あざける

「アキくんって、松田さんとつきあってるんでしょ」

 そんなひとことを聞いたのは、高校を卒業したすぐあとだった。大学に行く前に集まろうと、当時からクラスの仕切り役だった男子が幹事となって、中学校の同窓会がひらかれたのだ。

 中学時代よく一緒にいた女の子たちは何人か同じ高校に進んだけれど、クラスが離れていつしか疎遠になっていった。その日は懐かしくも感じる友人たちと、違うクラスの人たちが大勢集まった。そしてその中に、アキもいた。

「五月ちゃん、久しぶりだね」

「あんまり会わなくなったもんねえ」

「なんか大人っぽくなったね」

 ね、ね、ね。この相槌が懐かしい。中学時代はみんな、話した瞬間に同意を求めていた。会話の上では、ね、と視線がいつも交錯していた。

「うん、元気だよ。みんなも大人っぽくなったね」

 同窓会といっても未成年の集まりだから、駅前にある安っぽいピザ屋で食事をするだけだった。ただ幹事がとても張り切ったようで、その会には三十人ほどがあつまり、店も貸し切りにしたということだった。

 アキの姿を確認してからは、なるべく彼の近くの席に座ろうと様子をうかがった。けれどアキのまわりにはつねにだれかがいた。

 とくべつ派手なわけではなかったけれど、彼はひそかに人気者なのだ。横柄な態度をとらず、みんなに優しい。先輩からはかわいがられ、後輩からは頼られる。そんな性格。

 私はそこにいるだれよりアキのことを知っているはずだった。笑ったり泣いたり怒ったりをしてきたのを、だれよりも知っている。だれよりも私との歴史のほうが長い。だから松田美代の名前が出たとき、私の中で膨れ上がったのは、なぜ、という単純な疑問だった。

 なぜ、私ではなく松田美代なんだろう。

 松田さんとつきあってるんでしょ、という質問を投げたのはひとりの女の子だった。クラスが違うから話したことはない。名前もわからない。けれどなんだか馴れ馴れしい態度でアキの近くにいるから、私はずっと拗ねていた。

「うん」

 声帯をしっかりと通って、潔く飛び出してくるアキの声。とっくの昔に声変わりをしたその低音は、彼の魅力のひとつになった。

 アキが頷くと、まわりが一層盛り上がり、矢継ぎ早にどんどん彼へ言葉が投げかけられる。

「いつから?」

「中学校のときからなんでしょ?」

「すごい、長くつきあってるんだね」

「あ、そっか。だからアキくん頭いい高校行ったんだ。松田さん勉強できたもんね」

「今日松田さんは来てないの?」

「あ。そういえば前に一瞬うわさになったよね。夏祭り、一緒に行ってたでしょ。あれ何年生のときだっけ。みかけたって言ってた人がいたんだよ、二人の姿」

 うん、中二から。もう五年近く。勉強は教えてもらったんだ、大変だったけど。美代は、今日実家の用事があって。そう、つきあう前に、一緒に夏祭りに行ったことがある。だから二年生の夏休み。

 アキはひとつひとつの言葉を掴み、丁寧に返していく。少し、照れくさそうにしながら。そんなやりとりを、私は斜め後ろのテーブルからじっとみつめていた。食べかけのピザから具とチーズが垂れて、手首につく。べたりとして熱いな、気持ち悪いな、そう考えたときに、まわりの女の子がささやき出した。

「やっぱり松田さんとつきあってたんだねえ」

「でもお似合いかも。松田さんって目立つタイプじゃなかったけど、成績もよかったしなんか上品だったし、アキくんって、そういう子好きそうじゃない?」

「ねえ、五月ちゃん」

 手首についたチーズを拭こうと、おしぼりを手に取ったときだった。名前を呼びかけられたその瞬間に、既視感のある映像が私の頭を駆け巡る。アキの部屋の、なぜかベッドにあった不自然なものたち。みおぼえがあるような気がしていた、女物の髪ゴム。

「もしかして、まだアキくんのこと好きだったりする?」

 なぜ、そんな聞き方をするのだろう。絶対という言葉を使ってまで、アキの気持ちが私に向いていると言ってくれた女の子たちが。どうして私がアキを好きではないという前提の聞き方をするのだろう。

「ねえ私、アキとキスしたことあるんだよ」

 そう言ってから、残っていたピザを口に入れた。えーっ、という歓喜の声が飛び交うのを待った。そうやって驚かれたり楽しませたり周囲を幸せな気持ちにさせるのは、私の役目だった。アキの特別な幼馴染みである、主人公である私の。

 えーっ。女の子たちはたしかに声を上げた。けれどそこに混じっているのは歓喜ではない。思っていたよりも低い「えーっ」。そのあとくすくすと、いやに耳に残るような笑い声が続く。中学校のころ、教室で聞いた女の子たちの楽しげな声は、いつだってやわらかく響いていた。心地がよかった。けれどいまは、きもちがわるい。同じ人間が、どうしてもうあのやわらかな雰囲気をつくりだせないのか不思議だった。

「五月ちゃん、それっていつの話してるの」

「小学校? そんな昔のこと」

「もう関係ないよね」

「アキくんもきっと忘れてるよね」

 ね、ね、ね。同意を確認するというよりも、ね、をべったりと互いに塗りつけているような。確認するまでもなく、私以外の彼女たちが同じ気持ちでいるんだろうということがわかった。

 自分に対しての悪意、そういったものを感じられるようになるほど、私は成長した。けれど生きていれば、そんなことはたくさんある。嫉妬だってされるだろう。主人公というのは、ときに損な役回りをすることもある。

 でも私は傷つかない。だってこんなのはすべて、私が幸福になるための布石でしかない。主人公以外は、すべて主人公を際立たせるための脇役である。

 私には、アキがいる。この先も、アキがいてくれれば。それ以外は、なにもいらない。アキは絶対私のことを好きになる。その未来がくるまで、私は待つ。

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