第45話 時の魔女


 ソファーとデスクが置かれた応接室には、窓から暖かい陽の光が差し込んでいる。


「ようこそ、マーケットへ」

「…………」


 目の前のおじさんを、リアラは虚ろな目で見つめる。


「さあ、リアラちゃん。君はもう自由だよ。どこに住みたい?」


 人間の男だ。たぶん、人殺しだ。


「都市がいいかい? それとも農村?」

「…………」


 リアラは何も言わない。言葉を発するのが面倒くさい。


「……まずは時間が必要なようだね。のどかな村でゆっくりするといい」

「…………」


 アルティア様がいないなら、どこでもいい。地獄でもいい。


「なに、時間が解決してくれる。私もそうだった。一緒に償っていこう、命を奪った罪を」

「すまない。退いてくれ」


 突然、応接室の扉が開け放たれる。


「退いて退いて」


 ざっざっざっ、と軍靴の音が鳴り響く。

 応接室に入ってきたのは、銀の鎧をつけた軍団だった。


「聖騎士様、どうしてこのようなところに?」


 目を丸くするおじさんを無視して、銀の軍団が一斉に跪いた。


「よくぞ、ご無事で。リアラ様!」


 鎧の擦れる硬質な音が鳴る。


「アルティアはやり遂げたのだな」

「……何の、話ですか」


 リアラが呆気にとられて尋ねる。


「すべてはこのときのために練られた計画なのです」


 軍団の先頭で膝をつく男が端的に答えた。


「リアラ様、あなたこそが――」


 力強い瞳。


「――クロノスの姫なのですよ」

「は……?」


 リアラの口から、間の抜けた吐息が漏れた。


「あなたの首の痣、それが証拠です」

「痣……?」


 リアラは思わず、首筋にそっと手を当てた。


「時の魔女の血を引くものは、体に刻まれているのです。己の寿命が」

「え……」

「このときを……!」


 銀の鎧全員が、左の手のひらに、右の拳をぶつけた。


「お待ちしておりました……!!」


 感極まったように、声が震えていた。


「え……わたしがクロノス……?」


 リアラは頭の中が粘ついて重くなった。


「待って……」


 考えがぐちゃぐちゃでまとまらず、沼の底に沈んでいくようだった。


「待って……!」


 考えるよりも先に、言葉が口を突いて出る。


「待って待って!!」


 頭が真っ白だ。


「わたしがクロノスだとしたら、アルティア様は何なのですか!」

「影武者の一族です」

「うそ……」

「何代も前から、クロノス家とカイロス家は、入れ替わりを成功させています。魔族たちの目を盗んで」


 それじゃ自分はクロノス家の人間で、アルティア様がカイロス家の人間?


「じゃあ、アルティア様は……!」


 ファームの人にそんなことは関係ない。

 ファームの人にとって、アルティア様がクロノスの姫だ。

 アルティア様こそが、人々の希望だ。


「アルティア様は、わたしの代わりに閉じ込められてるのですか……! わたしの代わりに、クロノスの運命を背負ってるというのですか!」


 どうしてアルティア様だけが、過酷な運命を背負わなければいけないのか。

 わたしなんかの代わりに。


「今もファームに……!! いるんですよ!!」

「存じ上げております」


 先頭の騎士は動じずうなずいた。


「ですが、アルティアは成し遂げました。リアラ様を救い出したのです。300年の悲願を、叶えてくれたのです!」

「おかしいよ」

「リアラ様、クロノスの血は絶やしてはならないのです」

「おかしいです。この国もあなた方もおかしいです!」

「エトエラと同じ力を持つ一族を絶やしてはならないのです」

「こんなことのために、アルティア様は身代わりになったのですか!!」


 ――生きて、リアラ。

 ――いずれすべてがわかるときがくるわ。

 ――これまでのすべてが。


「お聞きください。時の魔術に対抗できるのは、時の魔術だけ……。このような重い使命を背負わせるのは非常に心苦しいです。ですが、それが人類の願いです。抑圧からの解放を。魔族から人類を、解放するのです、リアラ様」

