歌がうたえない僕はクラスメイトの女の子とフリースタイルバトルをすることになった。

第2話 鈴木さん⁉ え、なんで⁉

　千円と引き換えに手に入れたコーラを片手に人の波をよけ、会場内を練り歩く。

　ずんずんと身体の芯まで揺さぶるような重低音が響き渡る。映画などでしか見たことがないが、ここがライブハウスだということはわかった。

（鈴木さんは何かのライブを見に来たのか……ごめんなさい）

　先ほどまでの脳内の妄想に対し、全力で土下座をする。これまた脳内でだが。

　会場内は薄暗く、スモークがたかれているようで視界は良好とはいえない。前方にステージがあるが、何の楽器が置かれているのかははっきりと認識できない。

　受付で何の催しかを聞けばよかったのだが、案内をしてくれたお兄さんのインパクトと咄嗟に声をかけられた驚きでそんな余裕はなかった。

（ま、でもどっかにいるってことだもんね）

　達也は会場全体をぼんやりと見渡した。

「おお！」

　すっと落とされた照明とともに会場内がどよめいた。先ほどまでは割と見渡せていたのに、今は周辺の人間の顔が、ぎりぎり認識できるくらいの明るさだ。うろつくのは危ないと判断し、達也は歩みを止めた。そのとき、周囲の人間が前方に注目し、再び声をあげだ。

　前方のステージに目をやると、客側とは対照的に照度が上がっている。先ほどまでは何が置いてあるか認識できなかったが、今ははっきりと見える。

　ステージ上の中央には黒く四角い机のようなものが設置されており、その上にはDJ用のターンテーブルが置かれている。その奥、ステージの壁にはでかでかと「ＧＭＢ」と書かれたのぼりのようなものが一面を覆いつくしていた。

（何かの略称かな……いや、バンド名……？）

　言葉の意味を冷静に考える頭とは裏腹に周囲の熱気はどんどん増していく、ＢＧＭのボリュームもどんどん上がっていき、そのボルテージが最高潮に達したとき、ステージ袖からマイクを持った男性が出てきた。

「うおぉぉぉぉぉ！」

　男性の姿を認めると更に会場の熱気が上がった。周囲で上がる大音量の声に、達也は咄嗟に耳を塞いでしまう。

　男性は恰幅がよく、まるでそれを隠すようにオーバーサイズの服を着ていた。鳴りやまない拍手の中、男性はマイクに向かって「テステス」と確認のような動作を行う。そして拍手が収まり、皆が示し合わせたように一瞬の静寂が訪れた。男性の声がその静寂を切り裂く。

「えー……皆さん、お待たせいたしました！　ＧＭＢ京都決勝トーナメント……いよいよ開幕です」

　再び周囲が盛り上がりを見せる。より一層の興奮度合いが見て取れた。男性が話を続ける。

「えー……まず今回の出場者は合計四人。これも各予選を勝ち抜いたえりすぐりの八人です。トーナメント形式で行い、頂点に立った一名が京都代表として、そして私たちの想いを背負って、年末に行われるＧＭＢ日本に出場できます」

　男性の説明の合間合間で歓声が起きる。説明の中には専門用語らしきものも含まれており、達也は完全には理解できなかったが、このイベントの趣旨はなんとなく伝わった。

（つまりこれは何かの大会で……予選を勝ち抜いた人が更に競って、全国大会を目指すってことか……Ｎコンみたいな感じか……）

　中学校まで合唱部に所属していた達也はふとそういったコンテストの様式を思い出す。

（で、鈴木さんはそれを見に来てるってことか……一体どこにいるんだろ……）

　会場に入ってから既に三十分ほど経過している。手に持っているコーラはすっかりとぬるくなってしまった。改めて周囲を見渡すが、それらしき人影は見当たらない。会場内は一通り練り歩いた。

（もしかしたら、人影に隠れてしまっているのかな……）

ちひろはそんなに身長が高くないため、もしかしたら周囲の人間に隠れてしまっているのではないだろうか。それならばもしかしてステージをちゃんと見ることができていないのではないかと達也は変な心配をしてしまう。

（ま、でも後で確実に通る場所にいればいつかは出会えるか）

　そう思い、人並みを押しのけ、ゆっくりと後方へと向かう。イベントが終わった後でもいいので、最終的にちひろを見つけることに一番適した場所は出口付近のはずだ。幸い、入り口と出口は共通しており、入るのにも出るのにも共通して同じ場所を通る構造になっている。

　ゆっくりと人と人の間を身体を滑らすように進んでいるときだった。先ほどよりも更にひときわ大きい盛り上がりが周囲を包み込んだ。

（なんだなんだ！）

　達也は皆の視線の先を追った。先ほどの恰幅のよい司会の男性が選手名を呼ぶ。名前といっても本名ではなく、登録名だ。ＧＭＢ京都の決勝トーナメントの一回戦のカードが発表され、選手二人が舞台上に上がった。そしてそのうちの一人の姿に、達也は見覚えがあった。

