4-7 英雄

 無数の灰色人グレースケールが蔓延る街の中を、ルダの先導にしたがいカルマは走った。

 ナナギの妹。自分がカルマを兄のもとに連れていくと彼女は言った。そこにはカルマの叔父もいる。

 ルダは強いから安心して、と笑ったエリーとは別行動をすることになった。

 実際、小柄なルダは動きが素早く、先程からひっきりなしに出現する灰色人グレースケールを巧みな攻撃で次々と消滅させている。

 彼女が操る大量の矢尻のような黒血の刃は、激しい雨のように化け物たちに突き刺さり、大きな体に蜂の巣のような穴をあけた。

 兄妹が持つ血を操る力は、母親から受け継いだものだという。


「……!」


 悍ましい気配を感じ、カルマはさっと後方にとび退いた。目の前に現れたのは、ちょうど成人男性ほどの大きさをした、二足歩行の灰色人グレースケールだった。

 襲われることを覚悟したカルマが息を詰めたとき、ぐしゃりとその化け物の体が崩れ落ちた。

 その背後にはルダの姿があった。彼女の血で形成された黒い矢が、敵の活動を終わらせたのだ。


「無事?」

「う、うん。ありがとう──って、ルダちゃん、それ……!」


 少女の白いブラウスが裂け、その下から覗く皮膚に黒い血が滲んでいた。爪のような鋭い何かで裂かれた痕。敵の攻撃を受けたのだろう。


「大丈夫?」

「平気。これくらいすぐ治る」

「でも……」

「嘘じゃないよ、ほら」


 慌てるカルマに近づき、ぐい、と自身の右腕を押しつけるような動きをするルダ。その傷口を見たカルマははっとした。本当に治っていた。


「血流を調整して患部に魔力を集中させるの。ちょっとした治癒能力みたいなものだよ」


 驚愕するカルマとは対照的に、彼女は変わらず落ち着いた様子だった。


「お兄ちゃんもできる」

「え……」

「……思い出さない?」


 兄と同じ紺色の瞳が微かに揺れる。相手の様子を窺うような彼女の態度に、カルマはふと違和感を覚えた。


「ねえルダちゃん。君とおれは、昔──」


 だが、そんなカルマの疑問は最後まで言葉にならなかった。

 唐突に辺りに響いた轟音と、激しく揺れ始めた地面の動きに邪魔をされたからだ。

 カルマたちは、その震源となった場所に視線を向けた。


「あいつ……」


 二人は同時に息をのんだ。平坦ながらも驚きを含んだ声をルダが発する。

 カルマは硬直した。肚の底から縮み上がるような恐ろしい感覚に全身が襲われる。鳥肌がとまらなかった。

 現れたのは灰色人グレースケールだった。

 ぐにゃりと曲がった細長い手足に、歪な形をした頭。乾き切った灰色の皮膚。よく見る人型だ。

 けれど、ちがう。ふつうの灰色人グレースケールではない。

 は、おそらく。


「カルマ……!」


 ルダの声をかき消すように、その怪物は咆哮した。ビリビリと空気を震わす、耳を塞ぐことすらも無意味になるような、甲高い鳴き声だった。


 ──わたしも! ともだち、だよッッッ!


 あの人だ、とカルマは悟った。自分が倒れる直前、目の前で変形したあの薬屋の女性が、この怪物の正体だと。


「さがって」


 動けなくなったカルマを庇うように右手を広げながら、ルダが怪物の前に出た。

 奇声を発し続ける個体に近づく黒髪の少女。その後ろ姿を見てカルマははっとした。

 彼女の足が震えていることに気がついたのだ。


(怖いにきまってるだろ……)


 自らの不甲斐なさを自覚し、カルマはぐっと唇を噛みしめた。

 いくら彼女が強くても。冷静な兄と同じ大人びた言動をして、毅然とした態度を崩さなくても。

 ルダは子供だ。二つ下の妹だとナナギは言っていた。十三歳。カルマよりも年下の少女なのだ。

 守らなくてはと思った。弾かれたように走り出し、少女の背中に手を伸ばした。

 だめだ。彼女とあの灰色人グレースケールを戦わせてはいけない。そんなことはさせたくない。

 大きく腕を振り上げた怪物の前で、ルダが指を噛み、その血をぽたりと地面に落とした。

 黒い血の球が浮き上がり、敵を貫くための無数の刃に変形したとき──カルマは、少女と怪物の間に割って入った。


「……カルマ!?」


 風を切るような音を立て、怪物の腕が降ってくる。衝撃に備えて目を瞑った。背後に隠した少女さえ無事ならそれでいい。そう思った瞬間。

 いつかの光景が脳裏をよぎった。

 それは記憶だった。カルマの知らない、けれどたしかにカルマが体験したはずの。

 灰色の化け物がいた。その前で震える一人の少女。

 ぺたりと床に座り込み、呆然とした表情で化け物を見上げているのは──現在いまより幼い見た目をした、ルダだった。


 ──あぶない!


