4-5 家族

 薄い光が差し込む部屋で目を覚ました。

 おもむろに身体を起こす。机の上の置き時計を確認すると、昼を過ぎて数時間が経過していることがわかった。もうすぐ陽が沈み始める頃だろうか。

 汗をかいたからか、熱は下がっているようだった。身体が少し冷えているが、その分思考は鮮明だ。

 なぜ自分はここにいるのか。記憶の糸をたぐり寄せ、カルマははっとした。

 途端にこみ上げてくる吐き気。片手で口を押さえて青褪める。

 そうだ。自分はたしか、クロエに買い出しを頼まれて、薬屋を訪ねて、それで──


(……おれの前で、あの人が)


 灰色人グレースケールになったのだ。

 化け物となった女性の姿を目にしたあの瞬間、心臓が激しく疼いた。そのまま視界が暗転し、気づいたときには自室のベッドに寝かされていた。

 

『──灰色人グレースケール、住宅街西区ニ発生! 住宅街西区ニ発生!』

 

 そのとき、脳をぐらりと揺さぶるような甲高い声がカルマの耳に突き刺さった。

 慌ててベッドから飛び降りる。声が聞こえた窓の方に駆け寄った。カルマの部屋があるのは三階。街を見渡すには十分な高さだった。

 

灰色人グレースケール、三体発生! 団員、港ニ向カウベシ!』

灰色人グレースケール、ネーブ通リ、住民三名、被害!』

『東広場ニ避難シテクダサイ! 東広場ニ避難シテクダサイ!』

 

 窓の向こうを覗いたカルマは、目に入った異様な光景に唖然とした。


「なにこれ……」


 大量のカラスが空を飛んでいた。街中のいたるところに黒い影を落としながら、けたたましい鳴き声を上げている。

 ただの鳴き声ではない。それは人間の言葉だった。


「ルルー団長の、使い魔?」


 ナナギが言っていた。ルルーが使役するカラスは、基本的に人語を話さない。言葉を発するとすれば、それは余程の事態が発生したときだと。


(……何かあったんだ)


