4-12 黒と白
「ザリ、大丈夫……!?」
「……なに心配してんの」
いらないよ、と面倒そうにザリが答える。汚れた屋上に片膝を立てて座る青年の横にしゃがみ込み、カルマはその顔を覗き込んだ。
「僕は白血だぜ。不死身ってわけじゃないけど、これくらいすぐ治る」
彼の言葉は嘘ではなかった。彼の神官服の袖はたしかに切り裂かれていたが、その間から覗く肌には傷ひとつない。攻撃されたことはまちがいないのに。
「心配はするよ。治るからって痛くないわけじゃないだろ」
「……」
わずかに眉をひそめ、ザリがカルマの顔を見る。
「そういうところが気持ち悪いんだよ」
静かに瞼を閉じ、彼は呆れたように息を吐いた。
「親父に捨てられたってだけの僕より、監禁されてやばい研究に利用されてたお前の方がよっぽど酷い人生送ってるじゃん。人を助けたいだとか心配だとか、そういうふつうの情緒が身についてるのが気持ち悪い。あの変態に育てられたらそうはならないだろ」
吐き捨てるようにこぼすザリの前で、カルマはぽかんと口を開けた。
なにその顔、と青年が訝しげな声を出す。
「いや……やっぱり、ザリはいい人だなって」
「は?」
意味がわからない。そんな彼の心の声が聞こえてきた。
「おれは、人を助けたいとか心配とかを
ザリの目が見開かれる。澄んだ琥珀色の双眸。彼の父親であるロニの瞳も、かつては同じ色をしていた。
「……ありがとうが嫌いって言っただろ」
微かに睫毛を揺らしたあと、彼は静かに口を開いた。
「七歳のときだった。こっそり教団に忍び込んできたあいつが僕に言ったんだ。生まれてきてくれてありがとうって」
「叔父さんが……」
「あいつは名乗らなかったけど、父親だってすぐわかったよ。むかつくよな。勝手に生んで勝手に捨てたくせに。母さんを犠牲にしてわけのわからない研究に没頭して、お尋ね者になった身でわざわざ会いにきてさ。言うに事欠いてそれかよって」
当時のことを振り返るように語るザリから、憎しみや焦燥、悲しみといったさまざまな感情が伝わってくる。
「ありがとうなんてたった一言で父親面されるなんて冗談じゃない。感謝の言葉なんて、言った人間の気持ちを満たすだけの体のいい決まり文句だろ」
うつむくザリ。藍色の前髪がはらりと揺れる。
「だから僕は与えるだけでいい。愛も、称讃も、見返りも……何もいらない。与えて与えられて、だれかと対等な関係になるなんてごめんだね」
他人を馬鹿にしたような笑みも、本心を曖昧にするような軽薄な言葉もそこにはなかった。
カルマは思う。これが彼の真実なのだと。
「叔父さんをとめよう」
いっしょに、とカルマは言った。立ち上がり、両手を強く握りしめる。
ロニが落ちた建物の下に視線を移した。新たに出現した十数体の
「まだ叔父さんは完全に
人や獣といったさまざまな形を持つ化け物たちの中に唯一、完全な人間の姿を保つ灰色の影が紛れ込んでいた。
ロニだった。不気味に蠢く
「『シュメルの大戦』っていう物語があるんだ」
「……?」
何の話だ、とザリがカルマの顔を見上げる。
「海の王様ラメクが地上の世界を手に入れようと戦争を起こして、息子のノイがそれをとめようとする話なんだけど」
「……」
「壮大な親子喧嘩なんだ。親父をとめるにはもう拳しかないって、最後は二人で殴り合いの決闘をする。──だから、ザリも叔父さんを殴ったらいいよ」
「……現実と小説の区別はちゃんとつけろよ」
厄介な生き物を見るような顔で指摘され、カルマはぱちりと瞬きをした。
わかってるよ、と相手の目を見て答える。
「現実だから、戦うんだ」
ザリ、とカルマは青年の名を呼んだ。
「叔父さんに教えてあげよう。
だから手伝って、と言って手を差し伸べる。
しばらくの間カルマを凝視していたザリだったが、やがて諦めたようにため息を吐くと──ゆっくりと口角を上げた。
「わかったよ」
ふっと猫のように目を細め、彼はカルマの手を取った。
「ただし礼はいらない。あいつを殴るのは僕自身のためだからね」
自分と向き合うようにして立ち上がったザリの顔を、カルマは見上げる。
微笑み返すと、ザリは満足したように鼻を鳴らした。
「……で? 親子喧嘩の結果はどうなるわけ」
藍色の髪を揺らして首をかしげたザリに尋ねられた。
「親子が家族の絆を再確認して戦争が終わるんだ。ノイとラメクが抱き合って涙を流す場面は感動的だよ」
「……言っとくけど、僕はあいつと抱き合って泣いたりなんかしないからな」
「最後は親子の流した涙で大洪水が起きて、世界が滅びる」
「バッドエンドじゃん」
嘘だろ、とわかりやすく顔をしかめるザリにカルマは答える。
「そうかな。世界中に降り注いだノイたちの涙の雨で虹ができて、それが他の世界につながる橋になるんだ。いろんな動物のつがいが一組ずつ橋を渡って移住して、新しい世界をつくる。未来のあるいい結末だったけど」
「いや、だってそれ橋を渡ったつがい以外はみんな死んでるんだろ」
「……」
やっぱりいい人だな、とカルマは思ったが、口には出さなかった。舌打ちをされる未来が予想できたからだ。
「ま、安心しなよ。その橋とやらがかかっても、人間枠は僕ひとりで埋めてやる。お前のことは連れてってやんない」
「最初から無理だよ。おれとザリじゃつがいになれないから」
「お前……」
無言でため息を吐いたザリが、建物の下に視線を移す。自我をなくした灰色の叔父がそこにいた。
ザリの隣に並び、
家族をふたりで救うのだと。
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