 カルマはとっさに手を伸ばし、化け物と少女の間に割り込んだ。

 大きな衝撃が全身を襲った。こぼれ落ちそうなほどに見開かれる少女の目を視界がとらえた。

 気づけば、カルマは床を背にして倒れていた。

 重い瞼をゆっくと開けると、上から自分を覗き込む黒髪の少年と目が合った。眼鏡をかけたその少年は、泣きそうな顔をしていた。

 珍しいどころではない。そんな彼の表情は初めて見たのだ。

 三年前の、あの日に。


「カルマ!」


 現実に意識が戻った。

 攻撃はされていない。腕を振り上げた状態の灰色人グレースケールが、カルマの目の前でぴたりと動きをとめていたのだ。まるで見えない鎖に縛られているかのようだった。


「……あっ!」

「カルマ!?」


 ドクン、と心臓が激しく疼いた。強烈な痛みを覚えたカルマは、膝から地面に崩れ落ち、胸を押さえてうずくまる。

 

 ──いたい、いたい……!

 

 カルマだけの痛みではなかった。心臓をとおして、灰色の少女が泣き叫んでいた。


 ──お父さん、お母さん。お願い。わたしを殺して


 いつかの光景が脳内に流れ込んだ。カルマのものではない。〈灰色の子〉の過去の記憶だった。


 ──馬鹿なことを言わないで!

 ──できるわけないだろう。愛する娘に手をかけるなんてこと……!


 灰色の少女の前で悲痛に満ちた顔をする黒髪の男性と白髪の女性は、彼女の両親だろう。ノワールとブランだ。


 ──でも、わたしが生きているからみんな傷つく。お母さんやお父さんだって

 ──だから殺して。わたしを……灰色の怪物を生み出す存在を、この世から消して


 少女の抱える苦しみに胸を痛めながら、カルマは思った。やはりそうだったのかと。

 灰色人グレースケールの起源が記された『創灰神話』では、〈灰色の子〉は自ら進んで人間たちを怪物にした恐ろしい子供として描かれていた。けれど本当はそうではなかったのだ。


(……優しい子だったんだ。ふつうに生きたいの、にそれができなくて。自分の力を持て余して)


 ずきりと疼く自身の頭を片手で押さえ、カルマは立ち上がる。

 目の前で硬直する怪物に。自分の中で涙を流す少女に。ゆっくりと手を伸ばした。

 血の色が原因で娘を亡くしたという女性。なぜ彼女が怪物になる道を選んだのかはわからない。

 わからないが、悲しいと思う。

 だから〈灰色の子〉は両親に懇願したのだ。こんな悲しみを生む自分の命を消してほしいと。

 結局、彼女は殺されずに封印され、灰色人グレースケールという化け物をこの世に残すことになってしまったのだが。


「──ごめんね」


 ロニが。自分が。少女の苦しみを掘り返した。その性質を曲解し、彼女の力を利用して。かつての悲劇をくり返そうとする叔父が許せないと、あらためてカルマは思った。

 指先で怪物の腕に触れる。あたたかった。乾いた灰色の皮膚には、温度などないはずなのに。


 ──私はね、あんたらのことを応援してるんだよ


 カルマは祈った。どうかこの人を。自分の中にいる少女を救ってくださいと。

 そのときだった。怪物の肩がぴくりと揺れた。そして、カルマの指が触れた箇所から眩い光が発生した。

 その輝きが怪物の全身を包み込むように広がり、曇天の下にある荒れた街の一部を明るく照らす。

 目が眩むような光だった。怪物の体から灰色の砂がこぼれては消え、代わりに生まれた光の粒子が、さらさらと散る花びらのように空へと昇る。

 次の瞬間、カルマははっと目を見開いた。光の中から一人の女性が現れたからだ。


「え……?」


 それは薬屋の女主人だった。衣服はボロボロで、全身は傷だらけ。気それはを失ってはいるが、生きている。呼吸をしていた。

 戻ったのか。人の姿に。


「カルマ」


 名を呼ばれて振り向くと、勢いよく抱きつかれた。腰に回される細い腕。視界を埋める闇夜のような黒髪。


「ルダちゃん……?」

「すごいね、カルマは」

「え……」

「あなたが助けたんだよ、この人を」


 カルマの耳元でルダは言った。


「……おれが?」


 自分よりも小さな背中にそっと手を置き、カルマはわずかに瞼を伏せた。


「そうだよ。あなたが戻したの」

「……」

「やっぱり、カルマは英雄だね」


 思いがけないルダの言葉に、カルマははっと目をみはった。

 黒髪の少女は、カルマの背中に回していた腕を離すと、夜色の瞳をふっと細めた。


「あなたに助けられたあの日から。カルマはずっと、私にとって英雄だった」


 息をのんだ。一心に自分を見つめる少女の瞳に、あの日の記憶がよみがえる。そうだ。そうだった。


「──思い出したんだ」


 緩慢な瞬きをくり返す少女の顔を見つめ、カルマは言った。


「三年前のこと……思い出した。あの日、おれはルダちゃんに会ってた」

「!」

「君が化け物に襲われそうになって、おれはそれを、助けようとして」

「……」

「でも……やられて」


 死にかけた。

 身体が貫かれたときの痛みを。衝撃を。カルマは憶えている。思い出したのだ。


「それでおれは──」


 心臓が壊れそうなほど鼓動していた。取り戻した記憶が、辛く悲しいものだったからではない。逆だ。大切な記憶だったから。

 だって自分は、あの日。


「ナナギに、助けられたんだ」


 カルマの言葉を聞いたルダの瞳が、きらりと瞬いた。

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