第23話 フルカネリの禁書


 樹海の奥深くにこんな立派な建築物があるとは思いもしなかった。

 邪悪な存在に置き去りにされたアドは、ただただ眼前を見上げた。

 木造の二階建てで、外の壁が植物で覆われ、表面が少しも見えない。樹木に呪われた家のようにも見えるし、森の愛情に抱きしめられた家のようにも見える。


「この孤児院の院長をしているメリュディナといいます」

「…………」


 謎の花を咲かせた扉の前で、メリュディナという女が待っていた。


「エトエラ様からあなたを育てるように仰せつかっています」


 アドは彼女の足の先から頭のてっぺんまで不躾に眺める。


「私が気になりますか?」

「…………」


 気にならないわけがないだろう。

 この女には、脚が八本もあるのだから。


「私はアラクネです」


 蜘蛛の下半身から、女の上半身が生えている。

 蜘蛛の体躯は淡い紫で、節だった脚は根本は太く、先端は槍のように鋭い。

 一方、人の体躯は血の通った肌色で、素肌は透き通って瑞々しかった。腰まで伸びた淡紫の髪の毛は、先のほうまでしっとりとまとまり、陽の光を艷やかに照り返している。街に出れば、目を奪われる者が何人もいるだろう。


「おかしいですか? 魔族が人を育てるのは」


 アドは何と答えたらいいのかわからなかった。


「すでに何人もの人間が私の孤児院で成人を迎えています。みんないい子たちばかりで、今では私を支えてくれているんですよ。私はね、こんな場所を作っていくのが夢なんです。魔と人が、手を取り合って生きる場所を」


 まさかお母様と同じことを言う魔族がいるなんて。


「……人間に育てられるよりはマシか」

「やっとしゃべってくれましたね!」


 メリュディナがあからさまに喜ぶので、アドはあからさまに顔をしかめた。


「人間はお嫌いですか?」

「嫌いだ。人間も魔族も大嫌いだ」

「…………」


 メリュディナが悲しげに目を伏せる。


「ボクはべつに、母親代わりがほしくてここに来たわけじゃない」

「……わかってます。エトエラ様から、あなたにこれをと」


 人間の手が差し出したのは、古ぼけた一冊の本だった。


「フルカネリの禁書です。ここに、死霊術の基礎が書かれてあります」


 ボクがほしいのは、おかあさまの代わりではなく、おかあさまだ。



     *



「覚醒めろ」


 ぴり、とアドの指先から魔力が迸った。

 静電気に触れたときの感覚に近い。

 魔力が繋がる。

 死霊術式を構成する幾何学模様と古代文字が蛇のように中空を泳ぎ、黒い輝きで満たされると、魔法陣の中心から物言わぬ骸骨が起き上がった。


「…………」


 一体、二体、三体。

 彼らに意志はない。もうこの世から魂が消滅してしまっているからだ。魔力が尽きない限り、彼らは永遠にアドの命令に従順であり続ける。


「アドはすごいですね」


 墓地で自己研鑽に励むアドに、メリュディナが拍手を送ってくれる。

 樹海の孤児院で生活を始めて、いくつ季節が過ぎ去っただろうか。

 暑さの猛る日も、雪の積もる日も、アドはこの墓地でメリュディナのお弁当を食べた。たくさん食べて、黙々と死霊術の研究と実践を継続してきた。


 最近では霊魂を死体に宿すことにも成功した。


 死の属性の紋様と生の属性の紋様を結合させ、それぞれの極性の偏りを陰と陽で相殺させる。そうすることで魔術回路が安定し、魔法陣の構成物が離散しない。そこに霊魂という外的材料を加えても、蘇った死体は崩壊することがないのだ。

 もちろん違う死体に違う霊魂を充てがっても、拒絶反応を起こして術式が決壊してしまうが、同じ死体に同じ霊魂であれば拒絶は起こらず問題はない。

 つまり、お母様の死体にお母様の魂を挿入することは可能だ。


 だけど、


「こんなんじゃダメだ」


 これでは、死霊術の域を出ない。


「そんなことないですよ。アドのネクロマンスは特別です。普通は遺骨から血と肉を再現できませんし、アンデッドは太陽の下で動くこともできません」


 聖女の血を引く者の力だと、邪悪な存在は言っていた。


「冷たいんだ」

「え?」


 メリュディナがきょとんとする。


「冷たいんだよ。血と肉は仮初めで、体温がないんだ」


 それどころか、皮膚の感覚がない。

 痛くもないし、痒くもない。

 皮膚が剥がれるほどつねってみても、死者は平然とした顔で眺めてくる。


「ボクが求めてるのはこんなんじゃない」


 眠らなくてもいい。食べなくてもいい。

 果たしてそれは、人間か?


