4-14 橋
雨が降っていた。少し前まで空を覆っていた雲が消え、眩しい夕焼けが荒れた街を照らす中。天気雨とはちがう。自然の現象でないことはすぐにわかった。
その現象を起こした者がだれであるかも。
「変なの。空はこんなに晴れてるのに」
背後から平坦な声が聞こえた。
ナナギが振り向くと、黒いワンピースを着た一人の少女が、天から降る雨を掬うように手のひらを空に向けていた。
「彼が何かしたんだろう」
「すごいね。やっぱりカルマは」
「他のやつの魔力も混ざっているのが気に食わない」
「……めんどくさ」
グレートを倒したあと、新たに湧いてきた化け物たちを討伐しながら、転送魔術によって姿を消したカルマをさがしているときだった。
曇り空が途端に夕暮れの明るさを取り戻したかと思うと、雨が降り始めた。そして、その雨を浴びたすべての
街全体で同じことが起こっているのだろう。避難場所となっている東区の広場にも大量に集まっていたが、この雨に化け物の生命活動を停止させる力があるなら、その騒ぎもきっと収まっているはずだ。
「……お兄ちゃんが黒騎士になったのは」
黒い睫毛をはたりと伏せ、無表情に少女は言った。
「私といっしょじゃ、カルマやお母さんをさがせないと思ったから?」
私が足手まといだから、と呟いてルダがうつむく。
珍しくしおらしい態度をとる妹の姿を前にして、ナナギは目を伏せる。
やはり自分は父と同じだ。対話の重要性を主張しながら、ただひとりの妹を気遣う言葉ひとつかけてやろうとしなかった。
「ちがう。僕が騎士団に入ったのは」
雨に濡れた眼鏡を押さえ、いじけたように視線を落とす二つ下の妹を見る。
「その方が彼が喜ぶからだ」
我ながら子供のようだと顔に出さずに自嘲して、わずかに驚いた顔をする妹から目を逸らした。
やっぱりめんどくさい、と呆れたように吐かれた言葉には答えなかった。
**
茜色の空から降り注ぐ雨。ザリが発動した天を覆う光の紋様から生まれたそれは、地上で蠢く化け物たちの動きを、瞬く間にとめてしまった。
雪が溶けるように消えていく
残る影はただひとつ。化け物でも、人間でもない姿となって群れの中をさまよっていたカルマの叔父、ロニだけだった。
「叔父さん!」
ぱしゃんと水飛沫をあげて倒れたロニのもとにカルマは駆け寄る。
雨に濡れた路上に仰向けで横たわる彼の息は浅く、襟下に覗く首はいまだ灰色の痣に覆われていた。
「……鎮静の雨、か……」
「!」
ごほ、と咳をしたロニが、苦しげに瞼を開けた。
「お前とザリの間に、共鳴が起きたんだな……シグナスだけを濡らす雨……これで、街中の
私の命も、とロニが言う。カルマははっと目を見開き、薄く笑みを浮かべる叔父の顔を凝視した。
「お前とエルサの血を、昔から少しずつ取り込んでいた。……他の人間とちがい、私には耐性がある。いずれ〈灰色の子〉に近づけるかもしれないと……」
「叔父さん……」
「だが、無理だった。最近になって身体に綻びが出始めたんだ……急いでお前を取り返そうとしたのも、そのためだ」
時間切れがくる前にエルサとの約束を果たしたかったんだ、とロニが笑う。
死を覚悟したような叔父の表情に、カルマが唇を歪めたときだった。
ぽたりと。一滴の白い光が滴り落ちた。
痩せこけたロニの頬を照らす純白の液体。自分の隣に現れた人物の顔をカルマは見上げる。
水に濡れた藍色の髪と、感情のない琥珀色の瞳。ザリだった。
「……無駄だ。もう私に白血は効かない。黒血を、取り込んでしまっているからな」
「だろうね。……べつに、ちょっと試してみただけだよ」
それより、と冷たい声音で続けたザリに、ロニの睫毛がぴくりと動いた。
「どうして僕を生んだわけ」
純粋な疑問をこぼすような口調で言い、彼は父親を見下ろした。
「母さんが死んだのは僕のせいだろ。白血は無駄に健康で丈夫だけど、出産にだけはめっぽう弱い。僕さえ生まなければ、今頃あんたとくだらない実験を続けられていたはずだ」
「……」
「生まれた子供が白血だったのに、教団に預けた意味もわからない。母さんみたいに利用するって手も──」
「エルサが望んだからだ」
ザリの言葉を遮るように、はっきりとした口調でロニは言った。
「壊そうとしている世界に、新たな命を誕生させるなんて、馬鹿げてる……私たちは最後まで悩んだ。……それでも、エルサは言ったんだ。お前を産みたいと」
「……」
「エルサが死んで、お前をどうするべきか考えたとき……私のもとに置いておくべきではない、と思った」
不合理だろう、と自嘲するように口許を歪めるロニに、ザリはぐっと唇を噛みしめた。
「……本当だよ」
まあどうでもいいけどさ、と息を吐くように呟くザリ。するとロニが大きく咳き込んだ。
「叔父さん!」
ロニの顔を覗き込むカルマの脳裏に、かつての彼との記憶がよみがえる。
英雄になれると頭を撫でてくれた。カルマの両親がどれほど優しい人たちだったかを語ってくれた。彼がくれた多くの本。熱を出すたびに飲ませてくれたココア。
「……すまなかった。カルマ、ザリ……」
涙で滲む視界に、最後の力を振り絞るように微笑むロニの顔がぼやけて映る。
「──ありがとう」
そう言い残し、彼は静かに瞼を閉じた。
呆気ない最期だった。
「ザリ……」
虚しさと静寂が残された路上に座り込み、動かなくなった叔父の前でうつむきながら、カルマは強く拳を握った。
「ごめん。叔父さんのこと、元に戻すって、言ったのに」
自分の中の〈灰色の子〉に呼びかける前に死なせてしまった。
呼びかけたところで、身体の奥から灰色の血に蝕まれていたらしい彼の命は、どのみち助からなかったのかもしれないが。
「何言ってんの」
ザリの呆れた声が頭上から聞こえた。
「気づかなかった? ちゃんと戻ってたじゃん」
その軽快な響きに驚き、カルマははっと顔を上げる。
「こいつの目。戻ってたよ。僕と同じ色に」
ザリは笑っていた。琥珀色の瞳を猫のように細め、ふわりとした藍色の髪を揺らしながら。
「お」
ふと何かに気づいたように、ザリが顔を空に向けた。その視線の先を追ったカルマは、大きく目を見開いた。
「あ……」
虹が出ていた。紺青が重なり始めた茜色の空。いつの間にか雨はやみ、その代わりというように大きな虹がかかっている。
「本当にできるのかよ、虹の橋」
淡い彩りをつくる弓なりの光の層。すべての色が混ざっているようにも、線で正しく区切られているようにも見えるその虹が照らすのは、けっして虚しさだけではなかった。
心だ。色がちがっても分かり合えると信じたカルマたちの心の証明が、そこにあった。
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