第18話 姫様奪還



 姫君が列車に乗る当日になった。

 アドは腐臭の漂う地下水路で、顔面を白色の光で照らされていた。


「アードゥちゃん、カワイイわねいっ。ペロペロしちゃいたいっ」


 ねっとりした口調でアドにお化粧を施すのは、オカマのメイクさんだ。

 名を、オダマリ男爵と言う。

 アドの母国――リューンガルド王国で名を馳せた化粧師で、王室のメイクも手掛けてきたのだという。二メートルもある巨体からは想像もできないくらい、繊細で洗練された手さばきにいつも驚かされる。


 アドが化粧をする理由はひとつ、女装をするためだ。


 指名手配が解除されたからといって、駅に着くまでにバレないとは限らない。ここは念には念を入れて、万全の体制で姫様奪還に向かう。


「ウィン子ちゃんはイケメンねい。百合っ子歓喜よぉ〜!」


 ウィンターは男装だ。

 金髪の女、という印象が強すぎるので、金髪の男に変わってもらう。


「リアーラちゃんはどうしようっかしらねぇ〜」


 オダマリ男爵が化粧筆を片手に悩んでいると、


「リアたんはぁ、派手派手なアイドルなんだよぅ?」


 横からサマーが茶々を入れてきた。


「絶対に嫌です!!!」

「それだわぁ〜ん!!」

「え゛?」


 青ざめたリアラが頬を引きつらせ、オダマリ男爵の顔を恐る恐るうかがう。

 オダマリ男爵はまさに、閃いた! といった感じで目を輝かせ、リアラの前髪に髪留めをちゃっちゃかつけていく。


「ちょちょっ、マジですかっ?」

「まさかここに百年に一人の原石がいたなんてねいっ、アタシもひさびさに腕が鳴るわよぉ〜! おったまげ〜!!」


 アドは言うのを忘れていたが、リアラは顔が割れていないので、別にメイクをする必要はないのだった。




     *




 スカートをふわりを舞わせるアドが、第一ファームの駅を堂々と闊歩する。

 誰もこの女の子が、指名手配を受けた貧相なガキだとは思わないだろう。


 アドの横には、正装を身に着けたウィンターが並ぶ。

 唇にゴムひもを咥えるウィンターが、白い手袋に包まれた手を後頭部に回し、襟足で切り揃えられた髪を短く一本に束ねている。まさにお嬢様に付き従う執事といった風情だ。


 さらにその横に、顔を真赤にしたアイドルがいた。


「みなさんを恨みます……っ!」


 結っていた三つ編みは解かれ、おしとやかにまっすぐ降ろされてある。

 リアラが一番嫌がっているのは、一際異彩を放つ髪飾りだった。

 なんとハートや星型のメルヘンチックな髪飾りで、完全にリアラの趣味ではないのに、完全にリアラの外見にマッチしていた。それに加えて、オダマリ男爵の特殊技術で、瞳の表面にも星やハートのメイクが施され、これまで地味な印象のあったリアラが、一気に華やかな印象に変わっていた。


「こんな服……絶対似合わないです……っ!」


 肩口の開いたニットワンピースを摘むリアラ。

 残念なことに、とても似合っていた。


「さて、定刻だ。行こうか」


 手には、王都行きの切符が握られてある。

 アドはリアラとウィンターを連れて、影の兵が見張る改札へ近づいていく。


「切符ヲ見セロ」

「……」

「通レ」


 余裕だった。

 切符を見せて、印鑑を押され、それで終わり。


「やりましたね」


 リアラが嬉しそうに頬を緩め、ウィンターとハイタッチ。

 あのバカ魔族、仕事はきっちりやってくれたようだな。


「王都行きはあの列車か」


 看板の指示に従っていくと、王都行きの列車に辿り着いた。

 今回サマちょはお留守番だ。

 戦闘力を有さないサマちょは、危険が予想される王都で、足手まといになる可能性が高い。無駄に魔晄結晶を消費するくらいなら、人間牧場を散歩していてもらったほうがまだよかった。今日はカフェでパフェを食べるらしい。


「問題はここからです。ホームに入れても、列車に乗れるとは限りません。ファーム間の移動ならまだ不自然じゃないですが、家畜が王都に行くとなると、身分証が求められる可能性もあって――」

