そなえる

 虚しさが目にみえるのなら、きっとわたしの身体をなぞったかたちをしているんだろう。猫背で前屈み、重く跳ねる薄くも濃くもない髪。幼少の頃、母親に「星の王子さま」を薦められて読んだことがあった。そこに「ゾウを呑み込んだウワバミ」というものが出てきたが、もしもわたしをそんなふうにシルエットにしたとしたら、中身はどんなものが入っているだろう。物語のなかの大人は皆、星の王子さまが描いたあのシルエットを帽子だと思い込んでいた。あのゾウは、ウワバミのなかで動けずにゆっくりと消化されていくのだという。大きな体が少しずつ消えていくのは恐怖だろうか。それとも安らぎだろうか。


 小説をはじめて書いたのは大学生のときだった。昔から友人と呼べる人間はおらず、人の輪のなかにいる人物がいつも羨ましかった。わたしも注目されてみたかった。その手段として小説を選んだのは、自分でもできそうだと軽く考えたからだった。

 絵は描けなかった。楽器も弾けなかった。撮影の技術もなかった。運動神経もなかった。成績は中の下だが、国語はそれなりによかった。たまに読書もした。書店でふと手に取った小説をぱらぱら読んでいくうちに、自分のほうがうまくできると思うようになっていった。

 はじめてネットに小説を公開したときは、あまりの反応のなさに拍子抜けした。多くの人がわたしの小説をみつけて絶賛してくれるのだと思い込んでいた。自分にもできると思っていたのはただの勘違いだったのかと早々に筆を折ろうとしたとき、その感想が届いた。

〈文章上手ですね。プロの方ですか?〉

 自分が書いたものがだれかに届いたという実感。それから褒められる快感。その喜びは、それからも小説を書いていく理由にするには十分だった。

〈全然プロじゃないですよ。これもはじめて書いた小説です。〉

 返事を書いたら〈すごいですね。絶対作家になれますよ〉、そう返ってきたのだった。

 初めて賞に応募するための作品を書き上げたときの達成感は言葉にできない。はじめて自分というものを見出せたような気すらした。わたしは作家になる。作家になるべき人間。作品を送ればなんの障害もなく道がひらけると思った。

 最終選考に残ると電話がかかってくるのだという話は、ネットにたくさん書かれていた。匿名掲示板では電話がこないと嘆く者たちの書き込みを眺めながら、この瞬間にもわたしに電話がかかってくる、とiPhoneが鳴るのを待った。

 結局電話なんて一度も鳴らなかった。選考経過が掲載された文芸誌をひらいても、わたしの名前はなかった。一次選考すら通っていなかった。汗で滲んだ両手で文芸誌を棚に投げつけ、買わずに家に帰った。その間、心臓の動悸はずっと止まらなかった。

 審査員が絶賛したというそのときの受賞作は、読む気にならなかった。

 しばらく落ち込みはしたが、きっと下読みに見る目がなかったのだと自分に言い聞かせ、また小説を書きはじめた。大学を卒業して働くようになってからも執筆はやめなかった。むしろ、社会人になってからのほうが、意欲的に書いている。

 会社で褒められることはほとんどないが、書いた小説をネットに公開すればだれかしらに褒められる。だからわたしは小説を書くことをやめられない。わたしをこき下ろす会社の人間を見返したい。すごいですね、そう言わせてやりたい。

 それなのに、結果が出ない。何作も応募しているのに受賞に至らない。何度か選考に通ったことがあるものの、一次、よくて二次止まりだった。選考に落ちるたび、自分の価値が削られていく気がした。

 落選した小説を供養と言ってネットに流す。わたしの小説が、ただただ死んでいく。灰も骨ものこらない文章たちを、知らないだれかがなぜか読む。供えるものはぽつぽつ届く他人の感想。

 出社する前に投稿サイトをひらいたら、数日前に公開したばかりの作品に、感想が届いていた。

〈まあまあといったところ。どこかありふれている設定で新鮮味がない。〉

 褒めるだけの感想が多いなか、こういった感想は珍しかった。わたしの小説は、たいてい人が死ぬ。自殺しようとする若者なんかがよく出てくる。それがわかりやすくセンセーショナル、けれど私自身は自殺を考えたことがない。

 死に新鮮味とか求めるなよ。そんなふうに思いながら、〈貴重なご意見ありがとうございます。今後の創作に役立てます〉、そんな無難な返事をする。

 絶対作家になれる。そう信じている。けれどやっぱり、限界なのではないか。ありふれている設定しか思いつけないわたしの限界。ただそれを認めてしまったら、今までやってきたことがすべて無駄になる気がして恐ろしい。

 朝八時四十分。会社に行くため家を出る時間だった。昨日も一昨日も、そして明日も同じことを繰り返す。わたしの生活は、どこまでもありふれている。だから変えたい。ここから違う場所へ行きたい。

 受賞さえすれば。その一心だった。受賞さえすれば、きっとなにもかもがうまくいく。とんとんと、ことが運んでいく。だから早く、一刻も早く、新しい小説を書きはじめなくてはいけない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る