うけとる

 突然のご無礼を、どうぞお許しください。以前よりあなたのことを存じており、どうにかして接点をつくりたいという思いが膨れ上がり、いてもたってもいられず、ついに手紙を出す決意をしました。

 存じているといっても、面識はございません。わたしが住む部屋のベランダからあなたが見えるだけです。時間は七時三十分頃。毎朝、部屋から双眼鏡で何かをのぞいてらっしゃいますね。自分でも間抜けだと思うのですが、あなたが何を見ているのかどうしても気になって、わたしも双眼鏡を購入したのです。何故かその双眼鏡であなたを覗けば、あなたの視線の先にあるものも見える気がしたのでした。

 当然ですが、あなたしか見えません。しかし、双眼鏡の先にあるものの、実は見当はついているのです。本当に偶然が運んでくれた出来事ですが、あなたが見ているものは、追っているものは、ユキダイラ、もしくはユキヒラという青年ではないですか。彼は、大通りに出て十分ほど歩いたところにあるスーパーで働いています。

 この手紙は、わたしにいつも荷物を届けてくれる配達員にお願いして届けてもらうことにしました。もしもこの手紙があなたのもとに届いていたら、彼はわたしの頼みを聞いてくれたということになります。

 勘違いしないでいただきたいのですが、わたしはあなたの一連の行為を非難したいわけではありません。ただとにかく興味、好奇心を抑えることができずに日々を過ごしています。

 わたしは小説家を目指しています。あなたを主人公にした小説を書きたいのです。

 一度、会ってはいただけないでしょうか。わたしの電話番号と、名前を記載します。あなたのお名前も教えていただけたら幸甚です。


 興梠シズカ 


 夏休みに入って半月が経とうとしていた。大学の夏休みは、中学生のころと比べて長い。一日はあっという間にすぎていく感覚があるのに、いつまでたっても最終日に近づかないような気がする。

 蒸れる暑さに負けてずっと部屋にとじこもっていたときだった。ふいにインターホンが鳴った。モニターを確認して不思議に思う。荷物が届く予定はなかったのに、そこには配達業者がいた。

 お届け物です、と言われて差し出されたのは一通の手紙だった。味気のない茶封筒。みると、私の名前も消印もない。それどころか切手もない。そもそも手紙をわたすのは郵便屋ではないだろうか? 

「本当に私宛てですか?」

 怪しんでそう言ったら配達員は気まずそうに目を逸らした。

「そうです、三階の角部屋ですよね。頼まれたんです」

「頼まれた?」

 運ぶのが仕事なのだから、頼まれるのは当然のことだろう。当たり前のことを神妙に言っているのがおかしかった。

「興梠シズカさんという方から」

「こおろぎしずか」

 変な名前。ふっ、と笑いそうになるのをこらえた。もちろん心当たりはない。一体だれなのかをたずねようとすると、「じゃあ、届けましたので」と配達員はそそくさとその場をあとにした。彼の名前を確認しておけばよかったと思ったが、業者にいちいち電話をしてどういうことなのかと問い詰めるのも億劫だ。それよりも突然舞い込んできた出来事に、私は少なからず高揚していた。

 もしかしたら私はまた、選ばれたのではないだろうか。まったく予想もしていなかった事態が私に降りかかっている。これからなにが起こるのだろう。

 ああアキに話したい。いま自分の身に起きた不可解なことを、教えてあげたい。それから、彼を驚かせたり心配させたり笑わせたりしたい。

「怪しいなあ、そんな手紙読まずに捨てなよ」

「五月が心配だ。俺、しばらくこっちにいようか」

「むしろ二人でどこかに引っ越そうか」

 アキはやさしいから、きっとそんな言葉をかけてくれる。だって昔、日没のなかを私がひとりで歩いているときでさえ、心配してくれたのだ。

 その日、朝いつものように起きたあと、アキはいつのまにか出かけていて、私はつまらない思いで一日を過ごしていた。何度かベランダからアキの部屋を確認したけれど、中で動いている様子がまったくなく、私を一人にさせたアキに対していじけてもいたのだ。

 届いた手紙はすぐに読んだ。知らないうちに自分の行動をみられていたという事実は私を戦慄させたけれど、手紙を読み進めるうちに、そんな恐怖はあっという間に消し飛んだ。

〈あなたを主人公にした小説を書きたいのです。〉

 その一文を目にしたとき、私をつつんだのは歓喜でも驕りでも、もちろん恐怖でもなかった。

 ああやっぱり。そう思った。すべてに納得がいったとき、目の前にひろがったのは透明な海だった。なんの音も聞こえない、静かな水中。どこまでも視界が澄み渡り、私の頭をクリアにする。海面から差し込んでくる光が揺らめいて、私を照らす。ひとつの真実がそこにはあった。

 私は主人公なんだ。この先、唯一無二の幼馴染みであるアキと、だれもが羨むような結ばれ方をする。そうでなくてはならないのだ。その手紙を読んで、こみ上げてくるアキへの思いを実感した。

 今日は火曜日。昼から出かけているアキは、シフト通りならこのあと、最近はじめたスーパーのアルバイトに行くはずだった。彼はまだ、私がこんなに近くに住んでいることを知らない。いますぐ会って話したいところだが、押しすぎないこと、しつこくしないこと、きもちわるくならないこと。この三か条を大切にしなければならない。だから私は、来るべきときのために待っている。

 アキにはいま、恋人がいる。全然意味がわからないけれど、私ではない恋人がいる。でも私は傷つかない。私以外の人間は、主人公を幸福にするための脇役なのだから。アキがに気づくまで、待つと決めている。待つという行為は、私をひたすら輝かせる。

 早く四六時中一緒にいられるようになりたかった。そしたらもう遠くからアキをのぞかなくてもいい。彼のいちばん近くで起きて、きもちのいい朝日を浴びて、ふたりでどこにでも出かけて、たくさん話して、飽きるほど話して、思い出も未来もふたりのものにして、夜は同じベッドで眠る。毎日毎日、この夏休みよりもずっと長い永遠のなか。アキの気持ちを受け取る準備は、とうの昔にできている。

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