ゆめみる

 自分の家に帰るのぞこを見送って、わたしも家路についた。レジデンス岩本というのが、彼女が住んでいるマンションの名前だった。三階の角部屋、下から見守っているうちに電気が点いた。自分の行動もたいがいストーカーじみている。けれど理性はまじめに働かない。自分は選ばれたのだ。

 家につき買った惣菜を電子レンジで温めて、パソコンに向かった。

 愛情が目にみえるなら、どんなかたちをしているだろう。

 ワード文書にさきほど浮かんだ文を打って、温まり終わった惣菜を電子レンジから取り出す。しなしなになった唐揚げを口に入れ、虚しいという感情を排除する。

 前に、虚しさが目にみえるものだったらわたしをなぞったかたちをしているだろうと想像した。彼女だったら、そんな感情とはきっと無縁だ。愛情が目にみえるなら、きっと彼女のかたちをしている。

 のぞこは普段、どんなことを考えて生活しているのだろう。どれくらい人を好きになるのだろう。それを知らずに小説は書けない。

「ストーカー 理由」と打って検索をかけてみる。犯罪、病気、そんな記事が千万以上もヒットした。けれどこの数えきれないほどの情報のなかに、のぞこの本心があるとは思えない。

 インターネットには、膨大な文字があった。そのどれも、ひとつとして同じ文章がないのが不思議だった。似通っていたとしても、どれも違う。それは素晴らしいことであると同時に恐怖でもあった。書こうと思えば、だれでも書きはじめることができるのだ。自分が書かなくても、無限に文章はうまれる。自分が書く必要はどこにもない。

 あてもない不安に押し潰されそうになり、頭を振り払う。かわりにのぞこのことを考える。本当の名前はなんというのだろう。住んでいる場所はわかるのに、名前を知らないと手紙を送ることもできない。そこまで考えて、なんとか彼女と接点を作ろうとしている自分に驚いた。

 そういえばわたしは、小説を書くために具体的な行動に出たことがない。わからないことはインターネットで調べて、文章表現は見よう見まねで繕って、類語や連想語に出てくる日常会話ではめったに使わない語句を並べて、それでできあがるのがわたしの小説だった。

 情報は腐るほどあるのにインターネットには本当のことがない。わたしの知りたいことが、ひとつもない。自分でみつけにいかなくてはならないのに、わたしは今までそれなりの小説で満足していたらしい。

 自分を省みることの情けなさや恥ずかしさは尽きない。けれどのぞこがいれば、わたしはあかるい光を手にすることができるような気がした。のぞこのストーカー行為を直に目撃したときの、気持ちの昂ぶりは嘘ではない。

 ふとあることを思いついて、一冊の本をネットで注文した。昔読んだ気がするが、夏目漱石の「夢十夜」にした。すぐに購入確認のメールが届く。明日お届け予定と出て、あまりに迅速な対応に恐怖すらおぼえる。有能な人間たちが物流にかかわっているのだろう。もしもわたしがその現場にいても、そんなにはやく荷物を届けられる自信がない。

 iPhoneのアラームは、明日も七時二十分に鳴る。いつも朝がくるのがいやだった。太陽がのぼることが怖かった。なにもできない自分を責め立てる、まぶしくて健全な日の光が鬱陶しかった。けれど明日から変わる。わたしはできる。のぞこがいれば。

 目をつむり、眠りに落ちていく前に、夢をみたいと願った。絶対作家になれますよ。そんな心強いひとことを、夢のなかでもいいから言われたかった。

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