第9話 厩舎塔


 アドは時計台の屋根に身を潜めて、陰からひょこりと顔を出した。

 乾いた風が頬をなでる。

 同じ目線の高さに影目玉が点々と浮かんでいるが、こちらの居場所には気づいていないようだ。標的を見失ったせいもあるが、見当違いなところを捜索している。


「うまく巻けたみたいだね」


 大広場は未だに大騒ぎだった。

 リアラは混乱に乗じて逃げられただろうか。


「でも、厳重になってる」


 ウィンターが抑揚なく言った。


「――特にここは」


 たしかにウィンターの言う通りだった。

 全体的に影目玉の数が十倍くらいに増えている印象があるが、特にこのあたりはさらに膨大な数だ。大雑把に確認しただけでも三桁はいる。

 それもそのはず。

 だって目の前には、巨大な塔がそびえ立っているのだから。


「ここってあれだよね、リアラの言ってた――」

厩舎塔きゅうしゃとう

「そう、それ」


 魔晄列車で影の国に向かっているとき、リアラにクロノスの姫の居場所を聞いたら、北区にそびえ立つ厩舎塔だと教えてくれた。


「あの塔にいるんだよね、姫君が」

「そのはず」


 塔は正八角形の形状で、天を突くほど高い。てっぺんを見上げてみると、何十階もあるせいで、アドの首が痛くなった。塔の上では、ひゅうひゅうと乾いた風が吹き、影の国の国旗がはためいている。


「巡回も徹底されてるね」


 塔の周りを、複数の影の兵が規則正しく歩き回っていた。

 ガチャガチャと鎧の音がうるさい。

 特に塔の出入口は厳重だ。槍を構えた四体の影の兵が、重々しい鉄扉の前を陣取っている。無遠慮に近づこうものなら、四本の銀のランスが、易々と腹部を貫いてくるだろう。


 しかし、そんなの関係ない。

 ようやく見つけたのだ。

 生き残る方法が目の前にある。

 今行かないと後悔するとアドは思う。

 魔晄結晶は残り六つある。

 小手先は要らない。どうせバレている。正面突破でいい。


「このまま行っちゃおう」

「またリアラに怒られる」


 いいですか、アドくん。勝手なことしちゃダメですからね。

 そうやって小言を吐くリアラの姿がありありと想像できる。


「もう無理だよウィンター。限界だ」


 目の前にクロノスの姫がいる。

 魔晄結晶も六つある。

 潜入もすでにバレている。


 この状況で何を躊躇する必要があるか。


「もう待てない。むしろ耐えた」

「アド?」


 やっと――やっと安堵が手に入るのだ。

 気を張って何とか持ち堪えた死の恐怖から、ようやく解放される兆しが見えたのだ。それがどれだけ心に救いを与えてくれるか、余命を宣告されたことのない奴にはわからないのだ。いや、わかってたまるかよ。


 道を歩くときも、顔を洗うときも、夜眠るときも、気がつけば重い息を吐き、この病のことばかりを考える。余命は三ヶ月とのことだったが、想像よりも進行が早く、どう考えてもあと数日も持たない気がしている。


 率直に言って、怖い。

 誰かがそばにいないと叫び出したくなる。気が狂いそうになる。ずっと心の中で助けを求めている。だけど現実は無情で、救いはない。


「目覚めてからずっと、生きた心地がしないんだ。目の前に生き残る方法があるのに、これ以上待ってられないよ。ヤブ医者にだってすがりつきたいんだ、本当は」


 生き残る方法はたったひとつ、クロノスの魔女だ。


「頼むよ、ウィンター。死にたくない」


 アドは心の叫びを外に漏らした。


「ん」


 すこし逡巡する間があったが、やがてウィンターがうなずき、厩舎塔に向かって手を伸ばした。


「アド、行こう。魔女のもとへ」



     *



 時計台から飛び降りたアドとウィンターは、飛び交う怒号のなか悠然と厩舎塔の前まで歩く。後方には影の兵の残骸がいくつも転がっている。あとは塔の扉を守る影の兵を沈黙させるだけだ。


「侵入者メ。ココハ通サン」


 銀の槍を構える影の兵が、使命感を滲ませそう吠えるが、


「グッ!?」


 懐に潜り込んだウィンターから掌打を受け、門番の役目を果たすことなく弾け跳んだ。そのまま塔の外壁に激突し、幾多の瓦礫とともに大穴を穿つ。


「侵入者だ! 捕まえろ!」


 厩舎塔の中に侵入すると、人間の兵士も数多く常駐していた。

 王族を守る直属の兵士だと容易に推測できた。

 クロノスの姫を敵に回したくないので、最低限の兵士は気絶するだけに留め、残りのほとんどの兵士は無視して置き去りにしていく。


 ウィンターに背負われたアドは、各階の調度品や使用人の道具を観察し、お姫様のいるフロアかどうかを推理する。王族のフロアであれば雑多な掃除道具よりも高級な家具のほうが多いだろうし、警備する兵士も指揮系統の関係で上位の階級の者がいるはずだ。


