3-5 同じ

 化け物だと思ったわけではない。

 逆だ。初めて見たときから他人のような気がしなかった。

 白十字騎士団に属する白血の青年。彼は二度カルマのことを助けてくれた。

 いい人だと思った。

 自らの血で人を救う。剣を振るって敵と戦うカンパニュラとは少しちがうが、他者のために血を流すという点は同じだ。


「──あの!」


 ひとけのない場所を歩いていく白い背中を追いかけて、後ろから呼びとめた。

 藍色の髪をふわりと揺らし、目的の人物が振り返る。

 彼はカルマを見るとにこりと笑った。最初に出会ったときと同じ、人当たりのいいさわやかな笑顔だった。


「その、ザリさん、でしたよね」

「ザリでいいよ。というか、もっと気楽な感じで話してほしいな。君と僕の仲だろ?」


 どの仲だろう、と思ったが口にはしなかった。それ以上に言うべきことがあったからだ。


「ありがとうございました」


 窮地を救ってもらったこと。自分にはできない方法で、男性の怪我を治してくれたこと。外套マントの上から胸を押さえ、青年の目を見て礼を伝える。


 およそ一時間前。グレートが姿を消したあと、カルマたちは灰色人グレースケールの出現によって荒らされた港の復旧作業に取りかかった。

 化け物が暴れたいくつかの船は大破したが、エリーの迅速な対応により怪我人の数は最小限に抑えられ、人命にかかわる被害はほとんど出なかったのだが。──グレートに直接手をかけられた男を除けば。

 船以外に破壊されたのはカルマが逃げ込んだ倉庫くらいで、一番の重傷者であった漁師の男も、ザリの恩恵ちりょうによって襲われる前より身体の調子がよくなったようだ。


 白十字教団の二人は、シグナスから出る船に乗って巡行先の土地に赴く予定だったらしい。

 だが、その船は今回の騒ぎで出航延期となってしまった。

 現在は街の役人と船乗りたちが出航再開の目途を立て、破損した船の片付けを、力仕事が得意なエリーが手伝っているところだった。

 カルマは先に本拠地アジトに戻るよう言われていたが、倉庫区画に一人で向かう青年の姿を目撃し、そのあとを追いかけることにしたのだ。


「本当に助かりました。灰色人グレースケールを倒してくれたこともそうだけど、あの男の人が死んじゃうんじゃないかって、すごく怖かったから……」

「あーいいよそういうの。僕、礼を言われるの好きじゃないんだ」


 ふっと乾いた笑みをこぼし、青年は肩をすくめた。


「ありがとうって言葉が嫌いなんだよね」


 遠くまで広がる海の方に視線を移し、おどけた口調で彼は言う。


「与えたいだけなんだ。恵んで、施して、こいつらは僕のおかげで助かったんだって悦に入るのが趣味なわけ」

「え……」

「だから礼をされると困る。見返りをもらうこと自体が屈辱でさ。……ありがとうなんて言葉ひとつで対等な関係になるなんてむかつくだろ? 僕の恩恵は、いつだって一方的なものでなくちゃならない」


