ひきあう

 七時十五分。夏休み、アキは部活に行くため毎朝その時間に家を出ていた。きらきら輝く朝陽がアキを彩る。まぶしさは、背筋をきれいに伸ばして歩くアキによく似合う。毎朝アキを見送りながら、私も野球部に入っていればよかったと何度も思った。いちばん近くでアキの活躍をみていたかった。だけど私には特権がある。学校内のだれよりも、私はアキの家の近くに住んでいる。私たちのあいだには引力があるのだ。離れられない、引き合う強いちから。

 夏休みに入ったとたん、アキは忙しそうにしていた。毎日毎日、朝から夕方まで部活。せっかくの休みなのに、アキと話す時間がぜんぜんなかった。

 だから毎朝、散歩をするふりをしてアキの家の近くを行ったり来たりした。彼が家から出てきたら、駅までの道を一緒に歩く。クラスのこと、野球部の練習のこと、互いの家族のこと、他愛のない話もアキとならいくらでも膨らんだ。一緒にいると、次から次へと話したいことが出てくる。あの夏、わたしばかりが口を動かしていた記憶がある。

「私文化部だからぜんぜん運動してなくて。だから少しでも身体動かさないとなって」

 すれ違う人は私のことを怪しんだりしない。吉田さんちのおばあちゃん。犬の散歩をする川辺さん。玄関先に水をまく原野のおじいちゃん。むしろほとんどが顔見知りだから、親しげに挨拶を交わしてくれる。私とアキは、小学生のころからこの大人たちにかわいがってもらっていた。私とアキがつきあうことになったら、きっと彼らも祝福してくれるだろう。

 七時十五分になって、アキが家から出てくる。大きなスポーツバッグを肩からかけて、すでに日が高くなっている空の下をしゃっきり歩いていく。思わず見惚れてしまう。いつのまにか、アキが落としていく金平糖や飴玉はかかえきれないほどになっていた。がっしりとした後ろ姿、友だちと話しているときの笑いかた、運動場を走っているときの一生懸命な表情、私を五月と呼ぶときの音程、それからキスをしたときの照れくさそうな顔。ひとつひとつが私に刻まれて愛情を象っていった。

 待ち望んでいるのはアキからの告白だった。クラスの女の子たちもそれを望んでいる。そのためには、が大切だと、教えてもらった。だから私は家を出る時間をアキに直接聞いたりはしないし、アキを待ち伏せしていたことを悟られるような馬鹿な真似はしない。私は、アキのなかで根を張る恋心を芽吹かせるための場面をつくるだけだ。「好きな人」に、会えること。こんなに運命的なことってほかにない。

「ふうん。案外五月ってそういうとこちゃんとしてるんだね」

 まぶしそうに日差しから顔を右手で覆うアキ。隣で話していても私のほうを見ないのは、照れているだけだとわかっている。ああ、こんなに格好良かっただろうか、私の幼馴染みは。いますぐ世界中の人に自慢したい。私のアキを、たくさんの人にみてほしい。

「甲子園、行けるといいね」

「甲子園は高校だよ」

 アキの少し呆れた声が好きだと思う。子どもの言い間違いを正すように説明をするアキが好きだと思う。だから私はわざと常識はずれなことを言っている。甲子園が高校生のものだということなんて、知らないわけがないのだ。

 馬鹿なふりをする私の頭をなでてほしい。かわいいって思ってほしい。しょうがないね五月は、と言って、私に癒されてほしい。こぼれてくる。無尽蔵に私の足もとに落ちてくる色とりどりの金平糖を、拾いあつめる。

「あ、そっかあ、甲子園は、高校だ」

 にっこり笑って視線を投げると、ちょうど日差しがアキの顔にかかる。表情はよくみえなかったけれど、私と同じように笑った気がした。

 駅が近づくにつれて離れがたくなっている。けれど明日もまた会える。だから私は大丈夫。しつこくしないこと。押しすぎないことと同じくらい、大切なことなんだそうだ。

 がんばってね、と肩を軽くたたくと、アキは私の手を払った。恥ずかしがり屋のかわいいアキ。はやく大きくて頼もしいその手が私をつつむ日が、近いうちにおとずれるのだと信じていた。

「じゃあ」

 そう言って、アキは一度も振り向かずに駅へ向かっていく。別れてすぐに会いたくなる。アキが存在しているこの世界は美しかった。どんな景色も輝かせた。

彼の後ろ姿を見送ったあと少し視線を泳がすと、駅の屋根に鳥が数羽とどまっているのがみえた。その鳥の名前は知る由もなかった。でもそんなことはどうでもよかった。その鳥の名前がなんであろうと、どんな姿をしていようと、羽根やくちばしごと抱きしめたい気分だった。

 夏休みがはじまったばかりの朝、これから起こりそうなことを想像するだけで胸が躍った。夏はいつも短い。だけど短いからこそ、夏というのはいつでも輝かしいのだ。

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