第39話 勝利の道筋


「アドくん! アドくん!」


 目にいっぱい涙を溜めて、リアラが体を揺さぶってくる。

 その感覚も、急速に遠のいていくのがわかる。

 骨の折れた痛みも、腹を斬られた痛みも、もう感じない。

 ただただ、寒さだけが体を苛んでくる。


「あの魔術のせい?」


 ウィンターが自分の手を見下ろす。

 その指先が、かすかに震えていた。


「わたしが、殺す?」


 掠れた声。


「アドを?」


 瞳孔が収縮と散大を繰り返し、思考を口から垂れ流している。


「かひゅ……気にするな……ウィンター……ボクが……黙ってただけだ……」


 自分の影から生えた棘をその身に受けたときから、アドは違和感に気づいていた。最初は牽制の一手かとも考えたが、それにしては殺気がこもっていなかった。掠りさえすれば十分だと言っているものだった。

 それもそうだ。

 目的は、繋げることなのだから。


「死ぬのがわかってて、わたしに闘わせたの、アド」

「……許せ」


 責めていいのかわからない、そんな複雑な表情をはらんだウィンターに、アドは息も絶え絶えに言った。


「だってこれは……計算通りだから」

「え……?」


 ウィンターの動きが止まった。まじまじと見つめてくる。


「……最高だ、アド。この状況をひっくり返すか。じきお前は死ぬぞ?」

「だから……なに?」


 眼を煌々と見開いた影の魔王が、脊髄から痺れ上がるように身震いした。


「これか……! 父さんが欲するは、この高揚感。実に素晴らしい……!」


 勝手に絶頂してろ。


「アドくん、目を閉じちゃダメです……! しっかりしてください……!」


 ぱちぱちと頬を叩かれる。

 視界が暗くなったのは、目蓋を閉じてしまったからか。

 目を開けるのも億劫になるとは、いよいよ臨終が近い。


「もう……時間がない……」


 死ぬ前に、伝えないといけないことがある。


「なに言ってるんです! 死んじゃ嫌です! ここまで来たのに!」


 アドの頬にリアラの涙が落下して、それがすこしだけ温かかった。


「リアラ……何回目だ……」

「なにが、ですか?」


 アドの鼻の先に、リアラの鼻の先があった。


「この世界だ」

「…………」


 リアラが息を呑んだ。


「アンタは何回……この世界を繰り返してる?」

「え……」


 リアラの吐息が、アドに唇に吹きかかる。


「クロノスはアンタだろ、リアラ」

「なん、で……」

「今まで……つらかっただろ……」


 その言葉を聞いて、リアラの息が、どうしようもなく震えた。


「よく一人で……がんばった……」


 ぶわっ。

 リアラの目にいっぱいの涙が溢れる。


「十代のガキにしては……覚悟が決まりすぎてた……。効率を重視するあまり……行動が不自然だった……。でもそれは……何度も死に……何度もやり直してると思えば……すべて納得が行く……」


 アドはこの魔術のことを知っている。

 時の魔術書、禁術の章、第一節――

 発動条件は、己の死。

 代償は、己の寿命。

 その名も、時間回帰クレリス


「思えば……魔の森からおかしかった……」


 アドは初めての出会いから思い返す。


「森の主に襲われたとき……なぜ一介の小娘が……最高級の魔晄結晶を……ポーチに入れてた……」


 通常であればありえない話。

 だが、回帰者であれば簡単な話だ。


「一回アンタは……そこで死んだんだ……ウィンターを血肉化できなくて……それを回避するために……次の世界では……魔晄結晶を用意した……」


 霞んで何も見えないが、アドはリアラに目を向ける。


「……そうだろ?」


 リアラは肯定も否定もしなかった。


「ファームに忍び込むとき……あの荒野で列車を待ってたのはなぜだ……」


 一息あけて、


「あの日……あの時間で……地震が起きることを知ってたからだ……」


 アドが答える。


「列車の六号車を指定したのはなぜか……」


 アドは自問自答を繰り返す。


「監視の目がないと知ってたからだ……」


 問いの答えを、アドはすべて知っている。


「敵国に捉えられた姫が……影武者を用意してないのはなぜだ……」


 そう見せかけていただけ。

 実際は用意していたのだ。


「アルティアが……影武者なんだろ……アンタこそが姫だ……リアラ……」

「…………」

「五日後……魔王がファームを潰すことを知ってたのはなぜか……」


 リアラは預言者でも何でもない。


「実際に体験したからだ……」


 至って単純。

 実際に目で見て、肌で感じたのだ。

 ファームが潰されていく様を。


「それが、今日なんだろ?」


 マーリンのような〝未来視〟の能力を持っているのではなく、〝時の魔術〟で過去に戻ってきただけの話だ。本質は違うが、どちらも未来を知ることができる。過去から視るか、未来から戻るか、それだけの違い。


