第14話 夏を冠する悪魔



「このリザードマンが所長」


 ウィンターが足元を見ながら言った。

 縄に縛られている蜥蜴人間が、所長室の床に転がっている。

 でかした、ウィンター。でかしたすぎる。


「どうも初めまして。家畜です」

「……殺せ」


 アドが自己紹介すると、リザードマンは吐き捨てた。


「下っ端の雑用なのに、素晴らしい覚悟だね」


 亜人種は悪魔種より下位の魔族だから、こうして家畜の管理をやらされているのだろう。それでもこの種族は、勤勉で真面目な種族だ。家畜の処理などという雑務でも、仕事に誠実なので好感が持てる。


「……殺せよ」

「殺さない」


 シャドウアサシンとは違って持っている情報に価値はないだろうが、リザードマンがこの施設の管理者であるのなら別の利用価値がある。


「アンタにはやってもらいたいことがある」

「俺が手を貸すとでも?」

「手を貸したくなるから安心しろ」


 リザードマンは鼻で笑っていたが、このあとその意味を痛いほど知ることになる。


「ウィンター、サマーを醒こすよ」

「…………」


 ウィンターがあからさまに顔をしかめた。


「嬉しそうな顔だね」

「…………」


 今度は反吐が出るような顔をされた。


「ここは手狭だ。さっきのホールへ行こう」


 アドはホールへ移動する。

 ウィンターが破壊し尽くしたせいで、金属鎧の破片が散乱しているが、まあ支障はないだろう。


 アドは足でぱっぱっと影の兵の残骸を払う。その場にしゃがみ込んで魔晄結晶を握り直すと、ホールの石床にガリガリと術式を削り描いた。


 魔素の効率化を図るために、ここは丁寧に手書きで紡ぐ。


 魔晄結晶はここですべて使い切るつもりだ。この術式を最後に、アドは一切の魔術を使えなくなる。〝落ち葉のうたげ〟のときのように、ウィンターのいない場面で影の兵に出会くわせば、今度こそ詰みだ。アドは死ぬ。


 次第に描き出される魔法陣。

 系統は死霊、属性は闇。


 未熟者がこの術式を記すとたちまち呪われ、体が砂のように干からびる。

 だがアドはそんなヘマはしない。


 術式の連結部のそれぞれの根本に、供給源として三つの魔晄結晶を配置する。魔術回路を繋ぐ幾何学模様と魂を呼び寄せる古代文字の連なり、それが意味するところは、影の国の悪魔とは比べものにもならない上級魔族の覚醒めだ。


「覚醒めろ、サマー」


 魔素の気流でアドの髪が荒ぶるなか、黒き光で満たされた魔法陣から、荘厳な棺が浮かび上がる。周囲の者を髄から震撼させる、禍々しい闇の魔素。


 独りでに棺の蓋が横ずれし――


「んんーっ!」


 中から起き上がった者が、腕を上げて伸びをした。

 それに呼応するかのように、悪魔の尻尾もぴんと伸びる。


「すっごいよく寝た〜!」


 見る者の視線を根こそぎ奪う絶世の美魔サキュバスがそこにいた。

 サキュバスはサキュバスでも、クィーンサキュバス。

 ウィンターと同じ、崇高なる魔の王族である。


「あれ〜? オータムとスプリングは?」


 棺桶の縁に頬杖をつき、気だるげにあたりをうかがう。


「魔晄結晶の節約で、眠ってもらってる」

「ふーん、じゃあ、そこの吸血鬼だけか」

「ふん」


 ウィンターが目を合わせず、ぷいっと顔を反らした。


「冬子せんぱぁい、その態度はなぁに? こっちおいでよ?」


 おしとやかな見た目とは裏腹に、勝ち気な笑みを浮かべ、サマーが挑発するように手招きする。


「話しかけないで。あなたの声、甘ったるくて耳障り」

「やっばー、陰キャ特有の被害妄想」

「殺す」

「アド、こわぁーい。あのババア、眠らせてよ。顔色悪いし」

「…………」


 片方の味方をしたら面倒になるので、アドはだんまりを決め込んだ。


「よいしょっと」


 小さな掛け声とともに、サマーが棺桶をまたぎ出る。


 次第に、サマーの全容が現れる。


 首には革のベルトが巻かれ、その下にはハート型の鈴。

 胸元だけくり抜かれた黒革のキャミトップをタイトに着ており、丈が短いせいでおへそが丸見え状態だ。際どいほど短い革のパンツから伸びる白い脚は、黒の網タイツと黒のハイヒールブーツに包まれている。

