4-6 執着

 最初に復讐をすると言い出したのはエルサの方だった。


 彼女と出会ったのは十五歳のときだ。一つ上の姉とともに孤児院を出たあと、二人で移り住んだ辺境の村にその少女は住んでいた。

 エルサには幼馴染がいた。アルベルトという同い年の少年だった。

 ロニは彼らとすぐに仲良くなった。村で働きながら医師になるための勉強に励んでいた姉も、他者との交流を拒む節のある弟に友人ができたことを喜んでいるようだった。

 二人が異端だったからかもしれない。エルサは白血で、アルベルトは黒血だったから。

 彼らはその事実を隠しながら生きていた。本来であれば許されないことだった。白血の人間は生まれたときから白十字教団の神官となることが義務付けられており、黒血の人間は、場合によっては死刑も余儀なくされる存在だ。

 だからこそ惹かれたのだろう。

 白と黒、赤という色で分けられた線引きだらけの世界で、彼らは常に自由だった。弟である自分からも理解のできない、善で塗り固められたような志を持つ姉とはちがう。自分のためだけに生きる二人を好ましいと思った。


 ──私たちのこと、村のみんなにばらしちゃう?

 ──そんなつもりはない

 ──え。変な人

 ──失礼だよエルサ。……ありがとう、ロニ

 ──いや……

 ──ふふ。なら私たちは共犯者だ


 三色そろえば敵なしだね、とエルサは笑った。おかしな少女だとロニは思った。


 だが、運命は残酷だった。十七歳のとき、アルベルトが黒血であることが村の者たちに発覚し、彼は殺されてしまったのだ。

 それだけではない。アルベルトを失ったあと、今度はエルサが白血であることが村中に知れ渡った。結果、彼女は教団に召喚されることになってしまった。


 ──私の血は私だけのものよ。だれにも渡さない。私は、神さまになんか絶対ならない!


 教団の使者に連れて行かれる寸前まで、エルサはそう叫んでいた。

 ロニは呪った。アルベルトを救うことも、エルサを連れ去ってどこかに逃げることもできなかった自分を。彼らの生き方を否定した世界を憎んだ。

 エルサが教団を抜け出してロニのもとに帰ってきたのは、その二年後のことだ。

 驚くロニに、以前と変わらぬ明るい笑顔で彼女は言った。私たちからアルベルトを奪ったこの世界に復讐しよう、と。


 ──〈灰色の子〉の声を聞いたの。ほら、あそこには彼女の頭が眠っているでしょう

 ──寂しそうだった。色がちがうだけでどうして嫌われなくちゃいけないのって、ずっと泣いてた

 ──ぜんぶ混ぜちゃおうよ。黒も、白も、赤もなくして、灰色の世界を創るの。もう二度とアルベルトみたいな黒血を生まないために。私みたいな白血が、神さまなんかに囚われなくてすむように


 ロニは彼女の提案に頷いた。すべてエルサの言うとおりだと思った。

 色があるからいけないのだ。白と黒。大人と子供。善人と悪人。人間と怪物。そうやって線を引くからみんな苦しむ。

 だからロニは〈灰色の子〉についての研究を始めた。すべてを灰色にするためには、灰色を生み出す少女のことを詳しく知る必要があると思った。


 不幸なことに、計画の途中でエルサは亡くなってしまったが。

 彼女との約束を反故にするつもりはない。エルサの死の二年後、ロニは教団から〈灰色の子〉の心臓を盗み出し、灰色人グレースケールを量産する方法を生み出すことにも成功した。

 同じ思想を持つ仲間も増えた。自分の血が黒いことに絶望を抱えて生きてきたグレートや、五大名家の当主の妻がそうだった。


「──シェリーは嘆いていたよ。自分たちの存在に価値はない。呪われた血にこだわる夫の気持ちが心の底からわからないとな」

 

