第5話

 運命。何やら素敵な響きだ。全てを包み込んでくれる気がする言葉だ。それでいて逆らうものは自然から追放する残酷な言葉。

 アセビはホワイトパレットが始まって、最初は良かったと思った。これは自分に文句を言う人が少なくなると言うこと、あくまでこの時はまさか自分らしかいなくなるとは思っていなかったのだ。ただ今になって言えるのは、人間は共依存より成ると言うこと。それはこの世の真理として、彼女が知っていたつもりとなっていた物である。高尚気取りだった。その通りだ。


「未練の調子はどう?」アセビは戻ってきた妹に聞いた。

「入りきらなくて二つ折りにしていたから、すでに死んでるよ。亡骸をずっと持っているのもアレでしょ?」

「そうだね。未練を引きずるよりずっとタチが悪いかもしれない」

 二人は献花台の石段に座り込むと、何もすることがないから空を見上げた。残り一時間と五十六分。反逆者はその時まで生き残った。

「何もないね」アセビは言った。

「そうだね。本当に。ラジオにも反応はないんでしょ?」

「うん。全然何も言わなかった」

「じゃぁ、もう本当に孤独だ」二人は同時に思っただろう。彼女は綺麗な月を見た。満月の夜だった。


 アセビとクリナムの邂逅は、ホワイトパレットが始まってニ日目の朝、誰もいなくなった家で荷物をまとめたアセビは久しぶりに家を出た時だった。クリナムはゾンビのように追ってくる寿命が二時間の人間に追い回されていた。人間、死ぬ時は大体めやすがついて、一部はどうにか未練を残さぬように暴力的に動く。アセビは小路に潜んで待ち構えて、クリナムを捕まえると、家の裏口から入った。半ば誘拐みたいなものだ。

 二人は息を切らしていた。短いながらもここまで動くことが少なかった人、ここまで走ることも無かった人。呼吸を整えるまでは数十分かかったが、その間、あのゾンビらが襲ってくることはなかった。時間切れか、見失ったか。

「助けてもらったのにはお礼を言うけど……もう少しどうにかならなかったの?」不満気味にクリナムは言った。

「どうにかなって良かったじゃん」アセビは答える。

 もうこの時からホワイトパレットという命名がされ、次の日には犠牲者になる条件も発表された。その裏に数多の犠牲があったことはもちろん承知だ。ただ、無機物と同化すると言う点のみははっきりとわかっているわけではないため、死と表現された。

「……目的地はどこ?」クリナムは聞いた。アセビはその時初めて考える、この世界での目的を作るべきだと無意識に思った。

「二カ所あるよ」彼女は立ち上がって、さっきまとめた荷物をまた担いだ。


 沈黙はずっと続いた。一時間と三十六分はけして沈黙といえど空白では無かった。今までの人生を振り返る走馬灯をゆっくりと走らせることができたからだ。皮膚から樹立した鉄はある意味、今ある世界にゆっくりと順応している証なのだが、それを人間として許すことはできなかった。

「月、見えなくなったね」クリナムは言った。

「空で霧雨とかが降っていると月や星は見えなくなるよ」

 「いつ死ぬの?」と世界が言っている気がする。「いつ死ねるのだろう」と彼女たちは答える。まだやらなきゃいけないようなことがある気がして、実際ない気もしている。

「死にたくないんじゃない」幻聴か、前にラジオで聞いたことのあるような声が呼んだ。

「月が綺麗な間は死んでもいいって言えたよ。でも今は見えない」

 クリナムは漠然と不安なのか、アセビの近くに寄った。それを察した彼女は左手を取って、重ねる。ゆっくりと目を閉じる。ただ沈黙の会話を続ける。




 ラジオが唸った。咳払いをするようにノイズを少しの間出して、夜の空に反響する。ようやく月光がサンスベリア献花台を照らすと、それにラジオが応えた。

「有効期限が切れました。応答した組は零組でした。この放送は予備電力の尽きるまで続行されます」

 ラジオは軽い破裂音の後、カチャッと音を流した。その後、テープの巻き戻る音が聞こえると、それを再生する。ヨハン・パッヘルベルによるカノン。全ての残存する通信、広報施設を用いて、追悼する。

 後になって雨を降らす歯車となった電線、グレーの中に有るモノクロ写真、遥か遠くに宛てた自分への手紙。鮭が川を上ってくる。草原の穂がたなびく。誰もいない献花台その全てに、平等に白が覆うように。

「皆さん。お疲れ様でした」

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ホワイトパレット 腕時計 @chalcogens

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