第3話 サイファーってドラ○エの呪文?

 達也は今、会場の外でちひろの姿を探している。

ちひろの試合が終わった後、すぐに会場を出ることもできたが、選手と会場の熱気に引き込まれてしまい、結局最後まで見届けてしまった。

先ほどのちひろとMC花梨の試合の後、二試合が続き、この地区の優勝者が決まった。優勝したのは三十歳ぐらいのスーツにメガネの男性だった。相手を多少蔑みつつ、それ以上に自分の普段の仕事での頑張りなどをラップでアピールして、会場を沸かせていた。

 対戦相手のMC花梨も一回戦でちひろを倒したとき以上に巧みに言葉を返していたけど、スーツの男性の自己肯定力がそれを上回った形だった。

あまりこういうものに触れたことのない達也ですら、その男性のラップを聞き気持ちが昂るのを感じた。そんな彼が優勝したため、誰も文句を言うことはなく、大会は円満に幕を閉じた。

 ちひろの姿は一回戦が終わった後、ステージ上から舞台裏に降りて行くのを見たのが最後だ。もしかしたら客席側で残りの試合を見ているかもしれないと考え、対戦の合間合間に再び客席を練り歩き、ちひろの姿を探したが、どこにも見当たらなかった。

 外はすっかり日が落ちている。先ほどまで会場内の熱気に当てられていたため、気温はそれほど落ちていないのに心なしか涼しく感じた。

(もしかしてまだ中にいるのかな?)

 全試合が終わるやいなや、早々に会場を出たため、もしかしたらまだ中にいるのかもしれないと思い、達也は少し離れたところにあった電信柱の影に隠れ、出口を観察した。別に隠れる必要もないが、学校からつけてきたことは間違いなく、ほんの少しの後ろめたさがそうさせた。

 周囲は昼にきたときとは違い、居酒屋や建物に灯がつき、呼び込みの男性が会場からでてくる人に声をかけ、居酒屋へ呼び込む声がそこら中から聞こえるなど、賑わいを見せていた。達也も一瞬、声を掛けられそうになったが、学ラン姿を認識すると、スッと無表情になり、すぐに別の通行人にまた声をかけていた。

(……まだかな……)

 出口から出てくる人間の数がどんどん減っていくが、ちひろの姿はまだ見えない。もしかしたら見逃してしまったかもしれないと不安になってくる。歩き疲れたからか、それとも会場の喧騒の中で誰かに踏まれたのか、右足の小指の付け根がじんわりと痛んだ。出てくる人の数が更に少なくなった。ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。大会が終了してから三十分が経過しようとしている。

(あ……あれは……)

 出口から最初に受付をしてくれた強面の男性がでてきた。首からスタッフと書かれた紙をぶら下げていた。男性はキョロキョロと辺りをそしてそのまま会場のドアを閉めた。もう会場内には誰もいないことがわかった。

「結局会えずか……」

 ため息とともに肩を落とす。そして手の中の進路指導の紙に目を落としたときだった。

「……田中くん?」

 唐突に後ろから名前を呼ばれた。その声に達也の心臓が跳ねる。勢いよく声の方を振り返ると、そこにはセーラー服に着替えた、いつも教室でみるちひろの姿があった。帽子もとり、たなびく髪がきらきらと周囲の光を反射している。そしてやはり先ほどのステージ上でのMC千の雰囲気はやはりまるで違っている。セーラー服のちひろの姿はこの時間のこの場所にはとても似つかわしくない。それは学ラン姿の達也にも言えることだが。

 達也はとっさに声をかけられたため、一瞬状況を呑み込むべく固まってしまう。

「どうしたの? 変なの」

 困惑している達也を見て、ちひろはころころと笑った。

「あ、あの、えっと」

 シミュレーションはしていた。咄嗟にポケットにしまった進路指導の紙の感触を確かめる。しかしいざ言葉にしようとすると上手くできない。口の筋肉を動かすことを誰かに邪魔されているようだった。十五年間、達也に寄り添っていた唇は肝心なところでやる気を出してくれなかった。

 ちひろの目がまっすぐに達也を見つめてくる。綺麗なクラスメイトに見つめられ、正常な高校生男子よろしくドギマギしてしまう。周囲の飲食店の匂いをかきわけ、心なしかいい香りが漂ってくる気がした。

「よかったら、一緒に帰らない?」

 ちひろの提案に達也は首を縦に振った。

 人込みをかき分けながら、昼間来た道を逆にたどり、駅へと向かった。なんだこの状況と達也は疑問に思うが、おとなしくちひろの横を歩く。まず何から話せばいいのか、達也は考えていた。

