第35話 弄ばれる感情


「これより、罪人の死刑を執行する」


 鴉の頭蓋骨が、興奮したように告げた。


「魔王様万歳!」

「魔王様万歳!」


 魔王の突然の来訪に、誰も彼もが高揚している。


「わたしの声が……届かない……!」


 リアラは唇を噛み、うつむいた。

 悔しい。

 やっとここまで来たのに。

 何かが変わると思ったのに。

 でも、諦めない。

 最後の最後まで。

 わたしは諦めない。


「皆さん!! 聞いてください!!」

「魔王様万歳!」

「魔王様万歳!」

「わたしの声を!! 聞いてください!!」

「魔王様万歳!」

「魔王様万歳!」

「わたしの声を!! 聞いてください!!」

「その前に」


 影の魔王が片手を上げる。

 それだけで、大衆の声がぴたっと止んだ。


「罪人が何か言いたげだ」

「……!!」


 リアラは目を剥いた。呼吸をすることも忘れる。


「王とは慈悲深くあらねばならない」


 影の魔王が、リアラのギロチン台に歩み寄ってくる。


「言いたいことはわかっている。私がクロノスを裏切ったことだろう?」

「なっ……」


 リアラは指先ひとつ動かせなかった。

 まさか魔王の口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。


「ど、どういうことですか、魔王様」


 大衆から声が上がった。


「発言を許す、罪人。民に声を届けよ」


 影の奥に潜む紅い瞳が、リアラを見つめている。


「どういうつもりですか」


 意図がわからず、リアラはただただ困惑した。


「私のせいで、汚名を被ったまま死ぬのは心が痛む」


 何を考えている?


「晴らす機会を与える。虚偽は許さん。事実のみを伝えよ」

「……わたしは」


 本当に言ってしまっていいのか?


「わたしは、リアラと申します」


 言いようのない違和感が胸を巣食っていく。


「厩舎塔で一生を過ごしたので、わたしのことを知らない方がほとんどだと思います」


 横目で影の魔王を見るが、そこに堂々と立っているだけで、変な素振りは見せない。


「わたしは傍付きの侍女として、アルティア様にお仕えしていました」


 大衆が両膝を地につけたまま、顔だけ上げてリアラを見る。


「あれは、わたしとアルティア様が十四歳になったときです。同じ時期にわたしたちは、希望ポイントが1万を越えました」

「アルティア様が……1万ポイントを……?」


 さざ波のように、小さいが、それでも確かに、動揺が起こった。


「わたしたちは、ファームの加工を終了し、マーケットに出荷される、はずでした」


 そう――そのはずだった。


「ファームから出られるのは、たった一人」


 今でもあのときのことを思い出せる。


「それが魔族の提示した条件でした」


 リアラの顔がだんだんと歪んでいく。


「出られるのは、殺し合って、生き残ったほうだ、と」

「え……?」


 いつの間にか大衆は、リアラの言葉に耳を集中していた。


「当然わたしたちは、殺し合いなんかできませんでした。そんなの、無理でした。だからアルティア様は、自分が残るから、わたしに自由になれとおっしゃいました。でも、それだけではありませんでした」


 リアラが弱々しく首を振る。


「アルティア様は密かに、魔族からもう一つ条件を課されていたのです」

「もう一つ……?」


 その条件は、リアラも今まで知らなかった。

 王都行きの列車の中で、初めてアルティア様に聞かされたことだ。


「アルティア様がファームから出ると、ファームの人間は皆殺しにされます」

「なんだって……!」

「理由は、考えてみれば簡単でした。ファームには希望が必要だからです。魔族の管理するファームは、一見平和に見えますが、実際は息苦しくて辛いです。魔王様は対策を講じましたが、自殺者は一向に減らない。ここで人々の象徴であるクロノスを失ってしまえば、大切に育てた家畜が一斉に死を選んでしまいます。魔族はそれを危惧しました。だから民衆を、人質に取ったのです」


 クロノスは、影の国の人形だ。


「民を人質に取られたら、アルティア様はファームに残るしかない。皆さんの命を守るために。皆さんの希望であり続けるために。クロノスはそうやって、その宿命を背負って生きてきたのです、これまでずっと」


 どれだけ善行を積もうと、ここから抜け出せない。

 ただ魔族に利用されるだけ利用され、搾取されるだけの存在。


「ほ、本当ですか、魔王様……!」

「魔王様……! どういうことですか……!」

「無礼だぞ、家畜。誰に口を聞いている」


 影の一体がぬらりと民の横に現れ、黒い影の剣で人間の顎を持ち上げた。


「ひっ……」


 だがそれを、影の魔王が手を上げて静止した。


「すべて事実だ」

「え……」

「認めたぞ……」


 大衆のざわめきが一層強くなる。

 影が剣を下ろして床に突き立て、きんと澄んだ音を響かせた。それだけで民衆は身をすくめ、大人しくなった。静寂があたりを包み、空気が張り詰める。


「ほっほっほ……。年寄りはみんな……」


 ゆったりした笑い声が、広場に静かに響き渡る。


「――知っておったよ」


 大衆の視線が、一人の老人に集中する。

 背中の丸まった小さなおじいさんだった。腫れぼったい目蓋が垂れ下がり、目を開けているのか閉じているのか、よくわからない見た目をしていた。


「爺ちゃん……?」


 老人の隣で平伏していた男の子が、目を丸めてその横顔を見つめた。


「民の模範であり続けたクロノス家に、ポイントが貯まらんわけがなかろうに……。ご無礼を働き申し訳ありませんが、老い先短いんで、この際好き勝手言わせてもらいますぞ、魔王様」


