第41話 少女たちの夢



「ほっほ。姫さん、こっちにおいで。飴ちゃんをあげよう」


 クロノスの兵士を巻いて、しばらく街を歩いていると、花屋のおじいさんが手招きをしてきた。やっぱりアルティア様の変装はあまり意味がないみたい。


「あっ! おじいちゃん、ありがとう!」


 アルティア様も変装のことを忘れて駆け寄っていくものだからどうしようもない。嬉しそうに両手を差し出して、きつね色の飴玉を受け取っている。

 本当は毒味をしていないものを口にするのは止めるべきだと教えられたが、ファームでそんな罪を犯す人はいないので見て見ぬ振りをしている。人間の国が存在していた前時代とは、今は文化も風習も思想も何もかもが違うのだ。


「アルティア様って、異様に年配の方から人気がありますよね」


 街のどこに行っても、お年寄りから挨拶されるのをよく見かける。


「おい、今日もまた自殺者が出たってよ」


 リアラもアルティアも後ろを振り返った。

 二人の青年がおしゃべりしながら、花屋の表通りを歩き去っていく。


「魔王様がいろいろやってくれてるが、死ぬ人は死ぬな、相変わらず」


 青年たちが言うように、ファームの問題点は自殺だった。

 平和な街なのにどうにも生きづらさを感じる、と街の偉い人たちが言っているのを聞いたことがある。まるで水槽に飼われる魚の気分だ、と。


 平和とは言っても、魔族に絶対服従の、歪んだ平和だ。

 だから魔族の横暴には耐えるしかない。しかも魔族の嫌がらせは定期的に行われる。まるで人間たちに不快な思いをしつづけてもらいたいみたいだ。

 生きている間、ずっと。


「うーん。この国はおかしいよね。うん、おかしい」


 アルティア様が腕を組んで、一人で首を傾げている。


「姫さんもそう思うかい?」

「おじいちゃんも?」

「ほっほ。ここは魔族様の国であって、人様の国じゃないからの」

「そこなんだよね」


 アルティア様が指をくるりと振り回した。


「この国を変えたいとは思うんだけど、人が魔族様の国を変えることは、どうしたって無理だと思うの。たとえばわたくしたちが豚を飼っているとして、その豚が『俺たちお前のやり方気に食わないから、俺たちの言う通りに変えろブヒ』って言っても、鼻で笑っちゃうと思うのよね。豚がなに言ってるのって」