 さっきの大会のことは聞いてもいいものなのか。もしかしたらちひろにとって知られたくないことかもしれない。いや決して恥ずかしがることではなく、ステージ上のちひろは堂々として、むしろ誇るべき姿、格好の良さだったが、同じクラスの人間に見られるというのは話が別かもしれない。


 そんなことばかり考え、結局口を開くことができないまま、達也はおとなしくちひろと歩幅を合わせ、横を歩いた。傍から見ればカップルに見えるかもしれないと感じ、それがまた達也の緊張を誘い、口数の少なさを加速させていく。そんな達也を意に介さないといった様子でちひろはあっけらかんに口を開いた。

「田中くんはどうしてこんなところにいたの?」

「え⁉」

 予想はしていたが、ふいの質問に大きな声を出してしまう。

「あ、いや、田中くんって真面目な感じだし、ここらへんに用事とかなさそうっていうか」

「あ、え、えっと……」

 正直に進路指導の紙を書いてもらうために追ってきたというか迷う。実際、今書いてもらったところで、今から学校に戻ってそれを教師に渡すかと言われたら普通はやらないだろう。達也は責任感からそれをやるつもりだが、普通は教師に頼まれたからといってそこまではやらないという感覚も持ち合わせていた。だから目の前のちひろが素直に信じてくれるかどうかわからなかった。

「おいしそうな匂いにつられて……」

 自分でも何を言ってるんだと思ったが、ふいに鼻に飛び込んできた匂いに思考が持っていかれ、つい明後日の方向の回答をしてしまった。信じてもらえたとしても、明日から食いしん坊キャラで通さないといけなくなるが、それは甘んじて受け入れよう。そんなことを考えていた達也の回答を受け、ちひろは一瞬目を丸くしたあとプッと噴き出す。

「ぷっ! あはは! 絶対嘘じゃん。あはは」

 大きな声でちひろが笑う。苦し紛れにでた発言だったが、どうやら冗談を言ったと思ってくれたようだった。

「なんか、田中くん、学校とキャラ違うね。冗談とか言わないと思ってた」

 ふと笑いながらちひろが言う。その横顔はとてもかわいらしい。

「そうかな。変かな?」

「ううん。全然! そういうことじゃなくて、真面目だし、学級委員だし、偏見かもだけど。学校だとカチッとしてる。いや全然いいことなんだけどね!」

「何それ? そんな普段堅い感じするかな」

「うーん、どうだろう。普段が堅いっていうより、今がふわっとしてる? あはは」

 自覚はないし、今も緊張はしているが、もしそうだとしたらそれはちひろのせいだろう。

 達也は女性と接するのが苦手だ。教室で同級生に用もなく話しかけられたら緊張でうまく話せないこともしばしばある。しかしそんな達也でも目の前の彼女の笑顔を見て、普段彼女が人気な理由が分かった気がする。彼女はとても話しやすいし、笑顔がとても愛くるしい。感情を表情いっぱいで表現するし、見ていて飽きない。まだちひろのことを全然知らない達也でもそう思うのだから。長く接している人ならなおさらだろう。彼女は周囲の人間を幸せな気持ちにさせる才能があるんだろうなと思った。 

「普段と違う田中くんを見れたね。新鮮だ」

「それを言うなら鈴木さんだってあんな堂々と……」

 そこまで言って「しまった」と思った。普段なら絶対に口を滑らさないが、今実際にミスを犯したのは彼女の話しやすい雰囲気にのまれていたのかもしれない。後悔しても後の祭りだ。彼女のボリュームが一段と上がる。

「やっぱ嘘じゃん!!! 見てたじゃん!!」

「あ、え、あごめん!」

 嘘をついたからなのか、それとも彼女のステージ上の姿をみてしまったからなのか。自分でも理由はわからないが、勢いにのまれ、とりあえず謝ってしまう。

「うわ……あー……」

 ちひろが右手を自分の顔に添える。そして大きく上を向き、あぁ……と声を漏らした。どうやら怒っているわけではないようだ。

「恥ずかし……知ってる人に見られるのってこんなに恥ずかしいんだね」

正直、怒られると思った達也はその言葉を意外に思った。

「え、なんで?」

 これは正直な感想だった。先ほどのステージ上のちひろはとても格好良かった。自分の言葉を巧みに操り、相手の言葉に抗い、反発し、そして打ちのめす。その自己主張の強さに達也は一種の憧れを覚える程だった。結果は残念だったが、それも達也にはわからないレベルの差だ。なんなら達也はちひろに票をいれた。誇りこそすれ、恥ずかしがることなど何もないと思った。

