第11話 死者の冒涜


 アドが案内されたのは、東区の陰鬱な荒野だ。

 区画の外れにあるせいか、悪魔の騒ぎが嘘みたいに静か。

 それでもアドたちは警戒し、灌木の陰に身を潜めている。


「あれを見てください」


 リアラの指をさした先に視線を向ける。


「石像?」


 人の形を模した石像が何体も樹立していた。


「あの石像がお墓です」

「この時代のお墓は趣味が悪いね」


 アドは無遠慮にそう言った。

 偉人の銅像ならまだわかるが、死人の石像が並ぶと気味が悪い。


「あの石像に、自殺した人間の魂が閉じ込められています」

「は?」


 聞き捨てならなかった。それは死者に対する冒涜だ。


「これはね、罰みたいなものなんです」

「罰?」


 死者の魂は望む場所へ還すべきだ。

 誰かが身勝手に縛りつけていいものではない。


「魔族は家畜の自殺を禁止しています。禁忌を犯したから、罰です。自分たちはその日の気分で殺すくせに、矛盾してますよね」


 そう言ってリアラは、どこか遠くを見つめた。


『助けて……ここから出して……怖いよ……』


 不思議なことに、淡い光を帯びた石像から、人の声が聞こえてきた。


「おまえ……! なんで自殺なんか……!」


 その石像の前で、人目をはばからず泣き崩れる女性がいる。

 石像の足元には、白の花束と手作りのカップケーキが置かれてあった。


「聞こえる!? お母ちゃんだよ!!」

『怖いよ……助けてよ……苦しいよ……』

「なんであのとき話を聞いてやんなかったんだ……。あのとき何か伝えようとしてたのに……なのに私は……ほんと馬鹿だ……馬鹿な母ちゃんでごめんね……。苦しい思いをさせてごめんね……ううっ……」


 泣き崩れているのは、この女性だけではない。

 他にもたくさん、後悔を胸に抱いた人たちがここに集まっている。


「あの石像からは、自殺者の声が一方的に聞こえてきます」


 胸糞が悪すぎる。

 魔族は死者の想いを何だと思っているのだ。


「これは自殺を防ぐ政策のひとつです」

「これで自殺がなくなるとは思えない」

「自殺をした場合、遺族の希望ポイントはゼロにリセットされます。その挙げ句、ああやって声を聞かされ一生苦しむことになる。身内を苦しめるのが嫌なら、簡単に自殺をするなってことです」


 弱者の優しさに漬け込んだひどい政策だ。


「希望ポイントってそんなに大事なの?」

「1万ポイント貯まれば、ファームから出られます」

「へ? そうなの?」


 間の抜けた声を漏らすアド。

 ファームから出られるって、それじゃ壁に閉じ込めておく意味が……。


「人間が希望ポイントを貯める過程を〝加工〟と呼び、〝加工〟が済んだ善良な家畜は牧場から〝出荷〟されます。出荷先は、魔族の監視が一切ない自由の国〝市場〟。牧場ファームの人間は、市場マーケットに住むことを憧れ、そのために善行を積んでいます」

「待って」


 アドは頭がこんがらがってくる。


「じゃあクロノスの姫は……」


 当然の帰結を口にした。


「1万ポイント貯めればいいんじゃないか?」


 しかしリアラは、首を横に振った。


「姫様は一度、1万ポイントをお貯めになっています」

「は?」

「ですが、ファームから出ることは叶いませんでした」

「なんで?」

「魔族に裏切られました」

「…………」


 ○月✕日 希望ポイント獲得 魔族様へ返上する

 ○月✕日 希望ポイント獲得 魔族様へ返上する


「いつしかクロノスは、ファームの希望の象徴になっていました。希望そのものであるクロノスが、ファームから去ることは、魔族にとって測り知れない損失になると判断されたんです。なのでクロノスだけは、どれだけ善行を積もうと、この監視された牧場から出られないんです」


 リアラがそっと目を伏せる。


「きっとアルティア様は、絶望し、諦観し、生きる希望を失っています。でも自殺することも許されない。魔族のためだけに、ただ生かされる存在に成り果ています。想像できますか。死んだように生きる人生が……」


