エピローグ

 目の前に、ひとりの少女が立っていた。

 華奢な腕を肩から晒す白いワンピースを身に纏い、裸足のまま、彼女は暗闇の中にいた。

 胸のあたりまで伸びた灰色の髪を揺らし、彼女は言った。


 ──あなたはだれ?


 光と闇を半分ずつ内包したような灰色の瞳が、カルマをとらえる。

 わからない、とカルマは答えた。すると少女は首をかしげて、静かにひとつ瞬きをした。

 

「わからないけど、それでいいんだ」

 

 カルマは笑った。足元が覚束ない。けれど輪郭ははっきりしている。

 自分という人間の記憶は。心は。存在は。まちがいなくここにある。

 

「おれがだれかを決めるのは、おれじゃない。おれの──大切な人たちだから」

 

 伝えると、少女の瞳に光が散った。きらきらと、星屑のように瞬く光の粒。

 カルマの瞳と同じ銀色。

 だが、同じではない。カルマと彼女は別の存在だ。心臓を同じくしていても、ちがう心を持っている。あたりまえの感情を共有しても、それが生まれた過程はちがう。

 その過程を大切にするからこそ、人と人は友達になれるのだ。


 ──ありがとう

 

 少女が笑った。光の眩しさに目を細めるかのような、子供らしい、あどけない笑顔だった。

 トクン、と。どちらのものかわからない心臓が音を立てた。



 **



「というわけで。──カルマの正式入団を祝して、かんぱーい!」

 

 食堂全体に響き渡る、底抜けに明るい少女の声。グラスを片手に持ち、カルマの肩にもう片方の手を回したエリーの声だった。

 空色の瞳をかがやかせ、これからもよろしくね、と彼女は微笑む。

 

「あ、ありがとうございますっ……」

 

 エリーやリスティ、クロエといった何人もの仲間たちから口々に祝福され、カルマはあたふたと礼を言う。


 ロニが放った大量の灰色人グレースケールがシグナスを襲った騒動から約三日。

 破壊された民家や施設の復旧は現在も続いているが、人的な被害が最小限に抑えられたこともあり、街は平和を取り戻しつつあった。

 事件の首謀者であったロニが死亡したことで、当面の危機は去った。カルマが心臓を宿している事実に変わりはないので、騎士団の保護下から外れることはできないが。

 できたとして、離れたいとは思わない。

 大切な居場所だから。

 そう主張するカルマを、エリーたちはあらためて黒十字騎士団に迎え入れてくれた。仮入団ではなく、正式な団員として。

 今日はその歓迎会の日だ。


「エリーちゃん。このサラダに入ってる茶色い塊、何だと思う?」

「チョコレートよ」

「なんで!?」

「私がメアリーに頼んだの。カルマが好きだからって」

「カルマくんが好きなのはココアなんだよね。チョコレートの味がすれば何でもいいってわけじゃないよきっと。ああ……もしかしてこのお肉に巻かれてるやつも……」

「へ~い! みんな、飲んでる?」

「うわ、クロエ。酔うの早すぎじゃない?」

「はは……」


 賑やかな少女たちの会話を聞きながら、カルマはきょろりと食堂の中を見渡した。気になることがあった。


「ナナギならバルコニーにいたわよ」


 何もかもお見通しといったようなエリーの言葉に、カルマはぱちりと目を見開く。

 やわらかな笑みを浮かべて自分を見る少女たちに頭を下げ、カルマは友人のもとに向かった。


 **


 バルコニーに出ると、草木の匂いをはらむ乾いた風が、カルマの髪をはらりと揺らした。


「君も外の空気を吸いに?」

「ううん。ナナギに会いにきた」


 夜空を眺めていた金髪の少年から返事をする。


「お父さんとは話せた?」

「有益なやりとりができたとは言い難いな。父は赤が嫌いだから、この服装で会うと普段より饒舌になって会話が進む傾向にあるんだが」

「その服、そんな理由で着てたんだ……」


 真紅の上着とベスト。白いシャツの胸元で輝く紫水晶のループタイという、出会ったときを思い出させる格好をしたナナギだったが、どうやらそれは父親と接する際の衣装のようなものらしい。


「母さんのことになるとすぐ癇癪を起こすんだ。だから逃げられたのだろうと言うと怒ってしまった」

「それは怒るだろうね」

「言ったのは僕じゃない。ルダだよ」


 結局、ナナギたちの母親の行方はわからずじまいだった。捕らえたグレートに尋問を続けているが、いまだ情報は得られていない。

 騎士団で捜索を続けていく、とナナギは言った。その事実を父親に報告するため、先日まで彼は実家に帰っていたのだ。妹であるルダとともに。


「ルダちゃんは、やっぱり騎士団には入らないの?」

「集団生活は嫌いだそうだ」

「まだ子供なのに……」

「隙あらば君を連れていこうとするだろう。絶対に応えてはだめだよ」


 ──騎士団がいやになったらいつでも言って

 ──私といっしょにどこかへ逃げよう


 黒いワンピースをふわりと揺らし、花のような淡い笑みを浮かべた少女を思い出す。

 協力したいと思った。彼女やナナギが、家族と再会できるように。


「ナナギ」


 バルコニーの手すりの前に立つ友人の隣に並び、お願いがあるんだ、とカルマは言った。


「おれ、〈灰色の子〉と約束したんだ。あの子がこの世に残した灰色人グレースケールをぜんぶなんとかするって」


 騎士団が四百年かけても倒しきれない、無限に生まれる灰色の化け物たちを完全に消滅させる方法があるかはわからないが──仲間たちと、自分の中にいる少女の力があればあるいは、とカルマは思う。


「だからおれは、これからも騎士団の一員として灰色人グレースケールと戦いたい。彼女の苦しみを晴らしてあげられるように」

「カルマくん……」

「それでいつか、この心臓を彼女に返す日がきたら──」


 左胸に手を当てながらナナギを見る。すると彼は目を見開いた。


「その前に、ナナギと世界を旅したいな」


 深い夜空を映したような紺色の双眸が、静かに微笑むカルマをとらえた。


「……馬鹿。最後のわがままみたいに言うな」


 呆れたようにため息を吐き、ナナギは自身の眼鏡を押さえた。


「約束しただろう。過程を続けると」

「それは、そうだけど……」

「君の心臓のことは僕たちがなんとかする。だから心配しなくていい。──君は、これからもただ笑って生きてくれればいいんだ」


 彼にしては珍しいやわらかな声色が耳をくすぐり、カルマははっと目をみはった。

 唇が震える。息ができないほど喉が詰まった。


「……うん」


 ありがとう、と言って胸元を掴む。瞬きをくり返し、こぼれそうになる涙を隠すようにうつむいた。


「大丈夫。君は僕が守るから」


 ほんのわずかに口許を緩めたナナギが言った。

 やわらかな風が吹いた。淡い月明かりのように輝く少年の金髪と、真紅に染まる上着の裾がふわりと揺れる。


「おれ、生まれてきてよかったな」


 この幸福な人生が、どうかこれからも続きますように。

 そんな想いを込めて笑いかけると、夜空色の虹彩に、星のようなきらめきが宿った。


 とくん、と。カルマの中で心臓の音がした。

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灰色の心臓は友達を望む 木ノ宮 @yuzuki_0827

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