 露出が多く、目のやり場に困る。


「冬子せんぱぁい、私に会えてうれしい?」

「近づかないで」


 サマーがウィンターの服を摘んで、わざとらしく鼻をくんくんと鳴らす。


「あれれー? 冬子せんぱい、また香水変えたんだぁ?」

「……!」

「もしかしてまだ、こっそり脇のにおい嗅いでるのー?」

「殺す」

「アド、きしょーい。このババア、眠らせたほうがいいって。自分の脇、くんかくんかしてるんだよぉ?」

「…………」


 サマーの性格は捻じ曲がっているが、外見は誰よりも可憐で美しい。サマーが意図しても意図しなくても、男性の庇護欲をそそるようにできている。

 つまり、サマーがいれば魔族すらも味方につけられるのだ。


 彼女の魅了の力は、あらゆる男を惚れさせる。



     *



「落とすのは、あのリザードマンだ」


 所長室に戻ったアドは、床に転がるリザードマンに目を向けた。


「あんなのちょろすぎだよぅ?」


 サマーが余裕たっぷりで、甘ったるい声を出す。


「悪魔? なぜ人に従う?」


 リザードマンが目を剥いた。

 亜人よりも上位の悪魔が、人間に協力していることが不思議なのだ。

 特に魔王に征服されたこの世界では。


「私のこと気になるんだぁ? 教えてあーげないっ」


 そう言ってサマーはしゃがみ込み、リザードマンの縄を解いてやった。


「どういうつもりだ?」

「どうせオジサン、私のことタッチしないでしょ」


 サマーを傷つけようとする男などこの世にはいない。


「オジサン、惚れちゃう?」


 サマーが右の指と左の指をくっつけてハートを作る。


「らぶ、らぶ、ぽんっ♡ だよぅ?」


 ハートの内枠にピンク色の魔法陣が浮かび上がり、サキュバスの特異魔術魅了チャームが発動される。小首を傾げてウィンクするサマーの指から、徐々に拡大していくハートの光が発射された。