「めちゃくちゃ格好良かったよ」

 さらに達也は顔を覆い隠すちひろに向かって言う。

「ありがと……あぁ。でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよぅ……」

 飲み屋街を抜け、線路沿いを二人で並んで歩く。こういうときに女性を道路側に歩かせてはいけないと、達也は立ち位置を変えるが、ぎこちない動きになってしまい、その姿を見たちひろがまたころころと笑った。

「ていうか……田中くんも好き?」

「え……?」

 好き。その言葉の響きに達也はたじろぐ。なんのことを言っているのかわからないが、目の前で前を見ながら歩くちひろはとてもかわいく、達也は健全な男子高校生よろしく、それに一瞬にして頭を支配されてしまう。周囲の静けさも相まってとてもいい雰囲気になっているのもそれを助長させた。

(え、どういうことだ? 僕が鈴木さんを好きかってこと? いや、確かに可愛いとは思うけど、基本的に女性は苦手だ……あ、でも鈴木さんは今まで話した人たちとはなんか違うような気もする……え、なんのこと?)

 達也の頭がどんどんパニックに陥っていく。

「……田中くんは好き?」

「あ、いや確かに可愛いとは思うけど、まだお互いのことなんにもしらないし……」

「ラップ」

「え?」

 自分の頭の中で行われた妄想を猛スピードで反省する。彼女は達也にフリースタイルが好きかと尋ねていたのに、変な勘違いをした脳内お花畑野郎に向かって達也は心の中でフルスイングを決めた。

「てか、好きじゃないとあんな場所いないよね! えへへ。いやめっちゃ嬉しいなー。ラップ好きな人ってあんまり周囲にいないんだよね。それがまさかクラスメイトと趣味が合うなんて。これは運命ですな。えへへー。って大げさか!」

 両手を前で組み、彼女はわざとらしくうんうんと唸ってみせる。その嬉しそうな表情をみると、とても否定をする気にはなれなかった。

(まぁいいか。こんなに嬉しそうなのに水を差すのも悪いし)

 正直、あまり触れたことはなかったし、ましてや生で聞いたのは初めてだったが、心を動かされたのは事実だ。好きか嫌いかで答えろと言われたら好きと答える程度にはよかったと言える。そもそも元々、達也は音楽が好きなため、受け入れることもすんなりできた。もっと聞いてみたいなとも思った。

「まぁ、好きかな」

「やっぱそうなんだ! 嬉しいなぁ。田中くんは普段何を聞くの?」

 満面の笑みでちひろが達也に尋ねてくる。予想できた質問だろうと達也は心の中で自分に突っ込みを入れた。

「あの……クリーピーナッツとか……」

 達也は勉強の合間に息抜きにラジオをよく聞いていて、流行の音楽は一応耳には入れていた。そしてちひろの質問に対し脳内データベースで検索をかけた結果、その名前がでてきた。クリーピーナッツとは二人組のユニットでMCとDJの二人組体制のヒップホップユニットだ。アニメや映画とタイアップをしたり、旬の俳優とコラボしたりなど、最近人気が急上昇している。先月、よく聞くラジオ局のFM802で猛烈にプッシュされており、あまりそういうジャンルに馴染みがない達也でも知っているぐらいの知名度があるユニットだ。達也は正直、詳しくはなかったが、無難な答えとしてその名前をあげた。

「え、クリーピーナッツ好きなの⁉」

 すると予想外にその名前に対し、ちひろが飛びついてきた。

「うわー、田中くん、趣味めちゃくちゃ合うじゃん! え、もっと早く話しかけておけばよかっった! もう、もっとアピールしてよ!」

「え、あ、ごめん」

 ひと際エンジンのかかったちひろの勢いに気圧される。

「もう、別に怒ってないよ! 謝るの禁止。嬉しいんだから。あ、よかったら一緒にライブ行こうよ。日程とかまた調べとく!」

「あ、うん。わかった」

 自分の発言には責任を持たないといけない。達也は家に帰ったらサブスクの音楽配信サービスで検索しようと思った。

 線路沿いを歩きながら、自分の好きなラッパーについてちひろは語った。

 正直、話をきいただけではどんなに凄いアーティストなのかはわからなかったが、ちひろがラップにかける情熱は痛いほど達也に伝わった。

(本当に好きなんだな)

 なんだかその姿を羨ましく思った。達也には熱中できるものがない。いや、かつてはあったが、失ってしまった。それは自分ではどうしようもなかったとも今でも思うが、でも同時に失えてしまったということはそれまでのものだったんだなとも思う。だからちひろがそうやって語る姿は達也にとって本当に眩しく感じられた。