「リアラ、早く行くよ」


 リアラの講釈を無視して、アドはずんずん列車に迫る。


「ちょっとアドくん待って! 車両の前に検問がいます!」

「大丈夫だから」

「え……?」


 検問係の影の兵を素通りして、アドが車両の中へ入っていった。


「ほら、来なよ」


 呆けているリアラに手招きをする。


「え……なんで?」


 小首を傾げて疑問に思いつつ、リアラがそろりと車両に足を踏み入れる。


「席はどこ?」

「アドくん、伏せて! 影目玉です!」


 とっさの判断で、リアラが物陰に伏せた。


「大丈夫だって」


 アドは立ちっぱなしで、リアラの挙動を見下ろした。


「だからなんでです!」


 おかしくて笑ってしまいそうになる。


「よく見なよ、あの影目玉」

「ん……?」


 アドがぷかぷか浮かぶ球体に指を差すと、リアラが目を凝らして唸りだす。


「んんっ!?」


 ようやく気がついたようだ。


「……なんか生えてます」

「何に見える?」

「……キノコです。キノコが生えてます」

「そういうこと」


 白濁した影目玉のてっぺんに、立派なキノコが生えているのだ。


「じゃん!」


 アドが懐に腕を突っ込んで、目と口のついたキノコを取り出した。


「プギィ! プギィ!」


 アドの手の中で、キノコがくねくねと身をよじっている。


「マイコニド……!」

「地下水路に、マイコニドの死体を運んできてもらったんだ」

「マイコニドって……鳴くんですね……」


 それは最初、アドも同じことを思った。


「マイコニドをネクロマンスすれば、影目玉を無効化できるんじゃないかって考えたんだ。だから言ったでしょ、リアラでも思いつく方法だって」

「たし……かに……! 思いつきます!」

「街の影目玉をぜんぶ寄生するのは難しいけど、列車周辺の影目玉なら数も多くないし寄生できるよ。ウィンターが全数を確認してくれたしね」

「どや」


 すまし顔で胸を張るウィンター。


「ちなみに検問の影の兵も、鎧の下にはキノコがびっしりだ」

「そうだったんですか!」

「列車が走り出したら、二号車に行こう」


 切符の指定する六号車へ移動することなく、時間が来るまでこの連絡路で待機する予定だ。囚われの姫君のもとへ、最短距離で行き着くために。


「さあ、姫様とご対面だ」



     *



 がたんごとん、と足底から振動が伝わってくる。

 赤茶けた荒野の景色が、車窓の枠から流れ去っていく。


「プギィ! プギィ!」


 アドはマイコニドの石突きをぎゅっと握り締める。


「この車両に、アルティア様がいるんですね」

「ゴーストリッチの情報が正しければね」


 この扉の向こう側に、待ちに待ったクロノスがいる。

 王族を護送する関係で、二号車にはクロノスの関係者しか乗っていない。


「プギィア! プギィィ!」

「ごめんね。今からキミをぶち投げるよ」

「プギィィア!?」


 横に引いた扉の隙間から、マイコニドを投げ飛ばした。


「何事です!?」


 女性の驚いたような声と、


「プギィィ!! プギィィ!!」


 それを掻き消すマイコニドの声。


「毒ガス?」


 今度は低く貫禄のある男性の声。


「アルティア様、鼻を押さえてください」

「体が熱い……何なのこれ……!」

「わかりませんが、吸うのは危険です」

「ハァハァ……爺や……!! 頭に……立派なキノコが……!!」

「姫様の頭にもお生えになっております……」


 扉の隙間から、桃色の胞子が充満しているのが確認できた。

 この密閉空間では、マイコニドの胞子からは逃げられない。


「そろそろ頃合いだ、ウィンター」


 目配せをする。

 ゴーストリッチの情報では、二号車に乗っているのは、アルティア本人と、付き人の〝爺や〟二人だけだ。それ以外は全部影の国の者らしい。発言内容から察するに、二人はすでに、マイコニドに寄生されている。ということは、二人を監視している影目玉や影の兵も全員寄生されているはずだ。