「どうでもいい!!」


 リアラは叫んだ。


「人類とか平和とか、どうでもいいです!!」


 声を張りすぎて、喉に焼けるような痛みが走った。


「おい、リアラ様がご乱心だ。安定剤を」

「うっ……」


 瞬く間に銀の軍団に囲まれ、上腕に注射器を差し込まれた。

 途端に足に力が入らなくなる。

 リアラは膝から崩れ落ち、絨毯の柔らかさを頬に感じた。


「まずは人類の歴史から教えて差し上げろ」


 朦朧とする意識の中で、騎士の言葉が遠く聞こえる。


「きっと、おわかりになるはずだ。己のやるべきことを」



     *



「あれは、何です?」


 騎士団長に尋ねる。

 リアラが指を差した青空には、何か不思議な箱が飛んでいた。


「風の船です」


 見た目は、タンポポの綿毛みたいな形だった。

 空気か何かで丸く膨らんだ袋の下に、箱型の乗り場が連結されていた。

 上空に浮かんでいるから小さく見えるが、近くで見たらかなりの大きさになるはずだ。あれほど大きな物が空を飛ぶなど信じられなかったが、実際にこうして飛んでいるのだから信じるほかなかった。


「あれで影の国を偵察しております」

「バレないのですか?」

「迷彩魔術を施しておりますので、遠目にはわかりません。もちろん、近づきすぎると、気づかれる可能性はありますが」


 人類は、魔族に対抗するために秘密裏で魔具を開発している。

 きっとあの風の船も、人類解放のために役立つものだろう。


「たくさん情報が必要ですね。人類を解放しなきゃ」


 リアラは使命感を漂わせて言った。


「その通りです、リアラ様」


 何日も何日も、人類史を学んできた。

 これまでの魔族との争いも。

 そして人は、決して弱くない存在であることも。


「さあ、行きましょうか、祭壇へ。皆がお待ちしております」


 リアラは今日で十五歳になる。

 そのため、祭壇で成人の儀が行われる手はずになっていた。


「これは?」


 リアラは祭壇の台座に置かれた丸い球体を見つめる。

 祭壇は、案内された静謐な祠の奥にあった。


「人の魔術回路を活性化させる魔具です」


 法衣を身に纏った司祭長が、物腰柔らかく答えてくれる。


「つまり本日を以って、リアラ様は時の魔女として覚醒します」

「そうですか」


 リアラは宝石のような球体に触れる。

 じんわりと温かい。

 不思議な感覚だ。

 手のひらを通して、魔力の波動が伝わってくる。見る見るうちに腕に古代文字が浮かび上がり、青白い脈が浮かんでどくどくと弾んでいる。


「おお……! 凄まじい魔力……!」


 司祭長が目を見張って、感嘆の息を漏らした。

 成人の儀が完了して数分後、リアラの体を火傷するほどの熱が襲った。

 リアラが次に目を覚ましたのは、半年もの時間が過ぎ去った後だった。



     *



 リアラは自分の首筋を鏡で眺める。

 116。

 囚人番号だと虐められたこの痣の正体が、自分の寿命だとは考えもつかなかった。70や80であれば寿命を疑う余地もあったが、116は想定の範囲外だ。まさか自分の寿命がこんなに長いとは思いもしなかった。