「な、なんだ!?」


 リザードマンは顔面にハートを食らい、大きく後ろに仰け反った。


「へぇ〜、もう私のこと好きなんだぁ?」

「誰がだ」


 リザードマンが否定するが――


「私にはわかるんだぁ」


 サマーがそう言うならそうなのだろう。


「ほら、熱い気持ちでちゅるちゅる溶けていく」


 いつの間にかリザードマンにしなだれかかるサマー。


「オジサンの昂りをフガフガ感じるよぅ?」


 サマーの吐息がリザードマンの耳にかかり、ぶるると体が震えたのがアドからもよく見えた。


「会ったばかりで好きになるわけがない……」

「なーるの」


 ぱっちりとした瞳が、リザードマンを見上げる。


「オジサンみたいなクソ真面目は歯止めが効かないかも? 自分の気持ちに気づいたら最後、サマたんに死ぬまで尽くしちゃう」

「そんなわけない……」

「じゃあ殺してみる?」

「……!!」

「オジサン今自由なんだよぅ? どうして殺さないの?」

「くっ……!」


 リザードマンがサマーから避けるように顔を背けた。


「キャハっ。体は正直だね?」


 体温で溶けそうなくらい甘ったるい声。


「ねぇねぇ、オジサンにお願いがあるの」


 それからサマーは打って変わり、目元をすうっと細めると、


「侵入者を処理したと嘘の報告をして」


 ぞっとするほど低い声を発した。


「そんなことでいいのか?」


 落ちた。

 その一言でアドはそう確信した。

 心変わりでもしなければ、魔王を裏切るなんて馬鹿な真似はしないはずだ。


「いいの。侵入者を処理したと偽の報告をして」

「……わかった」


 のぼせたように遠く見つめるリザードマンが、ふらふらとデスクへ近寄って受話器を手に取った。


「……こちら第一人間牧場、家畜処理管理官のリオールだ。影の一族が捕らえた侵入者は、滞りなく処理を終えた。通常業務に戻る」

『捕縛の件は聞いている。報告ご苦労』


 かちゃり、と受話器を置く。

 所長室が静まり返り、魔導機器のジジジという耳障りな音がやけに大きく聞こえる。


「……おい、俺は今何をした?」


 受話器をじっと見下ろし、リザードマンが深刻につぶやいた。


「……なぜ受話器の前にいる?」


 泣き笑いのような表情を浮かべ、救いを求めてあたりを見渡した。


「頼むよ、記憶がないんだよ。なァ、教えてくれ。一体俺は何をしでかした!!」

「嘘の報告をしたんだよ?」


 リザードマンの時が止まった。


「本気で言ってるのか?」

「ええ」

「私はあなたに魔術をかけた。一度だけ、強制的に男を服従させることができる魔術」

「おい……」


 怒りで魔力の制御を乱したアドが、半眼でサマーを睨みつけた。


「ボクはそんな指示してないぞ」

「なぁに? 聞こえなぁい?」


 両耳を押さえてとぼけるサマー。

 これだから悪魔は……。

 アドが指示したのは、『男を魅了して嘘の報告をさせろ』という内容だ。誰も『精神を支配してオモチャにしろ』とは言っていない。


「ああ……あああ……!! 魔王様……!! すまねえ……!! 魔王様のご信頼に背いちまった……!! 魔王様すまねえっ……!!」


 リザードマンが泣きながら謝っている。

 このリザードマンはもうダメだ。

 精神が崩壊しかかっている。


 忠義をずたずたに踏みにじられ、正気を保てないほどの罪の意識が心を巣食う。魔王様を裏切ってもなお、サマーの魅力に取り憑かれ、サマーを否定できない葛藤に、リザードマンの信念がぐちゃぐちゃに攪拌されるのだ。


「はぁぁ……♡」


 サマーはそんな哀れな男をうっとりと眺め、背筋が凍るのほどの妖艶な笑みを浮かべた。


「もう俺に生きる資格がねえ!!」


 リザードマンが腰の剣を引き抜いた。


「ばいばぁ〜い」


 サマーが手をひらひらと振って見守るなか、リザードマンは自分の腹に深々と剣を突き刺した。口から血反吐を吐き、涙を流しながら、床へ崩れ落ちていく。


 サマーに心を壊された者は、その多くが自死を選んでしまう。

 このリザードマンもその先例と同じようになった。


「気持ちを弄んで楽しいかい?」


 アドは濁り腐った眼で魔性の悪魔を見る。

 人も魔も心がある。

 殺すにしても、もっとマシな殺し方があったはずだ。


 それ以前にアドは、このリザードマンの誠実さに好意を抱いていたのだ。快楽主義の他の魔族とは違う。サマーのやったことは、魂の尊厳を損なうものだ。


「何言ってるの、アド。色恋なんかじゃ微動だにしない信念がね、こうやって強制的に捻じ曲げられていく姿が、狂おしいほどに愛おしいんだよぅ? 耳の近くでちゃんと聞こえたよ、パッリーンって心の壊れる音が。はぁぁ……最っ高……♡」


 サマーにとって男とは、ただのオモチャにすぎない。


「性根が腐ってていっそ清々しいよ」


 今のアドは、ウィンターと同じように反吐が出そうな顔をしているだろう。


「バっカねー、アド。サマたんはぁ、悪魔よりも悪魔なんだよ?」


 そうなのだった。

 悪魔を呼び醒ますということは、こういう危険がつきまとうということだ。


 サマーは血だらけのリザードマンの死体を抱き寄せ、愛でるように背中を撫でている。うっとりと妖艶な笑みを浮かべるサマーが、この世のものではないほど艶麗えんれいに見える。思わず魅入ってしまったアドは、はっと我に返った。


 本当にたちが悪い。


 結局アドも、彼女の魅力にどうしようもなく取り憑かれている。


 危険性はわかっているはずなのに、何か理由を見つけては、贔屓して呼び醒ましてしまうくらいに。


 気を引き締めなければ。

 術者が悪魔に食われる。



     *



「ジト目の嬢ちゃん」

「ひゃっ!?」


 往路の物陰に隠れて魔族を探していたリアラは、横から声をかけられて飛び上がった。


「驚きすぎだろ」

「骸骨に話しかけられたら誰だって驚きますよ!」


 ブチギレ案件である。


「アド坊が呼んでる。地下水路で会おうってな」

「よかった。無事だったんですね」


 その言葉を聞いて、すごくほっとした。

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