リューンガルド王国

第21話 大聖女プリメラ

「国王陛下、浄化の任から帰還いたしました」


 大広場の奥にある、一段高くしつらえた壇上で、お母様が片膝をついた。

 その隣で、アドも赤い絨毯に膝をつき、頭を垂れた。


「聖女プリメラよ、こたびの浄化、誠に大儀であった」


 この国で最も尊いお方の口から、威厳のある低い声が発せられると、広場は割れんばかりの歓声で地揺れした。国民の声が幾重にも重なって共振し、アドの背中に、まるで砲弾に撃ち抜かれたかのような重みがぶつかった。心臓がドッと高鳴り、内側から肋骨を叩いてくるのがわかる。


「リューンガルド王国の不浄の地が、これで豊穣の地へと変わり、さらなる国家の繁栄が約束されるであろう。そなたはリューンガルドの栄光そのものである」

「勿体ないお言葉です」


 風ではためく堂々とした国旗に描かれているのは、国の繁栄を意味する黒い竜の姿だった。


「聖女様! 聖女様の聖なるお力で、魔族を滅ぼしてください!」


 民衆の誰かが叫んだ。

 それにつられて、皆が思い思いに声を届ける。


「魔族の瘴気を払ってください! 世界中の不浄の地を、我ら人の手に!」

「聖女様万歳! 聖女様万歳!」


 その大歓声の中、国王が静かに言う。


「聖女プリメラよ、褒美を与える。望みは何だ?」


 それほど大きな声でないのに、アドの耳にしっかりと届いた。


「孤児院を創設したいと考えております」


 面を伏せたまま、お母様が言う。


「なるほど、それは素晴らしい考えだ、プリメラよ。早速準備させよう」

「魔族の孤児院です」


 歓声が止んだ。


「プ、プリメラ様……! 何をおっしゃって……!」

「魔の者を助けるなど、危険です! 瘴気が溢れて、不浄の地が増えてしまいます!」

「陛下。私は、人と魔の共存を望んでおります」

「…………」


 国王はただ静かに、お母様の声に耳を傾けている。

 アドは恐ろしくて、国王の顔が見れない。

 いきなりお母様は何を言っているのだろう。

 これまでの聖なる旅路で、そんなこと一言も言ってなかったじゃないか。


「気は確かですか、プリメラ様……!」

「そんなこと……実現できるはずがない……!」

「魔族は生きてるだけで瘴気を発するのに、共存なんて……!」


 同感だ。人を困らせる魔族を育てるなんて、正気の沙汰じゃない。だってこれまでの旅路で、魔族が人間にしたことを、まざまざと見せつけられたじゃないか。まさかお母様は、それを忘れたわけじゃないよね?

 貧困にあえぐ子供、干からびた老婆、壊死した大地。

 目を背けたくなる光景を思い出し、目の前にあるわけでもないのに、アドはぎゅっと目を閉じた。


「――皆様。そのために私たち聖女がいるのだと思います」


 お母様は言う。


「魔族は生きているだけで瘴気を発する。これは事実です。生きているだけで土地を作物の育たない不浄の地へ変えてしまいます。でもそれは、彼らの意思ではありません。そういう性質なのです。仕方のないことなのです」

「その性質こそが厄介なんだ……!」

「私たち人間と何が違うのでしょう」

「……!」


 国民に動揺が広がる。さざなみのように、不穏に。


「私たち人間は、生きるために動物を殺し、植物を殺し、それを食べて生きています。動植物からすれば迷惑極まりないですが、人間とはそういう性質です。でも私たちは誠に勝手ながら、生きています。魔族も同じでは?」


 王の御前であるにも関わらず、お母様は面を上げ立ち上がった。


「私たちに今必要なのは、相互理解です。お互いに拒絶し合うのではなく、手を取り合うことです。時代は変わります。これから100年で、新時代が幕を開けるでしょう。時代は国の繁栄から、星の繁栄へと移りゆくのです。リューンガルド王国には、それを可能にする力と民がいます。新時代の先導者に、私たちリューンガルドがなろうではありませんか。栄華の竜と共に」


