第22話 魔王降臨


「何が目的なんだ……」

「武です」


 兵士が端的に答えた。


「武?」

「エトエラは、純粋な武を求めています。有体に言いますと、世界最強をです」


 自分でもおかしなことを言っている自覚があるのか、兵士は引き攣った笑みを浮かべた。


「そんなもののために、築き上げた人と魔の関係が奪われるのか……!」

「周辺諸国の被害が甚大で、濃密な瘴気が大陸を汚染しています。聖女様には魔族の侵攻を防ぐ結界と瘴気の浄化、そしてエトエラを滅ぼす神聖魔術を発動していただきたいです」

「そんな……プリメラ様が過労死するぞ……!」

「エトエラの侵攻は、各大陸で同時多発的に行われています! 他の聖女様も、自国の防衛で手一杯のようで、救援の要請は通りません!」


 同時多発。情報が遅れるわけだ。


「王命なのですね。わかりました、拝命いたします」


 ただ粛々と、お母様は承諾した。


「ですが……!」


 だが次の瞬間、お母様の顔がくしゃくしゃに歪んだ。


「ですが、悔しいです……! 人と魔が心を通わせてきたのに……!」


 滅多に感情を表情に出さないお母様が、ここまで感情を露わにするのは珍しいことだった。


「一つになれたと思ったのに……!」

「お母様……」


 屋敷の外が騒がしい。


「何者だ!」


 屋敷を守る衛兵の声だ。

 突如、地響きが起こった。


「まずい、門が……うわっ!」


 荒々しく金属の軋む轟音、そして数多の悲鳴。


「もう魔族が!?」


 聖騎士が柄から剣を抜き、焦げるかと思うほど扉をじっと睨む。

 今にも魔物の群れが扉を突き破ってきそうな気配がある。


「アド!! ここに隠れなさい!!」

「えっ?」


 鬼気迫る声に思わず振り返ると、古時計に並んで立つお母様の姿があった。

 古時計の扉が開け放たれていた。歯車やら滑車やらが規則正しく動いているのが見える。確かにアドくらいの大きさの子供であれば、その下の空間に身を潜めることができそうだった。


「私がいいと言うまで、出てきてはいけません」


 手を強く引っ張られ、古時計の中へ押し込められる。


「あなたは賢い子。最善がわかっていますね?」


 お母様の手の重みが、アドの両肩にずっしり乗っかった。


「いや、違う!! 魔族じゃない!! 人間だ!!」


 お母様の肩越しに、狼狽するリューンガルド兵が見える。


「見つけたぞ、〝狂聖女〟だ! 捕らえろ!」


 そう言って指を差すのは、何の変哲もない街の人だった。

 防具をつけているわけでも、剣を構えているわけでもなく、普段から着慣れているような私服に、調理で使用する包丁や花壇の赤レンガを持っていた。


「アド……! あなたはこの行末を見届けなさい……!」


 肩を掴む力がさらに強まり、お母様がおでことおでこをくっつけてくる。


「新時代を切り開くのはあなたです、アド……!!」


 アドの視界が暗くなった。

 固く閉ざされた扉の隙間から、一筋の光が差し込んでくる。

 アドは息を押し殺して、時計の隙間に目をくっつけた。


「殺ったぞ……! 殺ってやったぞ……!」


 口の周りに血のあぶくを吹く兵士に、何本もの包丁が突き立っているのが見えた。


「なんてことを……!」

「お前を処刑する!!」

「……!!」


 お母様が後ずさる。

 しかし、逃げ場がない。

 出入口が街の人で封鎖されていた。


「魔と手を結ぶは、神への冒涜!!」

「さっさと魔族を殺せばよかったんだ!! お前が時代を変えたから!! 魔族なんかを生かしておいたから!! 世界中の国が攻められてるんだ!!」

「貴様ら! 聖女様に気安く触れるな!」


 何人もの死体の上で、聖騎士が赤く濡れた剣を構える。


「コイツを聖女なんて呼ぶな!! コイツは魔族の密偵だ!!」


 数が多すぎた。

 お母様はあっという間に囲まれ、後ろから羽交い締めにされていた。


「この女を守るというならお前も同罪だ。騎士を殺せ!!」

「ぐふっ……!」


 聖騎士は何人もの市民に覆い被さられ、腹や頭を、何度も包丁で刺され何度もレンガで殴打される。市民を三人殺したまでは上手く対処できていたが、死体から剣を抜く一瞬の隙に、次の市民に骨盤ごと押し倒されたのだった。いくら聖騎士と言えども、数の暴力には抗えなかった。


「プリメラは磔の刑だ! 大広場へ連れてけ!」


 お母様が手足を縛られ、床へ乱暴に転がされた。


「私を処刑しても、状況が悪化するだけですよ」

「お前の不義が神の怒りを買ったのだ。お前の死を以って神の怒りを鎮める」

「そうですか。では、好きにすればよろしいです」


 お母様の腰まで、麻袋がすっぽりと入る。


「こんなの、どうってことないですよ。どうってことないので、復讐なんて詰まらないことに人生を捧げるんじゃありません。私の心は常に共にありますよ」

「なに言ってんだ? とうとう壊れちまったか?」


 アドの血走った目が、時計の隙間の光景に釘づけになる。


「フーッ! フーッ!」


 鋭く息を吐き、自分の肩に爪を食い込ませた。

 お母様を助けたかった。

 古時計の扉を開け放って、街の人に飛びかかりたかった。


 ――あなたは賢い子。最善がわかっていますね?


