第8話 影人



「ちょっと、何ですかこの人だかりは!」


 路地を抜けて広場に出た途端、多くの人でごった返していた。

 特に出入口の歩道は大渋滞だ。

 状況を確認したいが、人の壁のせいで遠くが見渡せない。どうして人の流れが止まっているのかもわからない。気ばかりが急いて、落ち着かない。


「通して、通してください」

「なんだ嬢ちゃん。俺の尻を揉むな」


 リアラがすり抜けようとするが、呆気なく押し返されてしまう。


「ダメだ。もっと遠くへ逃げたいのに……!」


 リアラの表情が苛立ちで歪んでいく。

 アドが迂回しようと踵を返すが、後ろにも行列が出来上がっていた。

 前にも後ろにも進めない。

 ここに留まるのはまずいのに、身動きが取れなくなる一方だ。


「ふむ」

「あ、ジル。今までどこ行ってたの」


 いつの間にか足元にいたジルを、ウィンターが両手で持ち上げた。


「大通りを影の兵が封鎖している」

「どうして?」

「どうやら検問のようだ。魔術を使った家畜がいると騒ぎになっている」


 仕事が早いじゃないか、影目玉。


「どうした小僧。様子が変だぞ?」

「うっ……」


 ジルがこちらを向くと同時に、アドは顔を逸らした。

 たらり、と冷や汗が流れ落ちる。


「この状況は全部アドくんのせいですからね」

「にゃんだと!?」

「どうもすみませんでした!」


 音速で頭を下げるアド。


「次から次へと問題を起こす小僧だな、貴様は」


 ウィンターの腕の中で、ジルが呆れたように言った。


「しばらく足止めね」

「ここにいても捕まるだけです。でもどうすれば……!」


 リアラがぐっと拳を握り、痛々しく歯を噛み締めた。

 視線の先には、一行に減る気配のない家畜の列。


「家畜共!! ソノ場カラ動クナ!! 検問ヲ始メル!!」


 突然、怒鳴り声が響き渡った。

 広場の出入口で、何体もの影の兵が姿を現した。


「腕輪ヲ見セロ!!」


 影の兵の命令に従い、家畜が袖を捲って腕輪を露わにする。

 影の兵は腕輪を操作し、データの履歴を調べ始めた。


「ヨシ!! ツギ!!」


 確認し終えると、その掛け声を合図に家畜が出入口を通り抜けていく。


「ああやってポイントを確認してます。魔術の使用が何点マイナスかは知りませんが、直近のマイナスポイントから犯人は割り出せてしまう」


 それなら確かに犯人を割り出せる。


「でもボクたちは――」

「はい。そもそも腕輪自体がありません。バレたら、これ以上の騒ぎになる」


 ポイントの履歴を探られる以前の問題だ。


「とんでもないことになったな」

「誰のせいですか!」


 ふん! と勢いよく鼻息を吹くリアラ。


「どうにかして切り抜けないと……ん?」


 見覚えがあると思ったら、またあの人型の影だった。

 たまり場である薄暗い路地ではなく、この広場に迷い込んできたようだ。ふらふらとよろけながら、「アっ……アっ……」と人の列に近づいていく。


「テメェあっち行け! 影が伝染っちまうだろうが!!」

「アっ……アっ……!」


 男が怒鳴りながら蹴る素振りを見せると、人型の影は焦ったように逃げ惑った。しかし次に逃げ込んだ先には、ジルを追いかけ回したやんちゃ坊主がいた。


「うわぁばっちぃ! 影が伝染った!」


 人型の影がどんとぶつかると、どういうわけか、子供の右足が黒い影に包まれた。


「はたけはたけ! ライアンが影人になっちゃう!」


 まわりの子供たちが、焦ったように足に膨らむ影をはたき始める。すると瞬く間に影が霧散し、元通りになった右足が現れた。


「あっぶねえ……!」


 ライアンと呼ばれた子供はひとしきり安堵すると、今度は目を充血させて人型の影を睨みつける。


「影人この野郎……! やっつけろ!!」


 その言葉を合図に、子供たちが地面の石を拾って、影人に向かって投げ始めた。


「アっ……!! アっ……!!」


 両手で顔を庇う影人は、石の雨を掻い潜り、やっとのことで路地裏に逃げ込んでいく。放り投げられた石が、かんかんと、道の上で物悲しく音を立てた。


「影が……伝染る……?」


 その表現にアドは言いようのない恐怖を覚えた。


「ねえ、リアラ。あの影って?」

「影人のことですか?」


 影人。初めて聞く。


「影の国に生息する生物です。意思を持っているか怪しいですが、ああやって道行く人に手を伸ばしたりします。こちらから関わらなければ害はありません」

「影が伝染るってどういうこと?」

「影人に触れると影が伝染り、最終的に影人になります」

「え」


 影が伝染ると、あの物言わぬ存在になってしまうということか?

 自我があるかどうかもわからず、じめじめした暗い場所にたむろして、道行く人に手を伸ばすだけの存在。そんなものに成り果てるのは、いくら管理された家畜だとしても嫌だろう。影人を毛嫌いして追い払うもの納得できた。


「〝影の病〟が行き着くと、小僧もああなるのではないか?」


 ジルが片目で問うてくる。


「……わからない。その可能性はある」


 当然アドもそのことを考えていた。

 自分も影人になるのではないか――


「けど、ボクの知ってる病とは違う」


 背かけ袋を下ろしたアドは、中から一冊の手帳を取り出した。


「これは廃村で見つけた、とある錬金術師の手記だ」


 古ぼけた手帳のページをぱらぱらと捲る。


「この手記には、錬金術師の村に〝影の病〟が流行り、人々が死んでいく様が記されてある。ここに書かれてある症状は、徐々に影が侵食し、臓器が死に、魔力が死に、体の成長が止まる。そして最後に、死を迎えるというものだ。ボクの症状とまったく同じだ」


 ぱたんと閉じ、手帳を掲げてみせる。


「でもここに、人が影になるという記載はない」


 ここまでアドの症状と一致しているのだ。

 この手記の信憑性はかなり高いと踏んでいる。

 しかし――


「人はみな影人を避ける、か。使えそうだな、、、、、、

「使えそう?」


 リアラが見つめてくる。


「影人をうまく誘導できれば、この人混みを抜けられるんじゃないか?」

「でも、どうやって誘導を?」


 そんなの決まってる。


「追いかけ回すんだよ」

「誰が?」

「ジルが」

「吾輩が!?」



     *



「にゃお」

「アっ……! アっ……!」


 黒猫が影人を追っかけ回す。

 実際に汗はかいていないだろうが、影人はまさに「汗、汗」という感じで、広場の中を縦横無尽に逃げ回る。広場は大騒ぎだ。アドの狙い通り、密集していたはずの人の塊が、蜘蛛の子を散らしたように道を譲った。


「路地裏へ誘導してくれ。みんなが避けてできた道を、間を縫って走り抜ける。多少見られても、この際構わない。捕まるよりマシだ」

「まったく、吾輩を何だと思っている。にゃお」

「アアっ……! アアっ……!」


 影人が見えなくなっても、人の悲鳴が聞こえるから、ジルがどこにいるかすぐわかる。

 そうだ。そのままこっちに連れてきてくれ。


「うわっ、何だこの猫! 影人を追いかけ回して!」

「最悪だ! こっちに来るな!」


 徐々に悲鳴が近づいてくる。

 そして声量が最大限に達したとき、目の前にある人の壁が割れ、影人と黒猫が飛び出してきた。ものすごい躍動感で、アドの横を通り過ぎていく。


「道が……できたっ!」


 アドはその隙間を焦がれるように待っていた。


「行こう、ウィンター」


 アドはローブを被って顔を隠し、勢いよく地面を蹴り出した。

 影人を追っかける黒猫、黒猫を追っかけるアドたち、という何とも奇妙な集団が出来上がった。注目を浴びるが仕方がない。驚愕、あるいは恐怖の表情を貼りつけて避ける人の道を、アドは広場の端まで突き切っていく。


 建物が眼前に近づいてきた。

 目指すは、建物と建物の間にある路地だ。


 左右を確認する。いくつかの路地は影の兵に封鎖されているが、まだ手薄なところもちらほらあった。ジルが狙っているのは、右の路地だろう。あそこは人の数も少ないし、このまま突っ切れば追いつかれない。


