歌がうたえない僕はクラスメイトの女の子とフリースタイルバトルをすることになった。
との
第1話 どうしてこんなところに来てしまったんだろう……
場違いという言葉がこれほどしっくりくる場面は、これまでの十六年間の達也の人生にはなかった。
周囲を見渡すと、頭の中に無遠慮に鳴り響く重低音に身を委ねる老若男女がいる。金髪や銀髪、茶髪は当たり前といった様子で、中には身体中に入れ墨を入れている人や、やたらと露出の高いお姉さま方もいる。
どちらにせよ、達也がこれまでの人生で一度も関わったことのない人種に見え、そんな人間に囲まれている今の状況はとてもいたたまれない気持ちになってしまう。
周囲の空気への動揺を感じながら、当初の目的を必死に思い出す。一刻も早くこの場を離れたいという気持ちは時間とともにどんどん強くなっていくが、達也の生真面目さがそれを許さない。
(……早く鈴木さんを見つけて、とっとと帰ろう……)
先ほど受付でなけなしの千円と交換したコーラを喉に流し込む。キンキンに冷えているはずなのに、会場の熱気のせいか、心なしか生ぬるく感じてしまう。
早く彼女を見つけたい。その一心で恐怖にすくむ足に無理やり活を入れ、達也は会場内を練り歩いた。
(どうしてこんなところに来てしまったんだろう……)
それは今から二時間前のことだった。
ホームルームも終わり、部活をやっていない達也にとってあとは家に帰るだけとなった放課後、担任教師に呼び止められた。
「あー……委員長。ちょっと」
「なんですか?」
「進路希望の紙を出していない奴がいてな。すまんけど、こいつらから集めてきてくれ」
そういってクラスメイトの名前が何人か書かれている紙を担任教師は達也に手渡した。そのリストをちらと見ると、ほとんどの人間はまだ教室に残っているようだった。まぁ大丈夫だろうと達也は承諾する。
「わかりました」
「ありがとう! ちなみに今日中な」
「は、今日中?」
「明日の会議で使うんだよ……すまん、田中……任せた!!!」
「え、あ、ちょっと! ……まじか」
達也はため息をつきながら周囲を見渡す。教室に残っている生徒と手元のリストを見比べた。
「どうした達也。 また面倒ごと押し付けられたのか?」
ふと後ろから声をかけられ、達也は振り返る。立っていたのはクラスメイトの諏訪原光一だった。
「何これ? あ、俺の名前もある」
「進路指導の紙を集めろってさ。お前も出していないなら早く出してくれ」
「うわ、忘れてた。おーい、進路希望の紙、出せってさ!」
そういって光一はクラスに残っている連中に向かって、声を飛ばす。こういうとき、スクールカースト上位の目の前の友人はすごいなと達也は素直に尊敬する。光一の声に反応したクラスメイトたちがぞろぞろと達也の元に集まってきた。
「ありがと。おかげで集まったよ」
「高校一年の夏休み前に進路聞いてどうすんだよな」
「なんか会議で使うとかいってたよ。とにかく助かった。ありがと」
「お礼なんていいよ。お前に恩を売るのは俺のためでもあるしな」
そういって光一は教室を後にした。
達也は手元のリストと集まった進路希望の紙を見比べる。しかし、数が合わない。
「うわ、足りない……。誰だ……」
一人一人の名前を照らし合わせていく。そこで一人の名前がないことに気が付いた。
「鈴木さんか……意外だな」
鈴木ちひろ。
頭脳明晰、成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗、性格良好。これらは全て彼女を形容する際に使う言葉だった。いつも彼女の周囲には笑顔があふれており、同じ高校の同じクラスに属しているが、接点はなく、どんな人間なのかは直接は知らない。毎朝駅で見かけるため、電車通学なことぐらいしか情報はない。ただ、そうした良い噂はよく聞くし、実際、授業態度は真面目そのものだ。クラスの女子の真面目代表は誰かとアンケートを取ればきっとちひろになるだろう。そう達也は思った。そして男子代表は達也だ。
そんな彼女が進路希望の紙を出していないのに違和感を覚えつつ、達也はちひろの姿を探した。教室内には既に姿はない。普段、ちひろと仲のいい女子生徒の姿は何人か見えた。