「それにアンタは……ボクとクロノスの関係を異様に気にしていた……」


 異様なほど、異様に。


「時の魔術書に異様な関心を見せていた……」


 王都行きの列車の中で、時の魔術書をアルティアに手渡したとき、食い入るように読んでいたのは、間違いなくリアラのほうだった。


「でもアンタが時の魔女なら……納得がいく」


 すべて、辻褄が合う。


「気になるよな……自分の先祖とボクが……どんな関係か……」


 気にならないほうがおかしい。


「敵なのか……味方なのか……」


 ――協力してもいいのか。


「アンタが素性を明かさなかったのは……」


 これも簡単な話だ。


「自分がクロノスだとバレれば……ボクが影の国に行く理由が……なくなるからだ……」

「…………」

「だから騙した、違うか?」


 リアラの口から、ゆっくりと息が吐き出された。


「……こんなの……初めてです……」


 その言葉を、アドは肯定と受け取った。

 何度世界を繰り返しても、この結論に至ったのは、このボクだけか……。


 ――アドくん、変りましたね。

 ――どこで変わったんですか。


 リアラのこの発言は、ボクの行動が変わった因子を考察してのことだろう。


 ――アドくん、あなたに賭けてみようと思います。


 この言葉の意味は、これまでのアドでは不十分だが、、、、、、、、、、、、、、今回のアドになら命を使ってもいい、、、、、、、、、、、、、、、、、という意味だ。


 今ならそれがわかる。


「アンタ……このボクに賭けてみるって言ったよな……」


 そしてアドは、それに応えた。


「賭けに勝ったぞ、アンタ」


『アンタを奪う方法も、この病を治す方法も、全部思いついたんだ』

 列車の中で言ったこの言葉が、今この時を以って成就される。


「勝ち筋は見せた」


 ウィンター×神聖魔術×血冷魔術。

 これで影の魔王を両断できることが証明できた。


「なら、この世界を再現してみせろ」


 アドは見えない目で、リアラの腕を強く握った。


「完全に、一寸の狂いなく」


 この状況をもう一度創り出してみせろ。


「そして、露天商に売った倍を用意しろ」

「……なにを、です?」

「魔晄結晶だ」


 濁り腐った眼で、力強くリアラを射抜く。


「そして、ボクにこう伝えるんだ」


 すべてを解決させる魔法の言葉。


「母親を醒こせ、と」


 もしリアラがこの状況を完全に再現できれば。

 リアラがクロノスだと疑って布石を張ったボクであれば。


「それで全部伝わる」


 その言葉だけで、すべての意図が伝わる。

 散在していた点と点が結ばれ、終着点まで一気に線が結ばれる。




ボクはボクをネクロマンスする、、、、、、、、、、、、、、



 リアラが息を呑んだ。


「次の世界でまた会おう」


 アドは腕を引っ張って、リアラを引き寄せた。


「リアラ。アンタの諦めない心が、この未来を掴んだんだ」


 リアラの頭を手繰り寄せ、耳元ではっきりと伝える。


「その覚悟を、ボクは称賛する」


 感覚がすべて抜け落ち、今は寒さすらも感じない。


「そして――」


 でも、熱は伝わる。


「次の世界の、健闘を祈る」

「……はい!」


 リアラのその言葉を聞き遂げ、


「ウィンター。リアラを殺せ」


 リアラの死ぬ音を聞いた。

 お母様の生きる世界を紡いでくれ。

 それができるなら、このボクは死んでもいい。



 ――――…………



 ――影の国、六年前。

 第一ファーム・厩舎塔七階。


「うっ……」


 給仕服を身につけた十二歳のリアラが呻く。



 これは、リアラが時の魔女に覚醒するまでの物語。


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