すぎさる
夏がすぎて秋がおとずれ、文化祭や体育祭が終わっても、アキからの告白はなかった。クラスの女の子たちは、「クリスマスがあるもんね、理想はその日だよね」と祝福するのを待っている。いっけん変わらないようにみえるけれど、彼女たちの笑顔は、夏がくる前に比べて薄くなっている気がした。もしかしたら、待てなくなってきているのかもしれないと、そう思った。
夏ほど忙しそうでないにしろ、アキは毎日部活に行っているようだった。三年生が引退し、これからはアキたちが後輩を引っ張っていかなければならない。きっとそんな重圧を感じながら、必死に練習をこなしているんだろう。
彼が家に帰ってくる時間を見計らって、私はまたアキの家の周囲を歩いた。アキは自信がないのかもしれなかった。告白をして、私に断られる可能性を考えているのかもしれない。だから私はアキのことが好きなんだと、わかりやすく伝えなくてはいけなかった。
道の隅で、こおろぎが鳴いていた。すっかり日が落ちるのが早くなったこの季節の黄昏時の、心をせつなくさせる橙色が好きだった。だれよりもアキに会いたいという気にさせてくれるどこか懐かしい風は、しうしうと私の恋心を守った。
駅のほうから野球道具が入った大きなかばんを抱えて私のほうに向かってくるアキがみえた。駆け寄るとアキは驚いた顔をしたけれど、「一人で歩いてると危ないんじゃないの」とすぐに私を心配してくれた。
「大丈夫だよ。今までこのあたりで不審者が出たとか聞いたことないよ」
「そうだけど」
今日は甘いコーヒー味の飴。アキがぽろぽろと落とすのを、ひとつ残らず拾いあげる。アキと話す時間はおいしい。優雅な昼下がりに優雅に紅茶を飲むように、私と時間を共有してほしい。私と同じ気持ちになってほしい。こんなに近くにいるのにいまだ気づいてくれないことがもどかしかった。どうして気持ちは、目にみえないのだろう。
「ねえ、昔私たちキスしたことあったよね」
小学生のとき。私たちはとても不器用なキスをしてから、顔を見合わせて笑った。あのときの私たちは、ひたすら純粋だったと思う。でも純粋なだけじゃ大人になれない。
アキからの返事はなく、照れているのだと思った。横顔を盗み見ると、薄暗い夜の帳に光る民家の灯りが、彼を照らしていた。
「……おぼえてないよ」
アキは、嘘をつかない人だ。けれど気まずそうに口ごもるその仕草を見て、おぼえているのにごまかしているのだと思った。見え透いた嘘。恥ずかしがっているのか、私と目を合わさない。そんなアキをかわいいと思う。またアキとキスがしたい。
「私は、おぼえてるよ、あのときのこと」
こおろぎの鳴き声は、いつのまにか聞こえなくなっている。起きたまま夢をみているみたいだ。アキと一緒にいるいまこの時間は、現実味を帯びない。全身が、さみしくなる。そのさみしさを、こまやかに金平糖が埋める。
「秋って、せつなくて好き」
そう言ったら、そう、とやはり私のほうは見ずにアキが小さく口を動かした。
その年のクリスマスは休日だったけれど、アキからの誘いはこなかった。夏祭りと同じようにクラスの女の子たちからの誘いを断ったから、家で過ごした。
翌年の夏、アキたちはやはり部活で大きな結果を残さなくて、「アキはすごく頑張ったと思う」とメッセージを送った。アキからは、ありがとう、とだけ返ってきた。
彼と同じ高校に行こうと思った。いくつも季節が過ぎ去っていくなかで何度か進路を聞いたけど、いつも曖昧に返された。真剣に考えなくちゃだめだよと嗜めてもどこ吹く風といった様子に心配は積もった。
けれどアキはいったいいつそんなに勉強をしていたのか、ずいぶんと偏差値の高いところへ進学を決めていた。私とはぜんぜん違う高校だった。
卒業式の日は、親に言われてアキと並んで写真を撮った。その写真は、もうだいぶ色褪せているけれど、今も大切にとってある。
「絶対にアキくんも五月ちゃんのこと好きだよ」
秋の最中にこおろぎの鳴き声がいつのまにか聞こえなくなるように、そんなことを言ってくる女の子も、気づいたらまわりからいなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます