3-7

 彼岸花が咲き誇る九月を越えて、世間が感謝祭に浮き足立つ十月を迎えた。この頃、恋は不安に苛まれていた。冷からの連絡が、突如として途絶えたのだ。恋が送ったメッセージが読まれた形跡はあるので、生きているのは間違いない。だが、彼からの返事もなければ、電話も応答がない。

 もしかしたら、飽きられたのかもしれない。脳の冷静な部分が、そう言っていた。あれだけ色々言った癖に、と思わないと言えば嘘になる。だが同時に、それ見たことか、と吐き捨てる自分もいた。だがそれでも、最後に顔が見たかった。飽きたならそれでいい。最後の別れだけは、顔を見て言いたい。

 最低限の荷物だけ持って、店へ向かう。今まで店に行くときは必ず予告した。他の客との兼ね合いがあるからだ。怒られるかもしれないが、このまま宙に浮いた状態でいるのは居心地が悪かった。

 電車に乗り、繁華街のキャッチの嵐をすり抜けて店の前まで来る。ドアを潜った途端、ただならぬ気配が恋の肌を刺した。険悪、などというレベルではない。殺し合いでも行われているのかという、張り詰めた空気感。状況を把握するより早く、体に強い衝撃を受けて恋は床に転がった。頭を強打しなかったのは僥倖だった。

 胸倉を掴まれて引っ張られる。呼吸が苦しい。気がつけば、夜叉のような女が目の前に居た。何事かを言いつのっているが、ほぼ悲鳴のような声でなにも聞き取れない。

 数人の男が走ってきて、恋から女を引きはがした。ようやく床から起き上がって周囲を見回すと、先程は気がつかなかったが、他にも四人の女達が一様に恋を睨んでいた。喧嘩を売るような生温いものではない。明確な「殺意」が込められていた。

「ふざけんな! こいつが冷の本命なんだろ! 殺してやる!」

 男達に羽交い締めにされている先程の女が、金切り声で叫んだ。冷の、本命。彼女は自分を指してそう言った。

「いいかげんにしろ!」

 女達の視線から恋を庇うように男が割って入った。それはよく冷が立て込んでいる時の話し相手をしてくれた、見知ったホストだった。

「こいつのせいで友達が死にかけてんだよ!」

「それはこの人のせいじゃないだろ!」

「待って、どういうこと?」

 わかりたくなかった。本当は逃げ出したかった。だが、自分はきっと何があったのか知らなければならない。

 恋の問いかけを無視して彼等は怒鳴り合いを続けている。恋は一つ、大きく息を吸い込んだ。

「聞け!」

 フロア中に響き渡る声が役に立った。あまりの音に、女も呆気にとられたのか怒鳴るのを止めて恋を見る。

「なにがあったのか、一から教えて」


 店の一室を借りて、女達から全てを聞き終わった頃には、恋はソファに沈んで埋まってしまいたいほどに疲弊していた。正直、泣いて逃げ出したかった。もう何も知らないと言ってしまいたかった。しかし、恋よりも十歳程度年若い女達に冷がしたことから、目を背けるわけにはいかなかった。

 彼女らは、一人を除いて冷の客だ。そして全員が、彼の吐いたあらゆる嘘に惑わされて多額の金を渡していた。通常、店を通さずに客から直接金を受け取るのは御法度だ。だが彼女らは、冷に結婚を餌にされ、様々な嘘を信じて渡してしまっていたのだった。

 唯一、恋に掴みかかった女だけは彼の客ではなかった。だが、彼女の話が一番精神的に堪えた。冷の客であった彼女の友人もまた、結婚を夢見て騙され、妊娠した挙げ句に現在は切迫流産の危険に晒されているということだった。

 彼女たちはネットの噂で聞いた、ゴシックロリィタを着た女が冷の本命で、貢がせた金は全てその女に流れている、という噂を信じて、冷の行方を問い詰めに店に集まってい

た──というのが事の顛末だった。

 ならその冷はどうしているのかと他のホスト達に聞くと、数日前から店に出勤せず、連絡もつかない、という答えが返ってきた。店としても、こんなトラブルを置いて行かれて困惑している、というのが現状だった。

 なるほど確かに、若さも美しさも金もある女達がこんな年増女に負けたとあってはいたくプライドを傷つけられたことだろう。更に、一人は女性として取り返しのつかないことになってしまった。

 一度考えを纏めたくて、部屋の外に出た。ことの流れを見守っていたホストが、恋の後を追って出てきた。

「……どう思う?」

 恋はホストに問いかけた。まだどこかで、冷の事を信じたかった自分がいた。

「全部が本当かはわからないけど、やりかねないと思う」

 言いながら、彼はジーンズの裾を捲り上げる。そこには痛々しい内出血の後があった。

「これ、あの人に蹴られた痕」

「嘘よ」

「ずっと言えなくてごめん。でも、これは本当なんだ」

 彼は別の従業員を呼び、背中を見せるようにいった。そこにも、いくつかの打撲痕と思わせる、紫色の痣が広がっていた。ようやく、何人ものホストが恋にやたら親切だった理由がわかった。それは親切ではなく、顔色を窺っていたのだ。恋が機嫌を損ねれば、冷に殴られると思って。

「ごめん、ちょっと考えさせて」

 痛々しい痣から目を背けるようにトイレに入った。洗面台の蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。自分はこれからどうしたらいいのだろう。正直に言えば、逃げたい。なにもなかったことにして、明日からまた何もない日常に戻るのだ。別に自分は彼から一銭も貰っていないし、全ては一夏の夢だったと終わらせてしまう。それが一番簡単で、楽だ。でも、それでいいのか?

 顔を上げると、ゴシックロリィタを身に纏った自分が鏡に映っている。スカートを捲り上げて、逃げ帰るのか。日常という言葉で誤魔化した、惰性と諦めで塗り固めた空間に。

 ここで逃げたら、豚以下だ。

 顔を拭いて部屋に戻り、恋は女達に言い放った。

「ついてきて、冷を誘き出す方法がある」

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