 わたしたちは家畜。

 魔族に飼われて生きる存在。


「だからわたくしは、この国から飛び立つことにしたの」


 アルティア様が、ぎゅっと手を握ってくる。


「魔族のいない、人間だけの国――マーケットへ!!」


 それが、わたしたちの夢だった。


「ほっほ。応援しとるよ」


 おじいさんが目を細めて笑った。


「じゃーん!!」


 アルティア様が右腕を突き出した。

 手首のあたりに、家畜の証である腕輪が括られてある。


「もうすぐ8000ポイントなの!」


 腕輪には、7890という数字が表示されていた。


「リアラも8000! 二人で出荷されるんだよね?」

「はい」


 希望ポイントは、本当にリアラたちの希望だ。

 このポイントをコツコツ貯めることに喜びを感じるし、貯まっていく数字を見ると心が安らぐ。それに魔族様から、自分の存在を肯定されている気がして嬉しかった。


「わしは願っておるよ。二人の成功を」

「えー、おじいちゃんは!?」

「わしは来週くらいにお迎えがくるからのう」

「早っ! あと十年生きてよっ!」


 本当にありえそうで笑えない冗談だったが、アルティア様は笑って言い返していた。そういうところが、心の底から眩しいと思うのだ。


「あの、お散歩がいいらしいです。健康には」


 リアラも勇気を出して、おじいさんに話しかける。


「ほっほっほ。じゃあ、歩いてくるとするかの」


 おじいさんはさらに目を細めて笑い、


「よいしょ、と」


 パイプ椅子から重そうな腰を上げた。

 後ろ手に組んで、背中を丸め、花屋をたたまず歩き出す。

 ファームに花を盗む人はいない。


「姫さん。この国にも、いつか必ず、光が差すよ」


 日に照らされたおじいさんが、背中を向けたまま言った。

『光が差す』の光がお日様のことではないことは、リアラにもなんとなくわかった。


「わしらはずっと、姫さんを応援しとるからな」

「ケケケケ、ポイントアップ」


 突然、どこからともなく影目玉が現れて、縦に小刻みに揺れた。


「すごい! 三人ともポイントが上がったわ!」

「ほっほっほ」



     *



「リアラ、ここでしばらく待ってて」


 アルティア様はそう言って、なんとも怪しげなお店の中に入っていった。

 掲げられた看板は斜めに傾いでおり、『ブルジオ』と店の名前が書かれてあった。

 道すがらどこへ行くのか尋ねてみても教えてくれなかったが、厩舎塔を抜け出した今回の目的はどうやらここらしい。


「うー、めちゃくちゃ痛かったわ」


 しばらくすると、アルティア様が首をすりすりとさすりながら出てくる。


「痛い? 何をなされてたんですか?」

「見て、リアラ!」


 お店の最後の階段を飛び降りると、アルティア様が長い髪の毛を腕でめくった。


「お揃い!!」


 何が? と最初は疑問に思ったが、次の瞬間にリアラは血の気が引いて倒れそうになった。


「ア、アルティア様!! なんてことをしたんですか!!」

「これでわたくしも囚人だわ!」


 アルティア様の首筋には、リアラとまったく同じ『116』の痣があった。

 あろうことかこの姫様は、自分の体にタトゥーを彫ってきたのだ。


「い、今すぐ消してもらいましょう。これは度が過ぎてます」


 リアラはパニックになった。

 アルティア様になんてことをさせてしまったのだろう。


「もう消せないわ。これは消せないやつだから」

「あなたは王族なのですよ! 高貴な肌に傷をつけるなんて!」

「あなた、わたくしにはわからないと言ったでしょう」


 冷や水を浴びせられたように、リアラは動けなくなった。


「だから、あなたの気持ちを分けてほしいの。精一杯共有するから、あなたの心をもっと聞かせてほしいの。もっと教えて、もっと頼って。じゃないと、わたくしだけもらってばかりじゃない」


 ――リアラ、助けてぇ~~!

 ――ちょっと聞いてリアラ、お爺さまがね!

 ――慰めて、リアラぁ~~!

 ――ねえ、リアラ。塔を抜け出すの、手伝って!


 これまでのアルティア様との想い出が蘇っていく。

 どれも、頼ってばかりの姫様だった。

 そしてどれも、愛おしい姫様だった。


「すこしくらい、お返しさせてよ」


 いつの間にかアルティア様は、拳を震わせて、目の端に涙を溜めていた。


「わたしはね、リアラ。あなたのこと、とっても好きなの」


 その眼差しは真剣で、力強くて、眩しかった。


「ですが、ご自分がやったこと、おわかりですか。この痣がバレたら、塔内はとんでもないことになりますよ」

「関係ないわ」


 ああ、眩しいな……。


「だってわたくしたち、この国を脱出するんですもの」


 眩しくて、目を開けていられないくらい。


「痣があったって、わたくしたちは変わらない」

「ケケケケ、ポイントアップ」


 どこかで影目玉の声が聞こえる。


「リアラ。あなたのポイントが8000もあるのは、それだけ誰かを幸せにしてきた証拠でしょ。人は、心よ。誰が何と言おうと、あなたは美しいわ」

「ケケケケ、ポイントアップ」


 目頭が熱くなった。

 喉の奥が引きつられてきゅっと痛くなる。


「遠い国で、二人でのんびり過ごしましょうよ」


 それは、抑えがたいくらい素敵な提案だった。


「わたくしを止められる人はいる?」


 リアラは諦めて、ふふっと笑った。


「いないでしょうね」


 泣き顔で、笑った。

 わたしも、アルティア様がとっても好きだ。



     *



「やったわ、リアラ!」

「ついに……!」

「1万ポイント!!」

「やりましたね!!」


 十四歳の春。

 二人はとうとう1万ポイントに到達した。

 もしかしたら、最年少記録かもしれない。


「ケケケケ、目標達成。目標達成」


 どこからともなく現れた影目玉が、いつになく小刻みに揺れて告げる。


「王都へご招待。夜会へご招待」


 いつもより、声も興奮している。

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