 おじいさんはそう言って、杖を突いて立ち上がる。

 本当に死を恐れていない立ち振舞いだった。

 魔王は何を考えているのか、無言を貫いた。


「わしの爺ちゃんも、そのまた爺ちゃんも、ずっと疑問に思っとった。どうしてクロノスは、何代も品行方正でポイントを貯めとるはずなのに、ファームから出ないんじゃろう、と。この国は自分の国じゃないから、わざわざ残る義理もないのになぁ、と。そこで、考えた。出してもらえない理由があるんじゃないかと」


 リアラはもちろん、アルティア様も、おじいさんから目が離せない。


「好奇心とは恐ろしいもので、一度気になるとなかなか火は消えん。そのせいでわしらは、知らなくていいことを知ってしまった。クロノスがファームを出ると、わしらが皆殺しにされてしまう、その事実をのぅ」

「……!!」


 今度はリアラが驚く番だった。

 年寄りは皆、知っていた……?


「そしてその事実を、わしらは隠すことにした」

「――え?」


 アルティア様の口から、かすかに吐息が漏れた。


「わしらが死ぬと知って騒げば、王家はわしらを捨てれんからの」

「……!!」


 アルティア様が目を見開いて、ただただ小さな老人を眺めた。


「もういいじゃろ。もう十分、クロノスは希望になった」


 おじいさんの言葉に合わせて、よろよろと年配の方たちが立ち上がる。

 それを見て、若者たちが呆気にとられる。


「もう報われてもいいじゃろ」


 一人、また一人と、立ち上がる老人たち。

 この方たちは真実を知ってなお、秘密を守り抜いてきたのだ。


「もう国を出て、自由に生きてもいいじゃろ」


 その声に合わせて、立ち上がる者の数がさらに増えていく。


「あまりに……あまりに可哀相じゃ……」


 おじいさんが声を震わせる。


「人にも魔にも散々利用される王族など……不憫でならん……!」


 おじいさんの声の震えは、リアラの心をも震わせた。


「これほど健気で民想いの一族を、いつまで飼い殺しにする気じゃ……!」

「……っ」


 おじいさんのしわがれ声の訴えに、アルティア様がぎゅっと目を閉じる。


「アルティア様は、その娘に攫われてしまえばよかったんじゃ……!」


 おじいさんの声がぶつかってきて、リアラの心臓が大きく跳ねた。


「……こんなに優しい方たちを、死なせられない」


 頭を振るアルティア様。


「だからと言って、姫さんが犠牲になる必要はないじゃろ」


 その優しい声が、風に乗って届く。


「王家は十分、民に尽くしたよ。何代も何代も」

「でも……」


 アルティア様は口をつぐんだ。


「言葉が続かない。それが答えじゃ」

「っ……」

「姫さん、あんたの本音を聞かせておくれ。あんたの望みは何じゃ」

「でも……でも……」


 言えるわけがない。


「大丈夫。皆で嘆願すれば、わかってくれる。この国にも、光が差す」

「わたくしは……」

「言ってごらん。その言葉が、わしらの原動力になる」

「わたくしは……わたくしは……」


 そして、言った。


「皆さまの幸せを……願っています……!」

「姫さん……!!」


 アルティア様の口から、自由になりたいなんて、言えるわけがなかった。


「こんなの……あんまりじゃ……! 魔王様……この通りじゃ!!」


 おじいさんがその場で膝をつき、額をずりっと地面に擦りつける。


「十八の女の子が、たった一言、自由になりたいと言えないなんて……!! こんなの、あんまりです!! この子に何の罪があるのですか……!!」


 頭を垂れるおじいさんの肩が、小さく震えていた。


「わしらはクロノスなしでも生きていける。たくましく生きていける。だからもう、大丈夫じゃ……。姫さんをここから出してやってください。お願いします。お願いします、魔王様。この通りです……!!」


 おじいさんが何度も額を擦りつけ、何度も懇願し続ける。


「……人とは思いやりで満ちているな、老人よ」


 ぱちぱち、と拍手の音が広場に響いた。

 影の魔王が、両手を叩いている。


「姫は必死に留まろうとし、民は必死に追い出そうとする。お互いを想って」


 魔王は拍手をやめ、今度は両腕を広げた。


「見えるか、この光が」


 リアラは思わず唾を呑み込んだ。

 影の魔王が腕を広げる先、第一ファームの広場が淡い光で包まれていた。


「お前たちの想いやりが光となって満ちているのだ」


 まるでタンポポの冠毛のように、ふわりふわりと光の玉が浮かんでいく。

 とても美しく、温かい光景だと、リアラは思った。


「その想いに報いて、解放してやろう」

「魔王様、本当ですか――ぐふっ!」


 顔を上げたおじいさんの口から、赤い血反吐がぶちまけられた。


「爺、ちゃん?」


 表情をこわばらせた男の子が、足元まで広がる血溜まりを呆然と眺める。それからおじいさんの背中に刺さっているものを見て、びくっと動きを止めた。

 おじいさんの背中に包丁を突き立てているのは、


「アっ……アっ……」


 どこからともなく現れた、可愛らしい見た目の影人だった。


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