悪は、次なる対象をかれらに向けている。


(生まれ持った霊素だけが全てというのは明らかに間違っている。そうであるならば、貧しきものは一生そのままでいなければならない理屈になる。なんと馬鹿げた制度を創ったものよ)


 車窓に身を預ける少女はそんなことを考えていた。


「それにしても……」


 忌々し気に目の前を見やる。そこには、同じく聖都学院へ通うこととなったマリリン・イジチュールがうたた寝をしていた。こんな時でも彼女は大きな花の髪飾りを外さない。赤と黒という毒々しい配色のドレスもそのままだった。


「よもや、こいつら兄妹……着るものがこれしかないのではないか?」


 もちろんそんなはずはなかったが、かれらがいつも同じ服装をしているのは気になる点ではあった。洒落っ気を持ち合わせていないのか、あるいは単純にその服ばかりを所有しているのか。いずれにせよ頭のおかしな兄妹に違いなかった。


「せめて座席ぐらいは別々にしてほしかったがな……」


 何が悲しくてこんなおかしな娘と向き合って列車に揺られなければならないのだろう。ともすればその横っ面を張り飛ばしたくなる衝動にかられながら、ルルはひたすらこの先々のことへ思考を巡らせている。


 夜明け近い時刻だった。。

 車窓から見える地平が黎明の輝きを放っている。まなざしが見つめる先にはその栄光を彩る中央聖都エルベノンの尖塔が、白くハレーションを起こしたかの如く発光し、林立していた。


(唾棄すべき虚栄の象徴だな)


 それから数刻の後、列車は聖都へと続く長い大橋へと進入した。

 大きく軋みをあげて、一時停止する。何かの検問があるのだろうかとルルは身を乗り出した。


「霊素貯蔵槽の積み下ろしですわ。いつもこの場所で、各地域から集められたものの荷下ろしが行われていますの」


 いつの間にか目覚めたマリリンがそう言った。

 なるほど、とルル。どうやら霊素という媒体は物質化して運搬することもできるようだと知る。まだまだ習得せねばならぬことは山のようにありそうだ……。


「あんまり物珍しそうにきょろきょろしないでくださる。田舎者に思われますわ」

「それはお前とて同じことだろう」


 マリリンの忠告をルルは一蹴する。それはそうだ。いくらイジチュール伯爵家が騎士の称号を預かるとはいえ、片田舎から出てきた身には違いないのだから。


「本当に口の悪いお方ね」


 果たして荷下ろしはすぐに終わったらしく、列車はその緩慢な動きを再開する。今度こそ聖都への到着だ。


「……随分と温暖湿潤な気候なのだな、大陸中央部とは」


 列車から降り立った駅舎内は、程よい温度に調整されていた。これも霊素機関の恩恵なのだろう。地方から納められたそれは、こういう形で活用され市民の生活に還元されている。言ってみれば、霊素とは税金のようなものでもあるのだ。


 そしてくぐるのは三賢者を象った聖像をあしらう巨大な石門だった。マリリンによれば、この向こうがそのまま聖都学院の敷地なのだという。舞踏戦騎を育成するための養成機関であり、同時に戦力が集中する都市の重要拠点でもあった。


「……空を行く船があるな」

「航空船ですわね。陸路を利用できない入学生たちは、みなああやってここへやってきていますのよ。大半が地方出身の貴族。ああ、自家用の船を保有しているなんて素敵ではございませんか。ねえ、そうは思いませんこと?」

「思わないね」


 御託を並べ立てるマリリンを尻目に、ルルは一人歩きだす。

 入学のための手続きはすべてヒンドリーに任せておいた。妙な仕込みをしたら有無を言わさず屋敷ごとぶっ飛ばすと、入念に脅してのことだ。もっとも、仮にその妙なことが仕組まれていたとしても――


「むしろ望むところかもしれん」

「えっ、何か仰いまして?」

「いいや何も」

「つれないのですね、ルルは。これから同じ学年になるのです。せっかくですからもっと仲良くしましょうよ」


 軽薄な台詞。全くもって調子のいい娘だ……。ルルが冷たい視線を向けると、イジチュールの愚妹は気まずそうに目をそらした。これまでの鬱積は全く清算されていない。そのうちにこいつも片づける必要があるだろう。だが、それまではせいぜい案内役として役立ってもらおう。ルルはそう考えている。

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