「ボクが求めてるのは、死霊術より遥か高位の――死者蘇生術」


 完全に。


「完全にお母様を、生き返らせるんだ」



     *



「フッ、フッ」


 孤児院横のドングリの木でアドが懸垂する。

 己の体を鍛錬しているのだ。

 聖女の息子が貧相な体とあらば、お母様と再会したときに顔向けできない。


「お母様の死体はどうなった?」

「捜索中です」


 汗を拭きながら尋ねると、メリュディナはいつもの言葉を口にした。


「あれから二年も経ってる。早く探して」

「わかりました。一生懸命捜索します」


 はあ、とアドがため息をつく。


「もういい。ボクが行く」

「それはいけません」

「どうして?」

「どうしてもです」


 いつもこうだ。

 アドが王都の跡地へ行くことを、メリュディナは許してくれない。

 リューンガルド王国は二年前に滅んだ。

 直接的な原因は、邪悪な存在と赤の巨人で、間接的な原因は、聖女の不在だ。

 自業自得とも言う。

 聖女の力なしでは、エトエラは絶対に倒せない。

 目の当たりにしたから、アドにはそれがよくわかる。


「私を信じて待っててください」

「…………」


 一体いつまで待てばいいのか。



     *



「おはようございます」

「おはよーござーます」


 子供たちの寝ぼけた声。


「ねーねー、メリュディナいんちょー」

「うん?」

「お部屋にアドがいないよ?」

「はい?」



     *



「ちょうど、このあたりか」


 お母様が浄化の儀を終えて凱旋式を行った場所もこの大広場だったし、お母様が民衆に捕えられて火炙りにされたのもこの大広場だった。

 かつて栄華を誇ったリューンガルドの王都も、今では人が一人も見当たらない。

 この瘴気じゃ、人も寄りつかないか。

 アドはあたりに漂う濁った空気を吸ってそう思った。

 魔物の好む空気だ。

 作物が育たない代わりに禍々しい瘴気が充満し、十年もすれば質のいい魔晄結晶が析出するだろう。採取に危険を伴うが、魔具の動力となる物質だ。魔学技術が発展して、魔晄結晶は生活に欠かせない資源となっている。


「覚醒めろ、スケルトン」


 アドの呼び声に応えるように、隆起した石畳から、ボゴボゴと骨の腕が突き出てくる。

 魔法陣を地中に展開することで、地中の魔素を有効活用し、魔力の消費をできるだけ抑えた。見えないぶん死霊術の質は下がるが、大量に呼び起こすのに適している。


「お母様の骨を探してほしい」


 アドが瓦礫の山を見渡してお願いすると、二十体ほどの骸骨が「カカカカ」と頭蓋骨を揺らした。

 隊長格の一体が声もなく身振り手振りで他のスケルトンに指示を出す。演者のように大げさに右へ腕を振れば、半分がわかったとでも言うようにカクカクと顎を揺らして歩き出し、左に大きく振ればもう半分がカクカクと散っていく。


『ギギギギ……』


 荒廃とした城下町に骨の足音が響く中、アドの耳に奇妙な鳴き声が届いた。

 今や王都もゴブリンの住処か。

 上半分が崩れ落ちた住宅の窓枠を、背丈が人の子ほどの醜い魔物が乗り越えてくる。

 肌は緑色で乾燥しており、見るからに硬そうだ。平べったい顔に潰れた鼻、尖った耳には金属の輪が揺れている。人間の装飾品を奪って身につける習性があると本で読んだが、耳のリングを見るとどうやら事実のようだ。


 この瘴気だと魔素が豊かで居心地がいいのだろう。

 一体と言わず、桁を増やして、緑の顔がちらほら見える。


『ギギギ』

『ギギギギ』


 手に棍棒を持って、機敏な動きで迫ってくる。

 お目当てはアドの肩掛けカバンか。

 体内で溜めた魔力を右腕に流して停滞させる。暖炉に手をかざしたような、じんわりとした温かみが手に宿り、淡くも神々しい光を帯びていく。


 神聖魔術だ。


 頭蓋骨を割ろうと棍棒片手に飛びかかってきたゴブリンは、アドが手で払っただけで弾け飛んだ。建物の壁にしたたかと体を打ちつけ、べちゃっと地面に落下して動かなくなる。

 体の損傷は壁に激突した部位よりも、アドが触れた部位のほうがひどかった。抉れた、と言うよりは、消滅した、と言ったほうが正確だ。魔物の体は、聖なる力に弱い。体組成も別物になる。機序はアドにもわかっていない。