 ドオンと。街のどこかから爆発音のようなものが聞こえた。

 その音を聞いた瞬間、カルマはぐっと息をのみ、弾かれるようにして窓から離れた。

 机の上に置かれていたジャケットを着る。短剣をベルトに差し、ブーツを履いた。

 最後に残された黒い外套マント

 カルマはそれをしばらく見つめたあと──手に取り、勢いよく羽織って部屋を出た。


 **


 屋敷の中には他にだれもいなかった。ナナギやエリー、団長であるルルーの姿もどこにもない。全団員が出動を迫られるほどの事態が起こっているということだ。

 息を切らしながら外に出ると、警鐘を発し続けるカラスたちの背景に、カルマの行動を否定するような鉛色の空が広がっていた。

 依然として街中から聞こえる爆発音。街の西側に見える巨大な光。


「カルマ!」


 呆然と立ち尽くすカルマの前に、すたんと降り立つ影があった。

 着地の衝撃でぶわりと舞った黒い外套マントと、さらりとなびくプラチナブロンド。どうやら上空から飛んできたらしい。


「エリー先輩!」

「よかった。目を覚ましたのね」


 ほっと胸を撫で下ろしたように自分を見る美しい少女に、おずおずとカルマは問う。


「何が起こってるんですか」

「街中に灰色人グレースケールが発生したの。あなたが倒れたのとちょうど同じくらいのタイミングで」

「!」


 自分の目の前で怪物へと成り果てた女性の姿が頭をよぎる。ずきりと疼く心臓のあたりを手で押さえた。彼女はいったいどうなったのだろう。


「あなたが気を失ってすぐ姿を消したらしいわ。そのあと街のいたるところに灰色人グレースケールが現れて人間を襲い始めた。そして──」


 す、と細めた青色の瞳に剣呑な光を携え、エリーはカルマに真実を告げた。


「この街にロニが来てる」


 呼吸がとまる。足が震えるほど全身から冷たくなった。氷の塊をまるごと飲み込んでしまったかのように。

 叔父が、すぐ近くにいるというのか。


「本気であなたを取り返すつもりなんでしょう。騎士団わたしたちもなめられたものだわ。こうやって街を混乱に陥れれば隙ができると思ったのね」

「……」

「カルマ、よく聞いて」


 うつむくカルマの肩に両手を置き、幼い子供に言い聞かせるような口調でエリーは言う。


「ロニの目撃情報があった西区の広場には、いまナナギが向かってる。私や他の団員たちは街中の灰色人グレースケールを片っ端から叩いてる最中。街の人たちには東広場に張ったリスティの障壁に避難してもらってて、怪我人はいるけどそれほど大きな被害は出てない」


 街自体はめちゃくちゃだけど、と真剣な表情で少女は続けた。


「レザールでの騒ぎのとき、ロニやあのグレートっていう人はリスティの障壁を突破して逃亡した。だから今回は念のため、私やナナギの魔力も注いでより強固な障壁術ハトラを展開したの。同じものをこの本拠地アジトの周りにも張っているわ」


 カルマははっとし、顔を上げてエリーの瞳を見つめ返した。彼女の言わんとすることを察したからだ。


「屋敷の中にいるかぎりは安全。ママももうすぐ戻ってくるはず。だからカルマ、あなたは──」

「先輩」


 エリーの言葉を遮るように口を開いた。不躾だとはわかっていたが、我慢することはできなかった。


「ナナギに酷いことを言ったんです」


 掴んでいた肩から手を離し、エリーは静かにカルマを見る。


「白でも、黒でも、赤でもない。〈灰色の子〉の心臓を持っていて、それなのに、自分の心臓はどこにもなくて」

「カルマ……」

「自分はいったい何者なんだろうって。生まれてこない方がよかったんじゃないかって、ひとりで悩んで……心配してくれたナナギに、おれがいなくなればいいのにって言いました」