「作戦開始と行こう」



     *



 ウィンターが先に二号車へ侵入し、片っ端から窓を開けて換気を始める。その次にマイコニドの寄生を確認し、影の国の勢力が無力化できているか判断してもらう。それでこの車両に危険性がないと判断され、キノコの胞子の換気がある程度完了したら、ウィンターから合図が送られるはずだ。


 とんとん。


 二度、ブーツを踏み鳴らす音。


「行くよ、リアラ」


 奪還に。


「何者だ。姫に近づくな」


 白髪を撫で上げた初老の男が鋭く睨みを利かすが、体が痺れて自由が利かないことをアドは知っている。

 この状況で、弱みを見せないのはさすがだ。

 しかし、立っているのがやっとだ。足の痙攣までは隠し切れていない。

 爺やの頭部に生えているキノコをぶちっと引き抜き、アドは颯爽と横を通り過ぎていく。爺やは震える足で、無抵抗のまま、見ているしかできない。


「アルティア・クロノスか?」


 アドは、足元で息を荒げる女を見下ろした。

 見目麗しく着飾り、頭部にキノコを生やした女が、恍惚とした表情を浮かべ、太ももをもじもじと擦り合わせている。催淫作用で発情しているようだ。

 召し物と気品は王族のそれだが、本物か?


「ハァ……ハァ……!」


 女の眼球が白濁してきたので、問答無用で、ぶちっとキノコを引き抜いてやった。すると眼球に浮かんでいた奇妙な脈が消え、女の瞳が瑞々しく透き通ったものに変わる。


 状況から察するに、この女がアルティアで間違いないだろうが、クロノス家が影武者を用意している可能性も捨てきれない。間違って影武者を攫ったとあらば、すべての計画が水の泡となってしまう。


 アドは周囲に警戒の目を飛ばす。

 決して時間があるわけではない。

 早々にこの女がアルティア本人であるか確認したいが……。


「人、間……?」


 その反応は意外だった。

 この女は、魔族が襲撃してきたと思っていたらしい。


「ここに来てはダメ。魔族に見られてる。逃げなさい!!」


 白濁した眼球の影目玉が、車両の床でびくびくと痙攣しているのが見えていないようだ。ひどく焦った様子で、逃げろ逃げろと喚いている。


「うるさいな。ボクの質問に答えろよ」

「アルティア様……!!」


 駆け寄ったリアラが、床の女を力強く抱きしめた。


「リア、ラ……?」


 女の目が見開かれる。


「ご無事ですか、アルティア様!」


 そうか。

 元給仕のリアラが見れば、本人かどうか一発でわかる。


「リアラ、なんで戻ってきたの、この国に!!」


 アルティアがリアラを突き放した。

 そのときアルティアの長い髪がふわりと舞い、首筋の『24』という数字が垣間見えた。あれは、リアラの首筋にあるものと同じ数字だ。

 これは一体、何の番号だ?


「アルティア様をお助けに来ました」


 突き放されてもリアラはめげず、アルティアの肩に食らいついた。


「バカ!! 誰もそんなこと頼んでないでしょ!!」


 瞳孔が開き、ひどく興奮している。


「早く逃げなさい! この車両は警備が厳重で――! 警備が厳重で……」


 あたりを見渡すアルティアの動きが、徐々に緩慢になっていった。


「影の皆様には、思考を停止してもらってる。あのキノコでね」


 アドがゆっくりと下に向かって指を差す。


「プギィ! プギィ!」


 座席の下で転がるキノコが、挨拶代わりに鳴き声をあげた。


「マイコニド……!」


 ようやく状況をわかっていただけたようだ。

 ぷかぷか浮かぶ影目玉も、床で痙攣する影目玉も、皆が皆キノコを生やし、眼球を白く濁させている。いま彼らに自分の意志はなく、キノコの本能のまま、菌糸を繁殖させるべく操られる運命にある。