(こんなことなら諏訪原に頼めばよかったな)
交友関係の広い光一なら、きっと手あたり次第声をかけ、すぐにちひろの行方もわかるのだろう。しかし、女子と話すのが苦手な達也は彼女らにちひろの行方を尋ねることができない。どうすることもできず、頭をポリポリと掻き、ふと窓の外に目をやった。
「あ……」
校舎から部活に精を出す生徒たちがいるグラウンドを挟んだ向こう、正門のところに綺麗な黒髪が風になびいているのが見えた。ちひろだ。頑張れば追いつけない距離ではない。しかし、自分がそうまでする必要があるのかも少し疑問だった。学級委員長というだけで、そこまでする必要があるのか。達也は葛藤した。その結果、自分の真面目さを呪いつつ、ため息を吐きながら達也は教室を後にした。
(はぁ……ほんと、僕、損な性格してるよな……)
下駄箱から履き古したスニーカーを取り出し、急いで履き替え、彼女のあとを追う。
校舎から出ると、梅雨明けのからっとした空気と、やる気満々といった様子の日差しが達也を襲ってきた。
正門を出たところで、ちひろの姿をそう遠くない距離に見つけた。猛スピードで走ればすぐに追いつくが、この気温の中、そんなことをすれば汗だくで話しかけることになってしまう。そんな状況を回避すべく、徐々にちひろとの距離を詰めていく。そこで一つの違和感を覚えた。
(どこに向かってるんだろ……)
この高校に通う生徒が利用する駅は一つしかない。毎朝駅で見かけているし、電車通学のはずなのだが、しかし、ちひろは正門を出て、駅と反対方向へ向かった。
学校の周辺は住宅地が広がっており、高校生が遊べるようなところは皆無だった。だから学校帰りに友達と遊ぶとしても、一度電車に乗り、隣町まで出る必要がある。
(あ!)
達也がそんなこと考えていた一瞬の間に、ちひろは歩くスピードを上げ、いつの間にか豆粒のような小ささになっていた。進路希望の紙を渡すという当初の目的を再度認識し、達也も歩くスピードを上げ、見失わないようちひろを追いかけた。
少し歩くと踏切があった。通学中に電車の中から見かけることはあったが、こうして訪れるのは初めてだ。ちひろは踏切を渡り、線路とフェンス一枚を隔て、平行に並んでいる道路をずんずんと進んでいく。
すっかり話かけるタイミングを逃してしまった。達也はいつしか気配を殺しながら、見失わないよう、しかしばれないよう一定の距離を保ちつつ、後をつけていく。
(何をしてるんだ僕は……これじゃ、まるでストーカーじゃないか)
客観的に分析した自分の行動への嫌悪感と彼女への罪悪感を感じつつも、今更引き返すこともできず、そのまま歩みを進めた。幸いといっていいのかわからないが、周囲には電信柱やごみ箱などの比較的大きな設置物が多く、身を隠す場所には困らなかった。
ちひろが再び道を曲がり、線路から離れ路地に入っていく。
(なんだここ……)
後をつけ、角を曲がるとそこには飲み屋街と思しき景色が広がっていた。道にはたばこの吸い殻や潰された缶ビールがそこら中に散らばっている。また電柱を囲むように無造作に置かれたごみ袋から人間の足のようなものが飛び出している。高校からそう遠くない場所にこのようなお世辞にも治安がよいと言えない場所があったことに驚きを隠せない達也をよそに、ちひろは何も変わらない様子で堂々と歩いていった。
(ええ……鈴木さん、こんなところに何の用だろう)
普段学校で見るちひろの様子と、この飲み屋街の様子の乖離はすさまじく、到底結びつかない。様々な可能性を考える中でふと達也の頭に一つの可能性が浮かぶ。
(もしかしたら……彼女はそういう如何わしい店で働いているとか……)
そういう発想は失礼だと感じつつも、少し考えてしまう。頭の中でいろんな制服を着てあんなことやこんなことをするちひろの姿を想像する。しかし、すぐにその可能性を理性で否定した。
(いやいや! 鈴木さんだ! ありえないよ……! それにもし仮にそうだったとしても、こんな学校から歩いてこれるような場所でするわけないし……うん、あり得ない……!)