「……そう」

「でも思い出したんです。ナナギがおれを友達だと思ってくれてること。先輩たちが、仲間だって言ってくれたこと」


 結局、塞ぎ込んでいたのはカルマだけなのだ。エリーたちは最初から優しかった。あなたに罪はない。自分たちは味方だと。ずっと伝えてくれていたのに。


「受け入れようとしなかったのはおれの方だった。強くなりたいって言いながら、みんなの優しさを無視して、勝手に悲観的になってました」


 けれど、そんなことはもう終わりにしたい。

 だってカルマは憶えている。熱を出して寝込んだとき、そばにいて苦しみをやわらげてくれた友達の手のぬくもりを。

 隣で本のページをめくる音。ふとした拍子に見せてくれる微かな笑み。語り合った本の内容。

 無意味なものはひとつもなかった。すべて大事だった。いなくなりたいなんて嘘だ。


「おれは、騎士団ここをおれの居場所にしたい」


 自分は彼らの仲間なのだと、胸を張って言えるようになりたい。カンパニュラになれなくても。生まれた意味がわからなくても。


「みんなといっしょに戦いたい。──だからお願いします。おれを、叔父さんのところに連れていってください」


 エリーがはっと目を見開く。無茶なことを言っている自覚はあった。正気を疑われてもしかたがなと。


「おれは、先輩たちみたいには戦えない。灰色人グレースケールを操る力だって、まだうまく使えない。けど……」


 もしもひとつだけ、できることがあるとしたら。


「叔父さんと、話したいです」


 外套マントの上から胸を押さえる手に力を入れ、カルマはエリーに訴える。


「ちゃんと話して、叔父さんの気持ちを聞きたい。あの人はおれのこと、ただの道具としか思ってないかもしれないけど。それでも」


 おれにとっては家族だから、と偽りのない本音を告げる。


「……そうね」


 エリーが視線を下に落とし、何かを考え込むような様子を見せた。

 カルマはぐっと唇を噛みしめた。許されないことは覚悟していた。

 だから、長い金髪をさらりと背中に流した彼女がにこりと笑みを浮かべたとき、思わず息をのんでしまった。


「もちろんよ。いっしょに行きましょ」


 少女はあっさりと頷いた。カルマが初めて本拠地アジトに来たとき、歓迎するわ、と事もなげに微笑んだ彼女の母親と同じだった。


「実を言うと最初からそのつもりだったの。あなたが望むならいっしょに戦おうと思ってた。まさかロニのところに行きたいなんて直球でくるとは思わなかったけど」

「エリー先輩……」

「ナナギには怒られるけどね。そこはまあ、先輩権限でなんとかするわ」


 ぱちりと片目を瞑ったエリーが、得意げな様子で右手の親指をぐっと立てる。


「ねえカルマ。あなたは自分が何者かわからないって言うけど、そんなことをわかっている人の方が少ないと私は思うの」

「え……?」


 呆気に取られるカルマを見つめ、エリーはふっと微笑んだ。


「人はいつだってだれかの何かで、それをきめるのは自分じゃないわ。だからいいの。はっきりと答えられなくても。本当に大事なのは、教えてくれる人が近くにいることよ」


 曇天の下でも損なわれない、晴れた空のような青色の瞳が、きらりと瞬きカルマをとらえる。


「私のとってのあなたは、家族。大切な家族よ。だから約束して。必ずロニをとめて、みんなでここに帰ってきましょう」


 まだ歓迎会もできてないもの、と太陽のような明るさでエリーが笑う。

 くしゃりと自分の顔が歪むのがカルマにはわかった。いつも感じている痛みとはちがう、熱い何かが胸の奥をじわりと焦がす。

 ぐすりと鼻を啜り、涙目になった自分を誤魔化すようにカルマは尋ねた。


「叔父さんは、西の広場にいるんですよね」

「情報がたしかならね。ナナギが先に向かってるから──」


 エリーの答えに被せるように、ドガン、と壁を殴るような音が響いた。

 音の発生地は正門の前だった。猪のような姿をした巨大な灰色人グレースケールが、屋敷の周りを取り囲む透明な壁に体当たりをしていたのだ。


「周辺のやつは大体倒したつもりだったんだけど。次から次へと増えてるみたい」

「そんな……」

「大丈夫。何体いようがここには入ってこれないし、元凶のロニをとっちめればぜんぶ解決する話」


 カルマを自分の背中に隠し、戦闘態勢に入ろうとしたエリーの動きがぴたりととまる。

 次の瞬間、障壁の向こうの化け物が派手な音を立てて爆発した。

 一瞬のうちに灰塵と化す巨体。その命を構成していた灰が、霧のように辺りを舞った。


「──だめだよ。エリーさんは強いんだから、まだたくさんいるこいつらの相手をしないと」


 次第に晴れていく霧の中から、ひとつの小さな影が浮かび上がる。


「お兄ちゃんのところに行くんでしょう。なら私が連れていく」


 その声を聞いたカルマははっとした。突如として現れ、灰色人グレースケールを倒したらしい人物の正体に気づいたからだ。


「エリーさんは東側の増援に向かった方がいい。こいつら、人を狙って避難場所の周りにいっぱい集まってきてるから」


 黒いワンピースを身に纏った小柄な少女だった。闇の色を内包した肩より短い黒髪。人形のように整った顔立ちをしている。

 離れた位置から見てもわかる無表情。淡々と発する声の調子は平坦だった。


「安心して。私は、お兄ちゃんよりちゃんと守れる」


 夜空のような紺色の瞳が、真っ直ぐにカルマをとらえた。

 カルマはその色を知っていた。彼女の家族で、自分がいまだれよりも会いたい友人の瞳と、同じ色だった。

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