 シグナス西区の中央広場。騎士団の面々が全員避難させたのだろう。街の住民はすでに一人もいなかった。

 その代わりというようにロニはいた。化け物の手によってわずかに欠けた噴水の前に立ち、妻との約束を思い出していたところだった。


 街中を埋め尽くすほどの灰色人グレースケールを放てば、騎士団は総力戦を余儀なくされる。彼らに奪われた甥をその隙に取り戻そうと考えたのだ。


「カルマを渡せば母親の居場所を教えてやろう。……それとも、君もこちら側の人間になるか? 家族を裏切って私についたシェリーのように」

「必要ない」


 背後から感じた気配に語りかけるも、切り捨てられる。コツリと響いた靴の音。

 ロニは振り向き、足音の主と少しの距離を空けて向かい合った。


「僕はあの人の生き方に口出しするつもりはない。裏切られたことも恨んでいない。母親を想う娘の気持ちを考える余裕はなかったのかという疑問はあるが」

「妹思いだな」

「いや。僕が想うのはただひとりだ」


 氷を張ったような冷たい声を落とし、その人物は腰に刺した剣を抜いた。


「口出しはしない。母さんにも、お前にも。思想は言葉でできているが、言葉で思想を変えることが容易ではないことも僕は知っている」

「……」

「けれどせめて、邪魔だけはさせてもらう」


 そう言って剣先を向けてくるのは、漆黒の外套マントに身を包んだ、金髪の少年だった。

 ナナギ・ヴァン・アメジスト。ロニの仲間である黒血の女性、シェリーの息子だ。


「邪魔ね。いったいどうやって?」


 私を殺しにでもきたのか、とロニは問う。

 ナナギの表情は動かなかった。ドオン、と。遠くから聞こえる街の爆発音が、彼がまとう夜のような静けさを強調する。


「殺さない。彼の心臓について現状もっとも詳しいのはお前だ。捕らえて詳細を吐かせる」

「詳細もなにも、あの子はただ心臓を受け入れただけだ。情報だけが目的なら、私を生かしておく利点の方が少ないと思うが」

「お前が死ねば彼が悲しむ」

「意外だな。君は情に流されない少年だと思っていた」

「僕は過程を大事にする人間だよ」


 少年が左手を前にかざし、右手に握った剣の刃をその指にぴたりと当てる。

 そして、自分の皮膚を躊躇なく切り裂いた。

 ぴしゃりと散った液体が、銀色の剣身を黒で汚す。すべてをのみ込む闇のような深い黒。剣先から滴る血が、ぽたぽたと地面に落ちた。

 

「──永血の献葬ヘクトル・クロイツ

 

 ロニは大きく目をみはった。電流のような黒い光を放ちながら、少年とロニの間に生まれた膨大な魔力の塊。

 黒十字だった。滴り落ちた少年の血から、空を突き抜けるほど巨大な黒い十字が出現したのだ。


「古代に存在した拘束魔術か。〈灰色の子〉の封印の際にも使われたものらしいが……」


 ロニは素直に感心した。本来の永血の献葬ヘクトル・クロイツは、ホメロス夫妻と五大名家の力が一つになることで完成する術であったはずだ。


「まさか一人で発動するとはな。習得のためにはかなりの時間と労力を消費しただろう」


 率直な賛辞を送ると、眼鏡の奥で少年の瞳が光った。外套マントと金髪をなびかせる彼の前で、黒十字は依然として空間を震わせるほどの存在感を放っていた。


「三年だ。お前が彼を連れていったあの日から。その間、僕が何もしてこなかったとでも思うのか」


 抑揚のない声で少年は言った。バチリ、と。黒十字の威力が高まる。


「君のそれは信仰か? それとも執着か」


 ロニは尋ねたが、少年から返事はない。

 彼は静かに目を伏せたあと、冷たい光を宿した瞳を、再びロニの方に向けた。

 そんなナナギに、ロニは薄く笑いかけた。


「努力は認めよう。だが足りない。私の信仰と執着には届かない」


 右手を上げた。金髪の少年が警戒の姿勢を見せる。


「邪魔はさせない。カルマは〈灰色の子〉となるべき存在だ。だから退け、シェリーの息子よ」


 低い声で言い放ち、ロニはパチンと指を鳴らした。

 その瞬間、ロニの周囲に黒い渦が発生した。


「……!?」


 少年が目を見開く。仮面のような無表情が崩れた理由は明白だった。

 彼の眼前で、黒十字が消滅したのだ。激しい閃光を放って消えた。宙に散る火花のように。その役目を果たすことなく弾けてしまった。


「万が一を想定して血を預かっておいたのは正解だったな。永血の献葬ヘクトル・クロイツはたしかに強力だが、繊細な魔術だろう。共鳴さえ起こしてしまえば無効化できる可能性は高い」

「……母さんか」


 苦虫を噛み潰したような声で少年が呟いた。

 共鳴。波動の似通う魔力がぶつかり合うことで生じる特殊な現象だ。

 魔術の暴発や変質など、起こる事象の種類はさまざまだが、もっとも多いのは、負の共鳴と呼ばれる力同士の消滅だと言われている。

 必ず生じるわけではないが、両者の間に血縁関係がある場合、共鳴は起こりやすくなる。

 ロニはシェリーの血を所持していた。彼女の息子が何らかの方法で自分たちの作戦を干渉してきた際、すぐさま対応できるようにと。


「これでも君には感謝しているんだ。三年前のあの日、君の報告を受けた騎士団が私の屋敷に乗り込んでこなければ──」


 ロニは笑った。白衣のポケットから透明な瓶を取り出し、中の液体を辺りに振り撒く。


「君がカルマを黒血にしてくれなければ、いまの私は生まれなかったのだから」


 ナナギがはっと目をみはる。彼の周囲に、灰色の血によっておびき出された複数の灰色人グレースケールが集まってきていた。


「そう焦らずともまた会えるさ。灰色の世界では、私も君も、君の母親も──カルマも。みな同じ存在だ」


 大きく両手を広げるロニ。その動きを合図として、灰色の化け物たちが、一斉に金髪の少年に襲いかかった。

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