4-10 息子
次に目を開けたとき、カルマがいたのは街の一角にある建物の屋上だった。
ナナギやグレートの姿はない。かなり遠くに飛ばされたようだ。視界に入る街並みはシグナスのものだったが、先程まで自分がいた噴水広場や騎士団の
「やっと会えたな」
カルマ、と低い声が背後から耳をつく。
「叔父さん……」
はっとして振り返ると、白衣に身を包んだ茶髪の男がそこにいた。
あのレザールでの騒動以来、しばらくぶりに再会するカルマの叔父。ロニだった。
「元気そうでよかった。──〈灰色の子〉になる決心はついたか?」
「……ちがうよ。おれはあなたと話しにきたんだ」
答えると、ロニは静かに瞬きをした。生気のない冷えた瞳。光の加減だろうか。街に蔓延る化け物たちと同じ灰色に見えるのが恐ろしい。
「叔父さんは勘違いしてる。〈灰色の子〉は復讐をしようとなんて思ってなかったんだ。まちがってたのは神話の記述の方だったんだよ」
「なぜそう思う」
「聞いたんだ。おれの中の彼女に」
どろりと濁った眼を細め、なるほどな、と男は笑った。そして言った。だからどうしたと。
「彼女が孤独だったのは事実だろう。封印されたのも、この世に化け物を残していったのも」
「それは……」
「寂しかったのさ。人から理解されない中途半端な存在であることが。白でも、黒でも、赤でもない、灰色でしかない自分の命を彼女は呪った」
一歩。カルマに近づきロニは言う。
「十二年前。お前の肉体が彼女の心臓を受け入れたとき、私はそれが彼女の意志なのだと思ったよ。自分を闇から解放してほしい。再び生きる術を手に入れて、今度こそこの世界に復讐をしたいと願っているのだとな」
「叔父さん」
「結果的に姉さんたちを死なせてしまったことは残念だったが。本望だろう。愛する息子を救えたのだから」
ゆっくりと近づいてきたロニの手がカルマに伸びる。
逃げる隙もなかった。大きな手に首を掴まれたカルマは、ぞんざいに扱われる人形のように、ぶらりと全身を持ち上げられた。
「っ、ぐ……」
「お前は生まれたときから心臓が弱かった。このままでは大人になる前に死んでしまうと嘆く姉さんたちに、私は提案したのだ。ばらばらにされてもなお生き続ける少女の心臓を代わりにすれば、奇跡が起こるかもしれないとな」
宙に浮かされた体勢のまま、カルマはロニの顔を見る。
「本当に奇跡は起きた。混沌に陥ったドラコからお前を連れ出した私は、その体を彼女のものにするため研究を始めた。……シェリーの息子によって黒血に変えられたときは、どうしようかと思ったが。それこそが二度目の奇跡だったんだ」
「きせ、きって」
「中途半端なお前の黒血とエルサの血を混ぜ合わせることで、〈灰色の子〉の血の力を再現できるようになったことさ」
以前も話しただろう、とロニが微笑む。
息が苦しい。胸が痛かった。必死に足をばたつかせ、男の腕から逃れようと試みるが、力が入らない。
「カルマ。彼女の心臓を受け入れたお前にならわかるだろう。その嘆きが。苦しみが。満たされることのない永遠の孤独が」
「おじ、さ……」
「だから譲ってやってくれ。その体を。私たちで救ってやろう。世界中から嫌われた、哀れな少女の魂を──」
遠のく意識と薄れゆく視界。ロニの手首を掴むカルマの手から、力が抜けかけたときだった。
「たいそうに語るなよ。幼女趣味の変態ってだけの話だろ」
嘲笑を含んだ冷たい声と、ザン、と何かを切り裂くような鋭い音が辺りに響いた。
カルマの首からロニの手が離れる。どさりと尻もちをつくかたちで屋上に落ちたカルマは、首を押さえてごほごほと咳き込んだ。
「く……」
ロニの呻き声が聞こえた。顔を上げたカルマは息をのむ。
ぽたりと滴り落ちる液体。左手で右の肩を押さえたロニが、苦しげに眉根を寄せている。
その背後に人の影が見えた。
風になびく藍色の髪の毛。冷えた水を張ったような琥珀色の瞳。丈の長い純白の神官服。
「ザリ……」
掠れた声で、ロニがその青年の名を口にする。
「へえ、意外。僕のこと知ってるんだ」
赤い血で汚れたナイフを右手に持つ青年が、ロニの後ろに立っていた。
ザリ・クオーツ。以前に港でカルマを襲った白十字教団の神官だ。
カルマは大きく目をみはった。なぜ彼がここにいるのか。
「あたりまえだろう。お前は──」
唖然とするカルマに背を向け、ロニが視線を青年にやる。
自分の肩を刺した青年の顔を見つめ、彼は言った。
「私とエルサの、息子なのだから」
ぴくりと眉をひそめるザリ。カルマは息をのんだ。衝撃のあまり声が出なかった。
ザリが、叔父さんの息子?
「私を殺しにきたのか」
「あんたが母さんの血を使ってくだらないことをしてるって聞いたからさ。最初は
カルマを一瞥し、ザリがふっと息をこぼす。
「終わりにしてあげるよ。幼女に誑かされた哀れな両親の計画を、息子の僕がいまここで」
藍色の髪を揺らすザリが、振り上げたナイフの先端を相手に突き刺そうとした瞬間。
「──無駄だ」
腹の底から絞り出すような声をロニがこぼした。
ふらりと傾く身体。骨が軋むような奇怪な音。様子がおかしい。
「お前……なんだ、それ」
驚いたようにザリが呟く。カルマもはっとした。
切り裂かれたロニの右肩。その傷口が痣となって塞がっていた。
乾いた樹木の表皮のような、人間の温度を感じられない歪な色。
灰色だった。カルマの頭に
同じだ。怪物になったあの女性の肌と、同じ色。
「叔父さん、まさか」
「……そうだ。私はすでにお前たちの血を取り込んでいる」
苦しげに右手で顔を押さえるロニ。その指の隙間から覗く瞳は、以前までの琥珀色ではなく、どろりと淀んだ灰色をしていた。
「……狂ってるね。自分自身が怪物になろうってわけ?」
「彼女と同じになろうとしたんだ。完全な異形となってしまった他の者たちとはちがい、ここまで人の形を保っていられたが……」
薄く笑みを浮かべたロニが、屋上の端までゆっくりと後ずさる。ぐらりと揺れる男の身体。
次の瞬間、その姿が見えなくなった。
「叔父さん……!」
建物から落下したのだ。あせったカルマはとっさに彼のいた位置にまで駆け寄ったが、当然ながら手を伸ばすには間に合わない。
「……この馬鹿!」
勢いのまま自らも落ちそうになったところを、背後から
その刹那、下から鋭い斬撃が飛んできた。
「……っ」
「ザリ!」
カルマを庇ったザリの右腕が切り裂かれる。純白の血が周囲に散り、呻き声を上げた青年の身体が傾いた。
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