3-6

 ある休日、恋は冷と共に電車に乗っていた。珍しく彼から遠出をしよう、と誘われたのだ。都内から都外に直接接続されている路線で、車窓から見える景色はビルが乱立する繁華街から、徐々にのどかな田園に変わっていった。なんとなく、行き先については予想がついていた。有名な彼岸花畑だ。

「なに笑ってるの」

「あたし、笑ってた?」

「すごく笑ってる」

 顔が綻んでいてもおかしくはないと思った。なにせ、本当に彼岸花畑に行けるとは思っていなかったからだ。電車を降りると、冷たい外気が恋を撫でた。

「寒い。服装間違えたわ」

 近年、残暑がずるずると長引いているせいで、日中はまだ暑いかもしれないと思ったが、季節はすっかり本格的な秋に変わっていたようだ。ケープくらい羽織ってくれば良かったと若干後悔していると、肩に布がかけられる感触がして、少し重くなった。

「これ、かけてなよ」

 冷が着ていた黒いジャケットだ。

「ありがたいけど、君が寒いんじゃない?」

 ジャケットを恋に渡した冷は、ハイネックと言えどもそれほど分厚くなさそうなトップスを着ていた。

「僕、寒いとか暑いとかあんまりないんだ」

 そういえば、真夏でも彼が暑がっている様子を見た記憶がない。

暫く歩くと、彼岸花畑の看板が見えてきた。

「やっぱりね」

「気づいてたの?」

「だって、電車に乗って遠出なんておかしいもの。でも嬉しい、本当に一緒に来てくれるなんて」

 森の中に入ると、そこには華やかな彼岸花が視界一杯に広がっていた。

「わあ、素敵」

 久しぶりに心の底から感嘆の声が零れた。

「あんまりそっちに行ったら駄目だよ。土が踏み荒らされると、来年の彼岸花が上手く咲けなくなってしまうから」

 冷に手をやんわりと掴まれて引き戻される。

「手繋いでないと、危なっかしいね」

 互いに指を絡めて手を繋ぐ。とても暖かかった。

「随分はしゃいでるね」

「だって嬉しいんだもの。本当に一緒に彼岸花畑に来れるなんて」

「今日はお姉ちゃんっていうより女の子みたいだ」

「がっかりした?」

「いや、可愛いなって」

 暫く手を繋ぎながら歩いていると、良い写真が撮れそうな場所があった。彼岸花の海の向こうに、この彼岸花畑を守るように広がっている森がぼんやりと見える。

「ねえ、そこに立って。写真撮ってあげる」

「ああ、確かに良い写真が撮れそうだ。センス良いね」

 撮られ慣れた様子で冷は言われた場所に立つ。恋が携帯のシャッターを押す音に合わせて、幾つかポーズを変えて写った。恋の予想通り、素人の自分が撮った写真であるにも関わらず、とても画になる写真が撮れた。

「写真撮るの上手だね」

「君が画になるだけだよ。これとか、凄く綺麗」

 何度か角度や距離を変えて撮影したが、その内の一枚が特に美しいと思った。太陽光の加減で、まるで後光が差しているように見える。

「本当、画になるよね。宗教画みたい」

「僕、神様になれる?」

「神とは大きくでたわね。宗教画って言っても、聖人とか天使とかいろいろあるでしょうに」

「そういえば、貴方から宗教の話を聞いたことがないね。心理学や哲学の話は沢山したのに」

「あたし、無宗教なの。宗教って好きになれなくて」

 一神教の傲慢さが、恋には鼻について嫌だった。多神教ならいいのかと言うわけでもない。歴史的に見れば宗教は戦争の元だ。そして自分の欲望を神の意志にすり替える、あるいは神の名の下に意志を放棄している人間の言い訳である。

「確かに、貴方が神に祈っている姿は想像できないな」

「神に祈ったって、なにも変わらないもの。それに神の奴隷になる人生なんて、文明的じゃないわ」

「でも、心に支えを持つことは大切じゃないかな。支えがないと、貴方みたいに売れないバンドマンを追いかけることになる」

 耳を疑った。彼にその趣味を話したことはないはずだ。

「待って、何で知ってるの」

「財布の中に知らない男の写真が入ってたから。わざわざ写真を売るような人間って、バンドマンくらいしかいないでしょ」

「目敏いこと」

 一緒に出かけた際、財布を出すことが多いのは恋の方だ。何かの支払いの際に、買ったきり入れたままにしていたポラロイドフィルムが見えたのだろう。

「僕がいるのにどこの馬の骨とも知れない男を見ているなんて不愉快だな」

「それは君の取り分が減るから?」

「そういうことじゃない」

 からかうつもりで言った恋とは反対に、冷は真剣な目をしていた。もしかしたら、本気で怒っているのかもしれない。

「貴方はいつもそうだよね。僕のことを好きな癖に、僕を頼ろうとはしない」

「好きな癖にって、そこは言い切るんだ」

「この前だってそうだよ。僕は本当に、お姉ちゃんと一緒に居たいのに」

 恐らく、以前ドラッグストアで交わした会話を指しているのだろう。

「……宗教もこいも同じよ。寄りかかっていたら、自分の力で立てなくなる」

 どうやら本当にふざけている場合ではないようだ。恋は少しだけ本音を話すことにした。

「友達が家庭を持って疎遠になろうが、バンドが解散しようが、自分はいつでも自分に一番近い場所にいる。結局、最後は自分の力で立つしかないの」

「僕が貴方に飽きるときが来るって言いたいの? 僕をそんな奴等と一緒にして欲しくない」

「未来がどうなるかなんて、誰にもわからない。旅行の約束をした友達が自殺した、今日の夜まで飛び跳ねてた兎が明日の朝には死んでる、そんなこともこの世界にはあるんだから」

 どちらも、かつて恋の身に起きたことだ。

 折角念願の彼岸花畑に来たのだ。こんな話はもう止めて、景色を楽しもう。そう言おうとしたとき、不意に冷が足を止めた。

「わかった、僕は決めた」

 恋は振り返る。丁度冷と太陽が重なって、後光が差しているようだった。

「僕はお姉ちゃんの全てになる。弟になって、薬になって、宗教になる」

 彼岸花を背景に太陽の光を背負う彼を見て、もしかしたら救われるかもしれないと信じてみたくなった。人は神にはなれないが、救世主にはなれる。

「嬉しい」

 人は、塵のような人生に意味を生み出すために、信仰をするのかもしれない。

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