「フーッ! フーッ!」


 抑えろ。飛び出るな。

 飛び出ても、子供には何もできない。


「今まで、ありがとう」


 麻袋に頭を入れられる寸前、お母様がこっちを見て、優しい目で微笑んだ。


 どくん、と心臓が鳴った。

 胸が張り裂けそうだった。


 ありがとうって。

 ボクは……何もしていない。

 行かないで、おかあさま。

 ありがとうをちゃんと伝えられる男の子になりなさい。

 おかあさまは、そう言ったよね。

 ボクまだ、伝えられてない。

 だから行かないでよ、おかあさま!!


「フ――――ッ!!! フ――――ッ!!!」


 アドは自分の腕に歯を立てた。

 ぶしゃりと液体が迸り、口の中が血の味で侵される。

 抑えろ。抑えろ抑えろ抑えろ。


「フ――――ッ!!! フ――――ッ!!!」


 なんでだよ!!

 敵は魔族じゃないのかよ!!


「おうおう。派手に暴れたな」


 お母様の入った麻袋が運ばれた直後、二人の男が屋敷に乗り込んできた。

 一人は頬に切り傷のある髭面の男で、もう一人は頭に布を巻いた目つきの悪い男だった。


「アイツら馬鹿だよな。聖女様を魔族の密偵だって言やァ、怒り狂って攫っちまうんだもんな。挙句の果てには処刑だとよ、どっちが悪魔だよ」

「へへ、怖いのは人ですね、親分」

「馬鹿は扱いやすくていい」


 それから男たちは、部屋の中の棚という棚を開けて回った。


「早いとこ、金目のものを奪って逃げるぞ。聖女の屋敷だ、たんまり溜め込んでるに違いない」

「ガッポリ大儲けですね、親分」

「こりゃァいい! 豪華な金細工だ! 全部もらってく!」


 親分と呼ばれた男が、零れ落ちそうなほどの金細工を頭上に掲げた。

 頬の傷を吊り上げ、欲にまみれた目で、卑しく笑っている。


「…………」


 古時計の中で、アドはうなだれた。

 もう、どうでもよくなった。


「もうこの国も終わりですかね」

「そりゃそうだろ。結界を張れる聖女様を自分たちで殺すんだからな」

「ま、山賊の俺らには関係ないっスね。山がウチだから!」

「ガハハハ! 違えねェ!」


 子分が、ある物を手にとった。

 アドはそれを、古時計の隙間から見た。


「親分、なんですこれ」


 ずかずかと部屋を横切り、親分が横暴に近寄っていく。


「サンゴの欠片、瓶の王冠……ただのガラクタだが、もしかしたら物凄い価値があるかもしれねェ。一応、持っていけ」

「へい」



     *



 道ゆく人がひそひそと話す。


「おい、聖女様が処刑されたってよ……」

「どうしてプリメラ様が……? じゃあこの国は誰が守るの……?」


 会話の内容が脳髄を叩き、アドは膝から崩れ落ちた。

 王都の石畳の道は固く、膝の皿に鋭い痛みが走った。


「おかあさま、これが最善ですか……?」


 鈍色の雲で覆われた空を見上げた。


「最善なんですよね……?」


 鈍色の雲の上に鈍色の雲が重なり、天から押し潰されるされるような、重々しい息苦しさがあった。


「だっておかあさまは、ボクに生きてほしいから、ああやって振る舞ったんですよね。それに応えるのが、正しいんですよね……?」


 こうして生きてることが、おかあさまの願いなんだ。

 そのはずだ。そのはずなんだ。そのはずなのに……。


「教会の信者が独断でやったらしい。火刑だとよ」

「プリメラ様が魔女とでもいうのか……!」


 おかあさま、おかあさま、おかあさま……!


「あのプリメラ様が、悲鳴をあげていたそうだ」


 ――こんなの、どうってことないですよ。


「あああああああああああああああああっ!!」


 アドは叫んだ。

 どうってことないわけ、ないじゃないか!!


「あああああああああああああああああっ!!」


 アドの叫びを掻き消して、目の前で街が粉砕された。


 暴風が荒れ狂い、瓦礫の山が飛来する。

 アドの目にははっきりと、何棟もの家屋が潰され、石畳の道が圧壊する様が映った。


 最初は、雷に打たれでもしたのかと思った。

 でも違った。


 アドの目の前に落下してきたのは、紛うことなく巨大な足であった。

 親指の腹だけで、どれだけ建物が粉砕されたか。

 アドは天を仰いで、足の全容を眺める。


 人とも悪魔とも違う異形の生物がそびえ立っていた。


 蒸気を上げる赤熱した皮膚。

 そこに胴体と思われる部位は存在せず、岩山のような巨大な顔面に、腕と脚が直接生えている。その顔にはつぶらな瞳が一対、愛くるしくも見えるし、醜くグロテスクにも見える。ただ一つだけ言えることは――


 アドはこの肉の塊を知っている。


 ――〝赤の巨人〟。


「余を呼ぶは、お前か人間」


 巨大な足趾の麓から、一体の邪悪な存在が歩み寄ってきた。


「濁り腐った聖なる瞳、余を凌ぐ魔力の器……気に入ったぞ」


 邪悪な存在はアドの前で立ち止まり、興味深そうに覗き込んでくる。


「我が名はエトエラ。武を追求する者だ」

「…………」


 こいつが、エトエラ。

 それがどうした。

 おかあさまはもういない。


「余を見て臆さぬか」

「…………」


 どうやって死のうか。

 死んだら悲しむかな。


「ついてこい、人の子よ」

「…………」


 ありがとうって言いたいな。

 産んでくれて、ありがとうって。

 愛してくれて、ありがとうって。


「お前の望みは何だ?」

「おかあさま」


 思わず、口を突いて出た。


「承知した。母親を蘇らせる方法を教えよう」


 邪悪な存在は、すべてを悟り、そう言った。

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