第4章 友達
4-1 鳥籠
お兄ちゃんのことがわからない、と妹は言う。
ナナギが自分のことを話さない人間だからではない。その逆で、すべてを言葉にしようとする人間だからだ。
思ったことを何でも口にする必要はないだろう、というのが彼女の言い分だった。
淡々と、表情ひとつ変えることのないところがなおさら怖いと。難解な文字ばかりを敷き詰めた本を読んでいるみたい、というのは母親の評だったか。
無表情なのは妹の方も同じだと思うが、彼女の場合は顔に出ない代わりに手や足が出る。
だからナナギは、彼を妹に会わせたくなかったのだ。性格は合わなくても好みは合う妹に、ただひとりの友人をとられてしまうかもしれないと思うとたまらなく嫌だった。子供じみたわがままであることは自覚していた。
アメジスト家の人間には、どこか言葉というものを軽んじる性質がある。
血統こそがすべてだと主張する父は言わずもがな、大切なことは口にしなくても伝わるのだと信じる母や、その母の考えを受け継いだ妹も。言葉よりも行動に価値を見出し、言外にあるものばかりを過信する。
──なぜわからない。お前には、私と同じ血が流れているのに
──ルダはまだ幼いでしょう。ただ抱きしめてあげるだけでいいの。それでぜんぶ伝わるわ。あなたの優しさも、愛情も
本当だろうか。血がつながっているだけで、抱きしめるだけですべてが伝わるというなら、自分たち家族がばらばらになることはなかったのではないか。
黒血至上主義の父。そんな夫に半ば無理やり嫁がされることになった母。
同じ五大名家であるオペラ家の人々は積極的に交流を図ろうとしてきたが、父は彼らを毛嫌いしていた。赤血に媚を売る黒血の恥さらし集団と話すことは何もない。それが彼の口癖だった。
保守的で、排他的。アメジスト家を表すのにこれ以上ふさわしい言葉はないだろう。
ナナギの世界は生まれたときから閉ざされていた。
そんなナナギにとって、読書は外の世界を知る唯一の手段だった。
実際には体験することができなくても、文字を通してその概念に触れることはできる。時空を超えて、ときには世界すらも超えて。黒に囲まれて生きるナナギに、さまざまな価値観を与えてくれる。それが本だった。
多くの本は言葉でできている。そして、言葉は万能だ。現象も、感情も。言語化できないものは存在しないとナナギは思う。
そうだろう。人と人とが互いを思い、相手の世界と自分の世界をつなげるために、言葉は生まれたのだから。
──読書が好きなんだ。本は、おれにいつだって知らない世界を教えてくれるから
初めてだった。自分と同じ考え方をする人間と出会ったことが。
──ぜんぶ言葉にしてくれるんだね
──ナナギのそういうところ、おれは好きだよ
言葉にすることでしか自身の感情を伝えられない。理屈ばかりを捏ね回して、家族との間にある溝を諦観しているだけの自分を、好きだと言ってくれる人ができたことが。
彼はナナギと同じだった。閉ざされた世界に生きていた。得体の知れない人間が組み立てた鳥籠の中で、いつか空へと飛び立つことを、ただ純粋に夢にみながら。
──いつか二人で世界中を見て回ろう
いつも笑っていた。やわらかな灰茶色の髪の毛をふわりと揺らして、銀色の瞳をきらきらと瞬かせて。言葉だけでなく、表情でも彼は感情豊かだった。
自分にはない彼の特性。けれど、そのちがいすらもナナギにとっては大切なもので。
過程は嘘じゃないだろうと彼は言った。そのとおりだ。あの出会いは父に、もっと言えば母と、彼の叔父に仕組まれたものだったが、彼を知ってからの自分の心は、いつだって真実のかたちをしていたはずだ。
お前は誑かされたのだ、と父は言う。
叔父の方に誑かされたあの女と同じだと、自分を裏切った妻をなじる言葉を口にしながら。
それでもいい。本望だ。そうでなければならないとナナギは思う。
彼と出会って、言葉にできない感情ができた。その感情を言葉にしようと、いまでもあがき続けている。
再会できてよかった。彼が生きていてくれるだけで、あの笑顔を見せてくれるだけで。ナナギのこの三年間は、十分過ぎるほどに報われるのだ。
──後悔が、あるとすれば。
あの日、彼を守れなかったこと。その身を自由にしてやるつもりで自分が壊した鳥籠の外が、彼の羽根を傷つけるものばかりであふれていたこと。
まっさらな心を持つ彼のからだを、この手で穢してしまったことだ。
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