 聖なる魔素を魔物の体組成に組み込むと、魔物の肉体は崩壊する。

 それだけわかっていれば、使える。この力は。

 聖なる力と死霊術の理論、それを組み合わせれば、魔物でアドに敵う存在はいなかった。


『ギギィ!!』


 仲間が殺られて、ゴブリンたちが鋭い声を出す。

 しかし、アドが何をしたのかまったくわかっていない。

 未知の存在に出会ってひどく怯え、瞬く間に逃げ去っていく。


「カカカカ」

「よく見つけた」


 アドは一体の骸骨に労いの言葉をかける。

 だが――


「少し大きいか。顎が発達してるし、男性の頭蓋骨だね」


 スケルトンの抱える頭骨は、お母様の骨とは違うようだ。

 スケルトンがぺこりと頭を下げる。


「違う違う。怒ってるわけじゃない。ありがとう」


 頭蓋骨の周りを、青白い人魂がゆらゆらと徘徊している。

 幸いにもまだ魂が消えてない。

 頭蓋骨を両手に乗せたアドは、死霊術の紋様式を紡いでいく。


「醒きろ」


 死と生の魔力に呼応し、ぼおっと頭蓋骨が浮かび上がった。


「坊主、なんだその口の利き方は? ぶん殴るぞ?」


 頭蓋骨は開口一番にそう言った。


「偉そうなおっさんだね」

「まさかガキの死霊術師がいるとはな」


 彼に表情筋があれば、実に気味悪そうに顔をしかめていたことだろう。


「未練でもあるの。長いこと霊魂が定着してたけど」

「そりゃ未練だらけだ。酒が呑みたりねえ」


 カカカカ、と彼は笑う。


「この国をずっと見てたの?」

「見るしかできねえからな」


 それなら大助かりだ。


「聖女プリメラの遺骨はどこにあるかわかる?」

「聖女様は火炙りにされちまったんだろ。大広場に転がってねえんなら、野犬か魔獣がどっかに持っていっちまったんじゃねえか?」


 それは困る。

 森の巣穴にでも持ち帰られたら、捜索範囲が広大になってしまう。


「聖女をネクロマンスするならやめておけ。悲しむぞ、母ちゃんが」

「…………」


 アドはじっと骸骨を見つめる。


「坊主、聖女様の息子だろ。アド・セイリール」


 なんで知ってる?


「驚いた顔をしてるな。俺ァ、情報屋なんだ。聖女様のことも調べてたが、まったく金にならなかったな。悪事の一つや二つしてくれりゃ面白かったのに」

「……ネクロマンスはしない」

「おん?」


 今度は頭蓋骨が驚いた顔をした、ように見えた。


「お母様の魂はすでに消滅してる」


 お母様の存在はどこにも感じられなかった。

 当たり前の話だ。

 火炙りの刑は魂をも焼き尽くす。

 そうやって魔女狩りに遭った魔女は、輪廻転生の手段を奪われるのだ。

 フルカネリの禁書でも、焼死体への入魂は不可能だと記載されている。


「消滅するとどうなるんだ?」

「ネクロマンスしても、物言わぬ死体が無意味に動き回るだけだ」

「じゃあなぜ、遺骨を探してる」

「蘇生させるんだよ。ネクロマンスじゃなくて」

「そんなことできるのか?」


 頭蓋骨が、前のめりになった。


「詳しくは知らないけど、できるらしい」

「何だよ、はっきりしねえな」

「蘇生術の理論は構築されてるらしい。死霊術を基盤とするみたいだ。だから蘇生術を達成するために、遺骨が必要なんだ。それだけは教えてもらった」

「誰に?」

「エトエラに」

「ばっ!? この国を滅ぼした張本人じゃねえか!?」


 頭蓋骨が左右に飛び揺れた。


「それがどうしたの」


 アドは無表情のまま、濁り腐った眼を向ける。


「いや、別にいいけどよ……」

「リューンガルドの生き残りは?」

「北西はまだ瘴気が薄いって話で、みんなそこへ向かってたな」

「ありがとう」


 今も昔も、感謝の言葉だけは忘れない。

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