「もう少しだ!」


 路地に入るまで五メートル。


「もう少し――」


 アドの視界の端に、鉄の輝きがよぎった。


「失敗作ガ!!」

「アアアっ!!」


 先頭を走る影人が、鉄のブーツで踏み潰された。

 影の兵が建物の上から飛び降りてきたのだ。


 アドは何とか一歩を踏み締め減速するが、慣性に逆らったせいで全身を神経痛が襲った。息が詰まる。これ以上踏ん張ると痛みに耐えられないことが瞬時にわかった。無意識に足の力を手放し、アドは地面に激しく転がった。皮膚が剥がれて血だらけになるが、擦過の痛みはまだ耐えられる。


 急停止もできない病弱な体が憎たらしかった。

 地面に伏したまま、両手をつき、アドは眼前を見上げた。思わず歯を食いしばる。影人を踏んづける影の兵が、狙っていた路地に立ち塞がっていた。

 別の路地を探すしかない。


「オマエノ同類ト思ワレルノガ!! 気ニ食ワネエ!!」


 影の兵はそう吠えて、怒り任せに影人の背を踏みつけた。


「アアーっ! アアーっ!」


 ブーツの底でじたばたと暴れるが、影人は這い出ることができない。


「追イカケテイタノハ、オマエカ。腕輪ヲ見セロ」


 無機質なフェイスヘルムに睨まれ、アドの腕が強引につかみ取られた。金属の指が腕に食い込み、軋むような痛みにアドは顔をしかめる。考える猶予もなくローブの袖を引き上げられ、アドの真っ白な左腕が露わになった。


「何……!? 腕輪ガ無イダト……!?」


 見られた。最悪の事態だ。


「コイツハ、家畜ジャナイ――」

「ケケケケ。侵入者、侵入者」


 どこからともなく現れた影目玉が声高らかに報告する。


「警告、警告」


 次から次へと影目玉が現れ、アドはあっという間に囲まれた。


「ケケケケ、壁外から侵入者。警戒レベル、3に引き上げ」


 心臓が早鐘を打っている。

 緊急事態に広場中が騒然となり、視線を一身に浴びているのがわかる。


「侵入者? この壁を越えて?」

「まさか魔族様に楯突く気か?」


 動揺する家畜の声がさざなみのように重なり合う。


「ケケケケ。お前、逃げられない。国中から狙われる。ケケケケ、殺せ、殺せ」

「オイ、顔ヲ見セロ」


 影の兵がアドのローブを引っ張ろうとした瞬間、


「バレちゃ仕方ない。ウィンター」

「腕ガアッ!!」


 鋼鉄の防具で覆われた腕が、肘の先から刎ね飛ばされた。

 宙を舞う腕が放物線を描き、ぽとりとリアラの足元へ落下する。


 アドとリアラの目が合う。


 よかった。

 リアラは影目玉の包囲網の外にいた。


「姫様抱っこして」


 唖然としている家畜の前で、アドはウィンターに指示を出す。


「ふつう逆」


 膝裏と背中に腕を通され、全身が浮遊感に包まれる。


「跳んだぞ」

「あいつら何者だ」


 ウィンターがアドを抱きかかえたまま、建物の屋根にふわりと着地した。

 眼下には米粒のような家畜の集団、広場中の双眸がアドの体を射抜く。


「さて、と。標的をボクに絞らせるか」


 リアラを共犯者にしないためにも。


「この国じゃ魔術はご法度なんだっけ?」


 ローブに腕を突っ込んだアドは、懐から固い物体を取り出した。

 手の中にある紫色の結晶に亀裂が入り、そこから鮮烈な魔素の光が漏れ出ると、アドの眼前に古代文字の連なりが浮かび上がった。


「魔法陣!?」

「あのローブの子供がやってるのか!?」


 粉々に砕けて魔素化した魔晄結晶を横目に、アドは腕を薙ぎ払って魔術を発動させる。

 染め上がれ、〈聖丸セイファ〉。

 魔法陣の中から樽ほどの光球が現れ、引力を無視して上空へ浮かび上がる。


「ケケケケ。魔力反応、魔力反応」

「犯人ハ、アイツダ!」


 アドは手のひらを上にひっくり返し、今度は力強く握り潰した。

 その刹那、光球が破裂し、広場を眩い輝きで塗り潰した。皆が一斉に目をかばう。遅れた者は視界が焼き切れて、鮮烈な白に呑み込まれる。


「何ダ、コノ光ハ! 前ガ見エナイ!」

「逃ガスナ!」


 その目ではどう足掻いても捕まえられやしない。


「リアラ、生きて会おう」


 家畜たちの呻き声が続くなか、白色の世界でアドの声が通り抜けた。

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