「もう十四階」


 その間ウィンターは兵からの脅威を避け、アドの指示で上階へ飛び回ることを繰り返した。


「姫君がいるのはこの階っぽいね」


 十四階のとある一室に、豪華なドレス衣装が目に入った。

 このフロアは丁寧に見ていったほうがいいかもしれない。

 ようやくご対面できそうだ。

 クロノスの姫君――アルティア・クロノスと。


「上から探したほうが早かった」


 ウィンターがぼそっと愚痴を漏らすが、上から探したら階下へ逃げられる可能性があった。



     *



 十四階を粗方調べ終わったが、ここが姫様の住まうフロアで正解みたいだ。

 大の字で寝転んでも余裕のある天蓋付きのベッド、上流階級しか着ないであろう豪華な衣装、色とりどりの茶葉と華やかなティーセット。

 調べれば調べるほどお姫様のにおいがする。


「アド、こっちの部屋もいない。もぬけの殻」


 しかし、肝心のお姫様がどこにも見当たらなかった。


「残念だったな。姫様はこの塔にはいない」


 壁に背中を預けたまま崩れ落ちる兵士が、勝ち誇ったように唇の端を吊り上げた。


「すでにお逃げになった。お前たちの目的は果たせない」

「カッコイイね、アンタ。正義の味方みたいだ」


 やり遂げた男の顔を見て、アドは物語の主人公みたいだと思った。


「姫様を攫ってどうする気だ?」

「人攫いなんて人聞きが悪いな。ボクらはお願いをしにきたんだ」

「お願い?」

「病気を治してくれってね」


 そう、それだけ。


「病気?」


 怪訝そうに眉をひそめた兵士を、アドは無視する。


「姫様はどこ?」

「私たちには知らされてない。拷問しても無駄だ」


 一般兵とは違った階級章を襟につけているが、それでもまだ下っ端ということか。もしかしたらこの塔にいる全員が姫様の居場所なんて知らないのかもしれない。時間ばかりが過ぎていく苛立ちで、アドは近くの椅子を蹴り飛ばしたくなった。


「クソ、また足止めか。手に届くと思えばこれだ」


 まるで神様に死ねと言われている気分だ。

 いつになったらこの恐怖から解放されるのだ。

 自分はただ生きたいだけなのに。


「ウィンター、出よう。ゴーストリッチの情報が必要だ」


 アドは目深に被ったローブをさらに引き下ろし、姫様の執務室と思われる部屋から出る。毛足の長い高級な絨毯を踏んで、廊下を一歩進んだところで、アドは急に振り返った。もう一度、執務室の中を眺める。


「アド?」


 違和感があった。直感が働いたともいう。

 踵を返して執務室の中へ入る。

 立つ力も尽きた兵士に不審がられながら、窓際にある仕事用と思われるデスクへ近づいた。目が止まったのは、二段目の引き出しだ。アドは引き出しの取っ手へ手を伸ばし、触れる瞬間指がぴくりと止まった。


「魔力の痕跡がある」


 極微量ながらも魔力の残り香を感じた。

 この国は魔術がご法度じゃなかったか?

 アドはゆっくりと唾を飲み込み、取っ手に指をかけて手前に引く。中には書式の整った書類があった。手に取って、ぱらぱらと内容を確認する。


「魔族とのやりとりだ」


 ○月✕日 希望ポイント獲得 魔族様へ返上する

 ○月✕日 希望ポイント獲得 魔族様へ返上する


「何だこれ?」

「ちょっと待って、アド。錬金術師の手帳見せて」


 横から覗き込んでいたウィンターが、書類の一部を横から引き抜いた。


「どうしたの?」

「だってこの刻印――」


 書類の右下にある赤色の刻印を指さす。

 続けて今度は、アドの取り出した手帳にも指をさした。


「同じものが手帳にもある」

「本当だ」


 天秤の上に二体の影が乗っているシンボル。

 左の皿では影が膝をつき頭を垂れ、右の皿では影が王冠を天高く掲げる――

 そうして左右の均衡が保たれている。

 それと同じシンボルマークが、何故か手記の裏表紙にも刻印されていた。


「この手帳には何が書いてあるの?」


 興味を持ったのか、ウィンターが食い入るようにページを眺める。


「不老不死の理論だよ。錬金術師たちは不老不死を研究してたらしい」


 むむ、と唸りながらウィンターが眉根を寄せた。


「途中のページが破られてて読めないんだ」


 この手記は、『不老不死の基礎理論が判明した』と殴り書きがあった次のページから、ごそっと乱雑に破られているのだった。


「だとしてもこれは、重大な手がかり」


 うん、とアドがうなずき返す。


「この錬金術師たちは、影の魔王と関係がある」

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