妄想をし、その可能性を理性で否定する。そんな作業を何回か繰り返していると、ちひろがある建物の前で立ち止まった。
(ん……?)
建物には様々な店舗が入っており、各階ごとに何が入っているかがわかるように店舗名が羅列してあった。そのどれもが派手な色、目立つフォントをしていて、少し離れた場所にいる達也でもその文字が読み取れた。心の中でその店舗名を一つ一つ読み上げていく。
(淫乱ピース……JK始めました……HH商事……)
勿論入ったことはない。しかし、そんな達也でも一見してわかった。
(いかがわしいお店だ!!)
教師からのお使いを頼まれた結果、同級生のとんでもない秘密を握ってしまった。
達也の視線には一切気づくことなく、ちひろはその建物の地下へ階段を降り進んでいった。一体どのお店が何階に構えられているのかはわからないが、今の達也の頭ではそんな冷静な判断はできない。先ほどまでの妄想がより一層現実感を増して、脳内を埋め尽くしていく。気温のせいもあるが、嫌な汗が一層全身から噴き出してきた。
できれば知りたくなかった。まさかあの品行方正で有名な鈴木ちひろがこんなところで働いていたなんて。特段彼女に興味をもっていたわけではない達也ですらショックを受けてしまったのだから、彼女に好意を持っている数多の男子生徒が知ったら、吐血物だろう。
そもそも校則違反というだけでは済まない。達也もちひろも十五歳の高校生。法律的にそういうお店で働くことは許されていない。しかし、そんな一般論よりも達也は自分の中で作り上げていたちひろの真面目なイメージが崩れ去ったことに自分勝手なことだとは思いつつもダメージを受けていた。
(まぁ……でも……進路希望の紙は渡さないと……)
ちひろがその建物に入って、数十分。一向に出てくる気配のない状況を打破するべく、達也はその建物の前まで進んだ。もはや先ほどのショックで正常な思考回路は働いておらず、教師からの依頼をこなさねばという使命感のみが達也の身体をつき動かした。
遠くからはわからなかったが、建物の前までくると、上へあがるエレベータと地下へ下りる階段が並んでいた。ちひろの後を追うべく、達也は階段を下りていく。
達也の中でいかがわしい妄想が少しずつ膨らんでいく。それと同時に、怖いお兄さんにいきなり詰められる妄想もしてしまう。何しろ知識がないのだ。こういう世界とは無縁で十五年間過ごしてきた。辺りを警戒しつつ、達也は階段を足元を確かめるように一歩一歩下りていく。
(……なんていって渡そう……)
さすがに偶然を装うのは無理がある。事実、後をつけてきたのは間違いないのだ。頭をフル回転させても上手い言い訳が見つからない。結果、達也は正直に言うことを決めた。
(進路希望の紙を出してもらうために後を追いかけていたら、ここまできちゃいました!)
自分で言っていても嘘くさいが、事実なのだから仕方ない。
いざ彼女に会ったときのことを考えると、心臓が段々と跳ね上がってくる。
「おい君」
「ハイ!!!」
いきなり声をかけられ、達也の身体が文字通り跳ねた。ゆっくりと声の方を振り返ると、そこには長机に肘をついた強面の男性がいた。
(あ、殺される……?)
自分とは違う人種にいきなり声をかけられたことに対する恐怖を感じながら、達也はゆっくりと口を開いた。
「……ナンデショウカ?」
「受付した?」
「……ハイ?」
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