「え……？」

　思わず声が出た。

　服装は普段見慣れているセーラー服ではない。普段きらびやかになびいている黒く長いストレートの髪の毛も帽子の中にすっぽりと隠れている。しかし、その帽子の下で今、対戦相手に向き合うまなざしの持ち主は、達也が今日の放課後、ずっと探していた人物だった。

（……鈴木さん⁉　え、なんで⁉）

　思考の整理が追い付かない。ステージ上に上っているということはつまりは選手なのだが、普段の雰囲気から彼女がそういう人と競い合うこととは無縁の人物だと達也は偏見ではあるが思っていた。おしとやかで明るく、誰とでも仲良くできるクラスの中心人物。人をまとめることはあっても対立することは決してない、そんなイメージを達也はちひろに対し持っていた。

　しかし、目の前のステージ上の彼女の雰囲気はそんな達也の中のイメージとはがらりと違っていた。服装のイメージも大いにあるのだろう。達也はちひろの服装をこれまで学校指定のセーラー服しか見たことがなかった。しかし、今目の前でステージ上にいる彼女はかなり男性的に恰好をしている。鮮烈な赤色のキャップを深くかぶり、キャップと同じ色のオーバーサイズのＴシャツはちひろの上半身のみならず、太ももの半分までを覆い隠している。下半身は青の短パンをはいており、Ｔシャツからちらと見える程度で、そのチラリズムに達也は少しドキッとしてしまった。

　よく見ると彼女も対戦相手も手にマイクを持っている。そのコードはステージ裏までつながっているようだった。

　真剣な雰囲気が会場を包み込む。ステージ上のちひろに普段の学校でのほんわかとした雰囲気はない。あるのは挑戦者の覚悟。相手をぶちのめすというその一心がステージ下の達也にまで伝わってきて、思わず唾を呑み込んでしまう。

（……震えているのか……そりゃそうだよな……）

　ふと達也がちひろの手を見て気づいた。ちひろはマイクを持つ自分の手を見つめ、そして改めて対戦相手にその視線をぶつける。その手は少し震えている。おそらく緊張によるものだった。

「一回戦第一試合はなんと女性同士の対決だ！　ＭＣ千　ＶＳ,　ＭＣ花梨」

司会の声に再び会場が沸き立つ。ＭＣ千というのがちひろの登録名だ。呼ばれたときに少し、キャップの唾を抑え観客にアピールしていた。

　対戦相手のＭＣ花梨はとても落ち着いた様子で観客に手を振る。固定のファンがいるようで、花梨の名前が呼ばれた時、会場の一部から雄たけびがあがった。すらっと背が高く、モデルのような体形をしている。

　二人は握手を交わし、そしてじゃんけんで先攻後攻を決めた。

「先行で」

じゃんけんに勝ったちひろがマイクに向かって呟く。「おお」と会場のところどころで声が上がった。

「それでは先攻、ＭＣ千、後攻、ＭＣ花梨、八小節、四ターンで行います。ＤＪうましゃん、お願いします」

司会の合図とともに、会場内のスピーカーから、達也にとってはあまり馴染みのない音楽が鳴り出す。そして彼女がマイクを改めて握り、歌い出した。

「一回戦、相手は花梨、きちんと心を折ってやるよパキン。女同士の戦いは本当にうれしい、でも手は抜かない、あんたのラップは響かない」

　饒舌な口調でちひろがマイクに向かってリズムに乗りながら言葉を紡いでいく。

こういう種類の歌がなんと呼ばれるか、達也もなんとなくは知っていた。同じような語感の言葉を並べ、歌う音楽手法。ラップだ。

ちひろとラップという組み合わせがとても意外だったが、達也は更にその歌詞にも驚いた。その言葉はとても綺麗とはいいがたく、相手を罵倒するものだった。ちひろは体を上下左右に揺らし、手を前に構え、相手に向かって度々突き出す。

　ちひろの言葉を受け、ＭＣ花梨も言葉を返す。そのたびに会場が沸き立つ。

ＭＣ花梨は一つ一つの言葉選びがとても適格で秀逸だった。ちひろに言われた言葉を華麗に受け止め、同じような語感の言葉を巧みに探し出し、それ以上の言葉で投げ返していた。

「終了――！！」　

何回かそれを繰り返したのち、音楽が止んだ。

「それでは判定に移ります！　ＭＣ千の勝利だと思う奴はメイクサムノイズ！」

観客が声を上げる。

どうやら、観客の投票で勝敗を決めるらしい。ラップのことは一切わからないが、ちひろに勝ってほしいと思ったため、達也は小さく手を挙げた。周囲の反応を見ても、これまで以上の盛り上がりで、ちひろの勝利は確実かと思われた。

「それでは、ＭＣ花梨の勝利だと思う奴はメイクサムノイズ」

　その声を合図としたように、会場が今日一番の盛り上がりを更に更新した。