4-13 蛍
──おれもいつか、カンパニュラみたいな英雄になれる?
かつてそう尋ねたカルマにロニは言った。なれるよ、と。お前には心優しい姉さんたちと同じ血が流れているのだからと。
同じ血が流れていると同じになるの? とカルマは目を見開いた。すると彼は少しだけ寂しそうな顔をして、私は同じにはなれなかったな、と答えたのだ。
いまなら言える。同じでなくてもいいのだと。理想とする存在になれなくても。自分が何かわからなくても。
そのすべてが生きている証なのだと、伝えたい。
「──叔父さん!」
先程まで二人でいた建物の屋上から、ザリが援護してくれているからだ。
彼が水の魔術で敵をひたすら撃ち落とす間に、カルマがロニのもとに向かう。化け物たちの中を徘徊する叔父の体に触れるために二人が立てた、作戦とも呼べないような作戦だった。
怪物になりかけた叔父を元の姿に戻すためには、薬屋の女主人や、噴水広場にいた男性を戻したときと同じ動きをする必要があるだろう。
その手伝いをしてほしいとザリに頼んだ。無茶するなよ、とため息を吐きながら自分を送り出した青年は、カルマにとって“いい人”だった。
「……くっ!」
逼迫したザリの声が上方から聞こえ、カルマの行く手を阻む化け物たちの動きを封じていた水球の攻撃がぴたりと途絶えた。
はっとしてザリの立つ場所を見上げると、二体の
「ザリ!」
「……こっちは平気だ! だから、よそ見するな!」
「え……」
左半身に衝撃が走った。視界が回る。全身の骨が粉々になったような痛みを覚える。
気づけばカルマは地面の上に転がっていた。横から現れた
ロニはすぐそこにいるのに。
カルマにも、屋上で戦う息子の存在にも気づかぬ様子で、彼は街路をうろついていた。仲間と判断されているのか、彼自身が化け物たちに襲われることはないようだった。
ずきずきと疼く肩を押さえながら、上半身を起こしてロニを見る。
五体ほどの
(叔父さん……)
ぼやけた視界に映るロニの肌はやはり灰色で、その範囲は先刻よりも広がっているように見える。
このままでは本当に怪物になってしまう。
壊れた叔父の行く末を想像したカルマが、ぞっと背筋を凍らせたときだった。
ドクン、と。心臓が脈を打った。
──死ねなかったの
果てのない暗闇の中から、いつものか細い声が響いた。
目の前に立つひとりの少女。白いワンピースに身を包み、静かに揺れる灰色の睫毛を哀しげに伏せている。
──わたしと、お父さんとお母さんで、三人で死のうとした。けどできなかった
──死ねない体だったの。わたしとお母さんは。お父さんだけが死んだ。お母さんは絶望して、なにもできなくなって
──他の人たちの力を借りて、わたしのからだを封印することにした
そうだったのか、とカルマは思った。彼女は娘を恐れた両親に無理やり封印されたのではなく、そうするしかない状況に追い込まれたことで、そのからだをばらばらに切り裂かれる道を選んだのか。
──このままでよかった。死ねなくても、生きられなくても、だれも傷つけずにすむのなら
──なのに、わたしがいなくなっても、わたしがつくったともだちがみんなを襲った。
──そんなこと、わたしは望んでなかったのに
「だから……おれを通してぜんぶ壊そうとしたんだね」
これまで自分が形を変えてきた
すべては彼女がやったことだ。エリーはカルマの力だというが、実際はそうではない。
カルマの中にいる〈灰色の子〉が、自分が生んだ化け物たちを呪いから解放したいと願った結果、あの奇跡は起こったのだ。
「これからも、手伝わせてくれる?」
うつむく少女に一歩近づき、カルマは問う。返事はなかった。灰色の髪がさらりと揺れたが、呼吸の音は聞こえない。
けれど、彼女は生きている。他でもない、カルマという人間の中で。
「君がこの世に残してしまった化け物を、おれもいっしょになんとかするから。勝手に心臓を使っておいて何言ってるんだって話だけど、それでも」
顔を上げた少女がカルマを見つめる。灰色の睫毛がはたりと上下した。
あなたはだれ、と幾度となく自分に語りかけてきた少女。
カルマは思う。ナナギが自分の命の恩人なら、彼女はカルマの命そのものだと。
「君の痛みも、孤独も、なかったことになんかしない。忘れないよ。ずっといっしょに抱えていく。だからお願い。どうか──
自分にはまだやるべきことがあるから。すべてが終わって、この心臓を彼女に返せる日がおとずれるまで。
共に生きることを許してほしい。
──わかった
いいよ、と少女が肩を揺らす。トクン、とどちらのものかわからない心臓が音を立てる。
やがて少女は静かに目を伏せた。一瞬が永遠にも感じられるような静けさの中、ふたり分の鼓動が重なる。
灰色の髪をはらりと流し、再びゆっくりと瞼を開いた少女は。
「──大切にしてね」
星屑を散らしたような銀色の瞳をきらりと瞬かせ、笑っていた。
「……!」
はっとして目を開ける。暗闇ではない。灰色の少女もいない。何体もの
「え……?」
どうして、とカルマは呟く。自分の周りにいた化け物たちの姿が消えていたからだ。
いや、正確には消えたのではない。
カルマの周囲できらきらと舞い上がるのは、眩く輝く無数の光の粒だった。それらはすべて形をなくした
陽が沈み始めた夕暮れの空は晴れ渡っていた。先程までの曇天が嘘のようだった。
「叔父さん……」
立ち上がり、自身の前方でふらりと揺れる男の名をカルマは呼ぶ。
カルマを囲んでいた
「──なるほどね。ぜんぶ魔力に変換したわけだ」
やるじゃん、という声が聞こえた上方に視線を向ける。
ザリだった。屋上からカルマたちを見下ろす彼の周りには、星屑のように輝く光の粒が彼自身を囲うように集まっていた。はらりとなびく純白の神官服が、すべての光を眩いまでに反射している。
「借りるよ、これ」
天に向けられたザリの手のひら。その上空に円の形をした光の紋様が出現した。
カルマは目を見開いた。街全体を覆うほどの大きな紋様が、青年の真上で眩しい輝きを放ったからだ。
「
藍色の髪を揺らして微笑むザリが、静謐な声で唱える。渦を巻くように広がる紋様の円。天に吸い込まれるように舞う無数の光。
次の瞬間。カルマの頭にぽたりと何かが降ってきた。
はっとして空を見上げる。続いて頬を濡らした冷たい感覚。
──雨だった。
雲のない夕焼けを映す空から、静かな雨が降り始めたのだった。
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