「大変お疲れ様でした。成人の儀はどうでしたか?」


 半年ぶりに目を覚まして、ベッドで鏡を覗いていると、扉から騎士団長が姿を見せた。

 目を覚ましてすぐに、医務官が呼びに行ってくれたのだ。


「時の神にお会いしました」


 リアラは成人の儀のことを思い出す。


「なんと……! そうでしたか……!」

「一つだけ、時の魔術を授かりました」

「素晴らしいです。どのような魔術ですか?」

「わたしが巻き戻る魔術です」

「巻き戻る……?」

「時の魔女として覚醒した日に、未来から回帰するのです」


 発動条件は、己の死。

 代償は、己の寿命。

 名を時間回帰クレリスという。


「わたしがその力を強く欲しました」


 時の神が提示した魔術の中で、リアラは強く時間回帰クレリスに惹かれた。


「なぜだかわかりますか?」

「もちろん、エトエラを倒すためですね?」

「違います」

「はい……?」


 騎士団長が目を丸くする。


「アルティア様をお救いするためです」

「……!」

「わたしは何度もやり直して、アルティア様をお救いする知識と技術を習得します。何度だって、何度だって。何度だって、何度だって、やり直します」

「その心意気、素晴らしいです。そして、エトエラを討伐しましょう」

「まだわからないんですか」

「え……?」

「わたしは人類とか解放とかどうでもいいって言ってるんです」


 騎士団長の顔から、さっと血の気が引いた。青い唇がわなわなと震えだす。


「あれほど人類の歴史を学んだのに、まだそんなことをおっしゃるのですか!」

「これからわたしは半年前に戻ります。成人の儀のわたしに」

「え……?」

「そして、あなたを騙します。エトエラを倒すと言って、あなたの技術をすべて教示していただきます。そうやってわたしは、すべての専門家からすべての技能を学びます。エトエラを倒すと言って、すべての人間を利用します」


 魔族に対抗できる力を得るために、何でもやってやる。命の限り。


「アルティア様の笑顔を取り戻したいから」


 し・あ・わ・せ・に・ね。

 そう唇を動かしたアルティア様の姿が今でも思い出せる。


「あの方こそ、自由の人。鳥かごの鳥は似合わない」

「まさに、魔女。狂気の沙汰……!」

「では、さようなら。また会いましょう」


 リアラは鏡面を拳で叩き割り、鏡の破片で己の首を掻っ切った。


 ………………。


「おお……! 凄まじい魔力……!」


 司祭長が目を見張って、感嘆の息を漏らした。

 戻ってきた。成功だ。

 リアラはあたりを見渡す。

 どこからどう見ても、静謐な祠の奥にある祭壇だった。

 宝石のような球体が反射して、自分の首の痣が写った。

 首の痣の数字は、115。

 1回分、寿命を消費した。

 今が十五歳。

 だからわたしは、100回分の人生しか、やり直せない。

 でも大丈夫。

 アルティア様がやり遂げたように、わたしもやり遂げてみせる。



 ――――…………



 そして時は、

 冥歴523年に戻る。


「完全に再現してやりましたよ、アドくん!」

「かひゅ……かひゅ……」


 血のあぶくを吹くアドの瞳に、やり遂げた戦士のようなリアラが映る。

 風が吹いてふわり髪が舞い、リアラの首筋に『23』の痣が見えた。


「受け取ってください!! 約束通り、倍です!!」


 リアラの清々しい声とともに、地上のファームに影が落ちた。

 遥か上空の異変に、アドが気づく。

 まるで空から溶け出るように、箱のようなものが姿を現した。

 その箱は、不思議なことに空を飛んでおり、タンポポの綿毛のような見た目をしていた。空気か何かで丸く膨らんだ袋の下に、箱型の乗り場が連結されてあって、そこから紫色に輝く雨が大量に降り注いでくる。


 最高級の魔晄結晶の雨だ。


「アドくん、これで!! お母様を起こして!!」

「……かひゅ……くくく……」


 アドは死にかけなのに、笑いが堪えられなかった。


「やはりアンタが……時の魔女か……」


 全身が粟立っているのを感じる。


「ボクの仮説は……正しかった……!!」

「アド、どういうこと」


 ウィンターが焦ったように聞いてくる。


「……約束の品、しっかり受け取った」


 アドを中心に、光が展開された。

 目が焼けつくほどの、巨大な魔法陣だった。



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