第17話 伝染



「おい、聞いたか。反逆者が殺されたみたいだ」

「反逆者って、ローブのガキと金髪の姉ちゃんか?」

「そうだ。魔族様が処理なさったらしい」


 街の噂が耳に入った途端、エミールは膝から崩れ落ちた。

 石畳に膝頭がぶつかって痛いはずなのに、エミールにはどこか遠くの出来事のように感じた。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。


 兄ちゃんが、死んだ。


「ああ……ああ……」


 オレを二回も守ってくれたのに。

 オレのせいで死んだ。


「ああ……ああ……!」


 取り返しのつかないことをしでかしてしまった。


「オレが店で匿ったばかりに……!」


 よかれと思ってやったことだった。

 国から指名手配を受けた兄ちゃんを何とか助けたくて、見かけた瞬間に店の中へ招き入れてしまった。


 痩せ細っていたから、何日もごはんを食べていないと思ったのだ。魔族様から逃げ切るには、栄養を摂って力を養うべきだと思った。だから母ちゃんに頼んで、料理を作ってもらった。少しでも休んでほしかった。


 でも。

 それがいけなかった。


 オレが止めなければ、兄ちゃんはきっと今も生きていた。


「アっ……」


 右腕に凍えるような冷たさを感じ、エミールはようやく見下ろした。


「影人!?」


 影人がエミールの右腕を掴まえていた。

 慌てて確認すると、腕が黒い影に染まっていた。


「嘘だろ!? 嘘だろ嘘だろ!?」


 何度も何度も腕を振るが、黒い影が一向に晴れない。

 しまいには石畳に腕を擦りつける。

 擦り切れる痛みが皮膚に走るが、それでも黒い影はなくならなかった。


「嘘だろ、伝染っちゃったの!?」


 エミールは右腕を押さえ、逃げるように路地裏へ走った。


「アア――――ッ!!!」


 後方で、影人の叫び声が聞こえた。

 見ると一体の影人が、エミールに影を伝染うつした影人に殴りかかり、天に向かって雄叫びをあげていた。その声があまりにも悲痛で、エミールは耐えられなくなり、思わず両手で耳を塞いだ。


 どういうわけか、勝利した影人が、泣き叫んでいるように見えたのだ。



     *



「ハァ……! ハァ……!」


 エミールが脇目も振らず走る。

 喉がつっかえたようになり、呼吸が思うようにできない。

 焦りが足底から競り上がってくる。


「母ちゃん……」


 涙でにじんだ視界で、母ちゃんの顔が浮かぶ。


「オレ……。影が……!!」


 まだら模様のように侵食し、今もなお、黒い影がじわじわと広がっている。

 それが肌の感覚でわかる。

 冷たいのだ。

 滲みるような冷たさが、じわじわと肩まで迫ってきている。

 怖さよりも、何よりも、まず最初に思うのは、母ちゃんのことだった。


「どうしたらいいんだ……! 母ちゃんに心配かけたくないのに……!」


 石畳に足を引っかけて、エミールが大きく転んだ。


「うう……っ」


 受け身も取れなかった。

 母ちゃん、母ちゃん、母ちゃん。

 エミールは痛む足に力を込めて、必死に立ち上がろうとする。


 オレが影になったら、母ちゃん悲しむだろうな。オレなしで店はやっていけるかな。影になったオレがいると、客が来なくなっちゃうよな。母ちゃんに、迷惑かけちゃうよな。あの店は、母ちゃんの夢なのに。邪魔しちゃうよな。


 オレ――いなくなったほうがいいよな。


「ケケケケ、ポイントアップ」


 どこからともなく、ぼうっと姿を現した影目玉が、小刻みに揺れた。


「うるさい……! 消えろ……!」


 母ちゃんを思う気持ちが、こんなポイントなんかに!

 バカにするなよ……!


「ケケケケ、ケケケケ。ポイントアップ」

「ああ……ああ……」


 目の端から、大粒の涙が零れ落ちる。


「母ちゃんが、一人になっちゃう……!」



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