 改札を抜け、ホームについた。部活帰りの生徒も見られず、辺りは静かだった。電車が来るまであと十分程だ。達也とちひろの家の方角は反対だが、ホームは一緒なため、二人でベンチに座った。

「フリースタイルは最近結構流行ってるんだけどね」

 フリースタイルとは、さっきのイベントのように即興でラップを行うことだ。最近はネット番組などの題材にもなっており、認知度は高まってきている。

「でも、やっぱり身近に一緒にやれる人ってなかなかいないんだよねー。最近の悩みです。」

「なるほどね」

 ちひろは一年前からラップを始めたらしい。最初は深夜番組に影響されて一人で練習をしていたが、どうしても人と対戦をしたくなり、大会に申し込んでみた。その初めてでた大会で何もできず、相手にボコボコにされ、その悔しさからのめり込んでしまった。それで予選を勝ち抜き、今日の大会にでているのだから単純に凄いなと達也は思ったが、どうやらちひろは納得していないようだ。

「今日も悔しいよー! あと二回勝てば全国だったんだよ! しかも相手も女の人だったし、なおさら。でもサイファーとかに女子一人で混ざるのって難しいんだよ。結構見た目怖い人多いしさ。だから練習の場所は欲しいなって思うや」

「……サイファー……」

 達也が呪文のようにつぶやく。ぽかんとしているとちひろが丁寧に説明をしてくれた。

「サイファーっていうのは公園とか路上で音楽をかけてフリースタイルをやりあうの。結構知らない人同士とかがSNS通じて集まったりしてするものなんだけど、基本的に夜が多いし、女子一人で参加するのって相手の人にも気を使わせるかなーとか思っちゃうし」

 たまに夜、集団で円を作ってズンズンと音楽を大音量で流しているのは何かと思っていたが、あれがそうかと腑に落ちた。何かの儀式かと思っていた。確かにあの中にちひろが一人で混ざりにいくのはかなり勇気がいるだろうし、異質な気もする。達也の偏見は大いに混じっているが怖い人の集まりというイメージはどうしても拭えない。

「うーん、確かに難しいね」

「そうなんだよー。最近はメジャーになってきてはいるんだけどね」

 ちひろがわざとらしく首を傾げ、困ったようなポーズをとった後、ふと寂しそうな顔をした。

「それこそ学校では募らないの?」

「へ?」

 ころころとちひろの表情が変わり、ぽかんとした顔を達也に向けた。

「いや、学校で仲間を集うとかさ。例えばだけど部活とか」

 学生がそういう仲間を見つけるのに一番メジャーなのは部活だろうとシンプルな考えだった。

 そんな気軽な考えとは裏腹に、ちひろは自分の口元を抑え、真剣に考える様子を見せる。

――二番線に電車が参ります――

 無機質なアナウンスとともにちひろの乗る電車が先に入ってくる。まだ考え込んでいる様子を見せるちひろに達也は声をかけた。

「……鈴木さん?」

「そうか……部活か……」

「え?」

 俯いた状態から一気に上を向いた彼女の顔は再び満面の笑みを浮かべていた。

「田中くんって天才かも!」

「はぁ……」

「そうだよ! その手があるじゃん! 部活だよ! そしたら毎日活動できるじゃん!」

 ちひろが達也の手をとり、ぶんぶんと上下に振る。

「ありがと! 田中くん!」 

「あ、いえ」

 何にお礼を言われたのかわからないがとりあえず返事をした。

「それじゃ、また明日ね」

「あ、うん。また明日」

 そういってちひろは勢いよく電車に乗り込んでいった。台風のようにすぎていった彼女がいないホームはとても静かに感じる。そして思い出した。

「あ、進路希望……」

 ポケットから紙を取り出し、ため息をつく。しかし、まぁいいかとずぐに開き直った。普段の達也ならもっと落ち込んだかもしれない。先生から頼まれた以来をこなすことができなかった自分を責めたかもしれない。しかし、今日はなんだかそんな気分ではなかった。ちひろの自由さに影響されたからなのか、それは達也にもわからない。ただなんとなく、今日あの場所にいってちひろに出会えたことを嬉しく思っている自分がいた。

「ん?」

 スマホが震えた。何かと思って通知画面を開くと、「ちひろが友達に追加されました」と表示があった。クラスの全体のグループには入っていたが個人的に連絡をとったことは一度もない。明日また彼女に会えることを今日よりほんの少し楽しみだなと思いながら、達也も家路についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る