「彼は、アドくん。いろいろあって女装しています」


 リアラがアドに目線を送り、


「そしてこの方はウィンターさん。美しくてお強いです」


 次にウィンターへ目線を送った。


「さらに街には、サマちょさんがいます。無敵の女の子です」


 リアラまでサマちょ呼びになってて笑える。


「みんなみんな、わたしに協力してくれてます。だからもう、大丈夫です」

「……状況はわかりました。街での騒ぎはあなたのことだったのですね」


 アルティアが複雑そうにうなずいた。


「でもこれは、魔族への反逆ですよ。こんなことをして、どう責任を取るおつもりですか。魔族の怒りを買ってしまえば、人は簡単に滅ぼされるんですよ……!」


 実際そうやって、人の国が魔の者に滅ぼされてきたのだろう。


「アルティア様、どちらにせよ、みんな死にます」

「みんな、死ぬ……?」


 アルティアが息を呑んだ。


「今から三日後に、影の魔王は、ファームをすべて潰します」

「どうして……! それでは、人間を管理して育てている意味が……!」

「魔族の考えは、わたしにもわかりません。ですが、これは事実です」

「リアラ……まさかあなた……」


 今度はアルティアが抱きしめる番だった。


「アルティア様?」


 抱かれるがまま、目を丸くするリアラ。


あなたはそれを見たのね、、、、、、、、、、、

見ました、、、、。ですから、一緒に逃げましょう、アルティア様」


 見た? どういうことだ?

 まるで預言者マーリンみたいな……いや、待て。


 そのときアドに電気が走った。

 なるほどそういうことか、とアドは得心する。

 点と点の繋がる感覚が駆け抜ける。


 リアラはどういうわけか、三日後を見ることができる。アルティアの反応を見る限り、どうやらそれは事実のようだ。ファームに来た当初も、五日後に潰される、と言っていたのを思い出す。あれから二日経ち、残り三日。

 そしてアドには、未来を見る方法に心当たりがある。

 隠し事の多い女の子だったが、もうこれ以上の隠し玉はないだろう。リアラが必死になっている理由も、その根拠も、これで窺い知ることができた。

 リアラの行動はすべて、その未来に抗うためだ。

 それは、信用に値する。


「んー? 何だこれはァ?」


 すぐ背後から、声が聞こえた。即座に振り返り、床を蹴って距離を取る。

 背後にぬらりと立っていたのは、天井にくっつきそうなくらい、縦に長い影の化物だった。直立すれば頭を天井にぶつけてしまうため、常に前かがみとなり、上から覗き込むようにしてアドを見下ろしている。


 気配を感じなかった。


「定時連絡がないと思えば、ネズミが忍び込んでたかァ?」


 縦長の影が被っている白のお面には、三日月のような目と口が描かれてある。


「シャドウハンター……!!」


 目が破れんばかりに見開かれ、アルティアが尻をつけたまま後ずさる。


「これは狩りが必要だなァ?」


 そう言ってシャドウハンターが、まるでフォークのような三叉の槍を突き立てた。


「ちょっと黙っててくれ。いま大事な話をしてる」


 しー……とアドが人差し指を立てる。

 大事な話どころか、まともな会話すらまだできていない。これからアルティアと詰めて話していかないといけないというのに、こうやって邪魔をされては事が上手く運べない。


「なんだァ、このガキはァ? よっぽど死にたいらしいなァ?」

「アドくん!」


 にゅいっとシャドウハンターの首が伸び、拳一個分の至近距離で威圧的に見下ろしてくる。人間を串刺しにしようと三叉の槍が後方に引かれた瞬間、


「がっ……!」


 弾丸の身のこなしで跳躍したウィンターが、首根っこを掴んで白のお面を床に叩きつけた。


「あのさ、ボクが黙ってろって言ったら黙ってろよ」


 亀裂の入った白のお面から、ぱらぱらと欠片が落下する。


「ぷぎ?」


 舌足らずな疑問の鳴き声をあげ、目がかすかに揺れるマイコニドを、シャドウハンターのお面にぽむっと押しつける。それだけで影の頭頂部にキノコが生え、麻痺成分により手足が動かなくなる。


「なんだァ……? 体が痺れて……」

「そこでお花畑を眺めて全部忘れてろ」


 床で麻痺する影に言い捨て、アドが足音を鳴らして通り過ぎる。


「さて、クロノスのお姫様。早速だが、時の魔術を紡いでくれ」

「え……?」


 目を白黒させるお姫様に向かって、アドは躊躇なく己の腕をめくった。


「〝影の病〟を止めてほしいんだ」



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