 伏せられた目が、今度は強く前に向けられた。


「だからわたしは、アルティア様に、希望を届けにきました」


 乾き切った風が吹き抜けていく。


「わたしはね、アドくん。マーケットへ出荷された人間なんです」


 風は砂埃を舞い上げ、ちりちりと肌に刺さる。


「わたしはもともと家畜でした」


 リアラが訥々と語り始めた。


「厩舎塔の給仕の娘として、アルティア様にお仕えしていました」

「なんで黙ってた」

「時機を見てお話しようと思っていました。でもお話しなくても、アドくんが協力してくれたので、タイミングを逃してしまいました」

「やけに詳しいと思ったんだ、街のこと」

「だからわたしは、本気ですよ。本気でアルティア様を助け出します」


 リアラは手を胸に押し当て、ぎゅっと握りしめる。


「アドくん、一つ聞いていいですか?」


 リアラの瞳が、不安げに見つめてきた。


「どうしてクロノスを探してるんですか?」

「そういえば、詳しい事情は言ってなかったな」


 灌木に背を預け、アドが見つめ返す。


「影の病と関係があるんですか?」


 うなずく。


「アンタなら知ってると思うけど、クロノスの魔術は神の領域にある」

「……時の魔術、ですか」

「そう」


 アドは静かに肯定し、「300年前の話だ」と続ける。


「ボクはクロノスの魔女に、ボクの時間を止めてもらった。それで1000年、眠るつもりだった」


 1000年後に治療法がある、というマーリンの予言を信じて。


「では300年前のクロノスは、アドくんに協力したって言うんですか?」

「そうだよ」

「どうして」


 リアラの瞳が、かすかに揺れた。


「そんなの決まってる。利害が一致したからだ」

「利害?」

「魔女はエトエラに恨みがあった。そしてボクはエトエラの死体がほしかったし、エトエラを殺すだけの力があった。それだけの話だ」


 アドが肩をすくめる。

 お互いに利益があるから、お互いに契約を結んだ。


「彼女は約束を果たしてくれた。今度はボクが果たす番だ。だから必死になってるんだ。アンタと同じように。彼女の死に報いるために」

「…………」

「クロノスの力を借りれば、ボクはもう一度、長い眠りにつくことができる。今度こそ1000年。今度こそ、エトエラの骸を取る。ボクにはできるはずだ」

「どうしてそこまでエトエラにこだわるのですか。恨み、ですか?」


 すこし違う、とアドは思う。


「たとえば剣士は、自分に合った最高の剣を欲するだろう。鍛冶職人は最高の金属を追い求める。冒険者は最高の迷宮を、ハンターは最高の魔物を、魔術師は最高の理論を。……ボクは、最高の死体だ」


 至極単純な理由。


「その死体で、何をする気ですか」

「うん?」


 リアラの質問の意図がつかめなかった。


「死体の使い方次第では、あなたは、人類にとって最悪の敵になり得ます」


 リアラの眠たげな目が、アドの瞳を強く射抜いた。


「わたしはあなたに、協力していいんですよね?」


 そういうことか、とアドは得心する。

 ここにきて、協力するのに迷いが出たようだ。


「ボクがエトエラをどう使おうと、アンタには関係ない」

「なっ……」


 リアラの瞳孔が収縮した。息を呑んだまま、絶句している。


「リアラ、アンタはなんでここにいる?」


 リアラの額を掴み、強引に上を向かせた。


「魔族から人類を解放するため? 違うだろ」


 苦悶の表情でじっと見上げてくる。


「アンタの目的は、クロノスの姫ただ一人だ。他人に構ってる暇はない。アンタはアンタの望みを叶えればいい。利己的に、愚直に」


 そしてアドは、鼻と鼻がくっつく距離で言い聞かせる。


「じゃないと手に余るぞ、この世界は」


 とうとうリアラは、アドの視線から逃げた。


「そんなの……わかってますよ……」


 泳ぐ視線を横に逸らし、服の裾をぎゅっと握る。


「わたしだって何度も何度も……!!」


 なんだ、コイツは。

 アドは混乱した。リアラがよくわからなくなる。

 時折覚悟を秘めた強い目をするかと思えば、今のように不安に駆られた弱い目をする。明らかに普通の女の子からかけ離れているのに、どうしようもなく普通の女の子に感じるときがある。


「おいおい、あんまりジト目の嬢ちゃんを困らせるもんじゃないぜ。この子は、冷めきったジト目をしているときが一番輝いてる」


 不意に横から声が飛んできた。

 アドは反射的に顔を向ける。

 