 お母様がリューンガルドの国旗に手を差し向ける。


「そんなの……理想論だ……」

「おやめくださいプリメラ様……! それ以上言うと打ち首です……!」

「問題は瘴気ですか?」


 お母様は止まらない。


「ならば私たち聖女が、瘴気を制御しましょう。そうすれば、人々が魔を疎む理由はなくなります。誰も争わない、真の平和が訪れるのです。想像してみてください。人と魔が助け合う未来を。人は魔に知恵を貸し、魔は人に力を貸す。そうやって種族を越え、この星の一員として、繁栄していく未来を」

「…………!」

「私は世の聖女に問います。新時代の価値を」

「……本当に、できるのか?」

「私に賛同する者は、ここに集ってください。聖女プリメラのもとに」



     *



「アド、私がなぜあなたに世界を見せて回っているかわかりますか?」


 アドが椅子に座って本を読んでいると、向かいのお母様がそう尋ねてきた。

 きっと難しいことを聞かれているのだと思った。

 本を読むのをやめて考えてみるが、どの答えも違っているように思えて、自信がない。アドは困り果てて、最終的に、わからないと首を振った。


「物事を判断する目を養ってほしいからです」


 お母様のお部屋は、お母様のにおいで包まれていた。


「あなたには、私を越える聖なる力が宿っています。その力を、正しく使ってほしいのです。本当に価値のある使い方をしてほしいのです」

「おかあさまは、魔の者に使うのですか?」

「そうです。価値があると考えています」


 お母様が底の知れない目で見つめてくる。


「最近では〝狂聖女〟などと罵られたりもしますが――」


 他国の新聞で、「魔族の国」と書かれていることも、アドは知っている。


「賛同する聖女が次々と名を挙げてくれています。陛下も孤児院創設の許可をくださいました。世界は確実に新しい時代へ向かっています」


 そしてアド――


「あなたにも、人と魔の架け橋になってもらいたいの」

「ボクが人と魔の架け橋に……」


 それがお母様の夢ならば、アドも力になりたかった。


「聖女様! 聖女様はおられますか!」

「何事だ。無礼だぞ」

「騎士様、申し訳ありません。陛下より、火急の知らせが!」


 屋敷の外から悶着する声が聞こえてくる。

 お母様が部屋の窓へ近づき、カーテンを指で開いて、外の様子を見下ろした。

 アドもこっそり横でうかがう。

 敷地の鉄門で言い争っているのは、リューンガルド兵と聖女の騎士だ。

 一体何があったのだろう?

 二階の窓を押し開くお母様。自分の騎士に対して言い争いをやめさせ、リューンガルド兵に「屋敷へ」と手で招く。



     *



「どうぞお顔を上げて、申し上げてください」


 応接間で片膝をつく兵士は、この時間すらも惜しい、と表情に出ていた。すぐさま顔を上げ、


「魔族が我が国へ攻め入っているとの報告です!」

「どうしてだ! 我が国は、魔族と友好関係にあるはずだ!」


 お母様の横で、聖騎士が問う。


「それが、エトエラという魔族が反旗を翻しました」

「エトエラ?」


 初めて聞く名だった。


「あろうことかエトエラは、人間だけでなく、魔族をも殺して回っています」

「魔族も!?」

「国がいくつも滅んでいます」

「…………」


 お母様が無言で遠くを見ている。

 そんな情報、アドにはもちろん、お母様の耳にも入っていなかった。

 情報が、遅すぎる。


「人間の国も、魔族の国も、焼け野原です。奴の率いる〝赤の巨人〟が、周辺国を滅ぼし回っています」


 赤の巨人。

 竜すらも一撃で屠るとされる禍々しい存在だ。

 リューンガルドの伝承に登場してきた恐るべき生物で、悪いことをすると「赤の巨人に連れ去られて丸かじりされるよ」とよくお婆様から脅かされた。

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