「定刻通りだね、ダグラスさん」

「来たぜ、アド坊。情報をたんまり持ってな」


 灌木の上にぽつんと一つ、人間の頭蓋骨が乗っかっていた。

 魔の森で呼び起こしたゴーストリッチの一体だ。


「助かるよ。魔力はあとで」

「ヒャッハー!! アルコールの強い魔力を頼むぜ!!」

「しー」


 ウィンターが細く美しい指を唇に立てた。


「おっといけねえ。すまんね、金髪の嬢ちゃん。アド坊の練る魔力は、いい酔い方をするもんでな」


 カカカカ。

 下顎骨が小刻みに鳴る。


「この街に死角ってある? 監視の目が届かないような」

「あったぜ、地下水路だ。そこにゃ、影の目玉もいねえ」

「わかった。そこで話そう」


 そしてアドは、またリアラを見る。


「リアラ、迷ってる暇はないぞ。もうボクを巻き込んだんだ」

「…………」

「アンタに頼みたいことがある。商売をしてる魔族を見繕ってくれ。態度がでかくて、自分は強いと思い込んでる奴がいい。つまり馬鹿だ」

「何をする気ですか」


 空を飛ぶ鳥が陽を遮り、一瞬だけ影が落ちる。


「悪魔を味方につけようと思ってね」

「そんなことできるんですか?」

「できるよ、簡単に」

「え?」


 リアラの目がまんまるく膨らんだ。


「あと、影目玉を無効化する方法も思いついた」

「は!?」


 さらに目が大きく膨らんで、ウィンターから「しー」と注意される。


「アンタでも思いつく方法だ」

「わたしでも……?」


 むむむ、とリアラが唸るが、アドは無視して茂みから出る。


「時間がもったいないから、考えなくていい。答えはもう出てる。アンタに注文してるのは魔族だ。とびっきりの馬鹿をお願いしたい」

「……アドくん、変わりましたね」


 言葉の意味が図りかねた。


「変人扱いは慣れてる」

「どこで変わったんですか」


 神妙につぶやくリアラの声が、アドの背中に当たって落ちる。


「アドくん、あなたに賭けてみようと思います」


 大きな賭けに出たものだ、とアドは思う。

 これからアドのしようとしていることがリアラにはまだわかっていないらしい。


「それじゃまずは、この国の犠牲者に頭を下げにいこう」


 アドは後悔を垂れ流す石像をざっと見渡した。


「未練があるなら、きっと手伝ってくれる。地下水路に辿り着くまで」


 ローブを被り直したアドは、足早に石像の林を駆け抜ける。

 まるで死ぬ直前に石化でもしたみたいに、石像はどいつもこいつも哀しそうな顔をしている。死んだあともこうして辱められるなんて、死者の冒涜以外の何ものでもない。魔王のやっていることは、死霊術師よりも赦されない。


 アドは立ち止まる。


 悪魔を倒すときに使ったから、魔晄結晶は残り五つしかない。

 節約したいところではあるが、アドは自分の利よりも、死者の尊厳を守るために結晶を使いたかった。アドは生者の苦悩よりも、死者の無念に寄り添いたい。それはこの世で唯一、死霊術師にしかできないことだからだ。


「親愛なる亡霊たち、ボクの呼びかけに応えろ」


 アドを中心に死霊術の文字盤が展開される。

 手の中で魔晄結晶が昇華され、魔法陣の黒き輝きが一層強くなる。


「その無念を晴らすため、仮初の肉体を授ける。了承する者は、魂の火を灯せ」


 次の瞬間、墓地中の石像が淡く光った。


「半数以上の同意を得た。牧場は大荒れする」


 石像に無数の亀裂が入り、黒き光が鮮烈に漏れ出ると、内側から白い骨が突き破ってきた。石の層をごろごろと落下させ、至る所に、服を着たままの骸骨がうろつき始める。その光景を目の当たりにし、アドは手で顔を覆った。


「まったく、反吐が出る」


 やはりあの石像は、死体そのものだった。

 身も心も弄ばれていた。

 死者ですら、この国では自由がないのか。


「ケケケケ。魔力反応、魔力反応。ケケ!?」


 小刻みに揺れる影目玉を、アドは横合いから鷲掴みにした。


「ちょっと黙ってくれないか。今のボクは機嫌が悪いんだ」

「ケケ……ケケ……」


 アドはそのまま影目玉を握り潰した。

 ぶしゃあっと水晶液が飛び散り、アドの肘の先まで伝い落ちていく。

 アドはこの国を、めちゃくちゃにしようと思った。



     *



「お母ちゃん!」


 魂が叫ぶ。

 石像から飛び出た骸骨が、足の先から次第に黒い光に包まれ、仮初の肉体を受け取っていく。次は手の先、そして胸、頭のてっぺん。

 やがて一人の青年が肉体を取り戻す。

 青年は自分の体を驚いた顔で眺め、そして今度は泣きそうな、それでいて愛おしそうな顔で目の前の女性を眺めた。


「――お母ちゃん」


 青年の声は、ちゃんと母親の胸に届いた。


「どうして、おまえ……。これは夢なのかい?」

「違うよ。俺だよ。でも、俺はそのうち消える」

「え?」


 母親が両手を口元に当てる。


「残された時間で、伝えたいことがあるんだ」

「おまえ……」

「ちゃんと伝えなきゃいけないことがあるんだ」


 青年は母親を優しく抱きしめた。


「お母ちゃん、今までありがとう。これからは、前を向いて生きて」

「ああ……ああ……!!」


 母親の瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。



     *



「ケケケケ。ご報告、ご報告」

「ドウシタ?」


 第一人間牧場・中央区治安部の一室に、影目玉の報告が入った。


「人間牧場に、腕輪なし多数確認」

「何ダト!?」

「侵入者、ロスト。ケケケケ」

「何ガ起コッテヤガル!?」

「侵入者、魔力微量。家畜との判別、不可」

「上ニドウ報告スレバイイノダ……」

「大失態、大失態。ケケケケ」

「ウルセエ!! 眼球野郎!!」


 大混乱の始まりだった。

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