 琥珀色の瞳を猫のように細めて笑う青年に、カルマはぱちりと瞬きをした。

 感想はひとつだった。


「すごく……いい人なんだね」


 直接本人に伝えていた。思わずくだけた口調になってしまったが、彼自身に許可されたので不問ということにする。


「……話聞いてた?」


 笑みを浮かべたまま、どこか相手を馬鹿にするような色を目に携えて、ザリはカルマに向き直った。


「要するに人を見下したいって言ってるんだけど。善意じゃない。むしろ悪意だ。いい人とは正反対だろ」

「えっと……」


 一方的に与えたいと彼は言う。他者のために血を差し出し、見返りは拒絶する。言葉さえも屈辱に値するのだと。


「それって、ただ優しいだけなんじゃないかな」

「は?」

「言い方の問題というか……結局は無償の愛を与えたいってことだし」

「……」

「お礼を言われるのもいやってことは、ありがとうって言葉ひとつがちゃんとした見返りになるって思ってるってことだよね」


 言葉には価値があるとカルマは思うが、現実的に人が何かを得る際には、かたちのある代償が必要となる場合がほとんどだ。

 奇跡の血であれば尚更。それを無償で与えたいというのなら、彼はまちがいなく善人だろう。


「いい人だよ。どんな理由があったとしても、少なくともおれにとっては」


 果てのない絶望と無力感に襲われた自分を、この青年は救ってくれた。彼が落とした一滴の白い血が、こぼれかけた男の命と、崩れそうだったカルマの心を一度に掬い上げたのだ。

 だから思う。ザリはいい人だと。

 見た目の印象より軽薄なきらいはあるが、助けられてよかったと笑顔を見せた彼の言葉に、嘘はひとつもなかったはずだ。


「おれにとっては、ね。そりゃそうだ。英雄しゅやくか悪役かなんて、視点次第でどうとでも変わる」


 微笑を浮かべてザリが言う。

 潮の匂いのする風が吹いて、カルマの外套マントと、青年の白い神官服の裾がはらりと揺れた。


「たとえばゴリオ大司教……あのおっかない爺さんね。あの人にとっての僕は悪役だ。教団の存在意義。規律。秩序。彼が大事にしているものを、僕はぜんぶ台無しにしてるんだから」

「でも、傷ついた人を助けたいって思うのはふつうのことなんじゃ」


 献金の記録がないから見殺しにする、という方が間違っている気がするが。


「だからそれが個人の視点だって言ってるんだよ。君は知ってる? 白十字教団がどうして生まれたか」


 わずかに声を低くして、青年がカルマに問うた。


「えっと……〈灰色の子〉の母親であるブラン・ホメロスが、娘の頭の封印を守護するためと、白血の存在を神として崇めるために創立したって」

「そう。でもそれは体外的な理由。宗教ってのは案外合理的なものでね。ブランはなにも自分たちが神になりたくてこんな組織を生み出したわけじゃない」


 カルマを映す琥珀色の虹彩。その中心にある濃い茶色の瞳孔が、妖しく揺らめき波を描いた。


「考えてもみなよ。どんな怪我でも病気でも治す癒しの血。そんな便利なものを持つ存在が近くいたら、ふつうの人間はどうすると思う?」

「……あ」

「頼るだろ。だれだって病気や怪我をするのは嫌だし。丁重に扱われるならまだいいけど、その力を悪用するヤツが出てくるかもしれない。万能薬を無限に生み出す都合のいい道具として、一生飼い殺しにされる可能性もある」


 青年が言わんとすることを察し、カルマははっとした。

 白血の力は絶対だ。あらゆる傷病を完治させる奇跡の血。欲する者は大勢いるだろう。

 だが、黒血と同様、白血はその数が圧倒的に少ない。

 希少な血をその身に宿す人間を、自分たちにとって都合のいい存在として利用する者がいないとは言い切れないのだ。


「……白血は尊き神の使い。そうやって神格化することで、白血の人たちを守ってるのか」


 そう結論付けたカルマに、ザリがふっと目を細めて頷いた。


「そういうこと。ま、白血ぼくら黒血きみらは同じってわけだ」

「え?」

「組織そのものを盾にして生きてる。そうじゃなければ搾取されるか迫害されるかだからね」


 ほんといやになるよね、とため息を吐くザリ。

 そんな彼を見てカルマが思い出したのは、グレートに殺された男の言葉だった。


 ──黒騎士さまは正義の味方だろ? 俺らのために働くことで生きるのを許されてるような化け物どもだ!


 呪われた血の持ち主がこの世界で生きていくためには、人々の役に立つことで己の存在意義を示すしかない。

 エリーの言ったとおりだった。黒十字騎士団は、他の場所で生きる術をなくした黒血たちの最後の居場所。カルマが好きな物語の中では輝くような存在だった彼らも、現実では自分たちを取り巻く厳しい世界との戦いを余儀なくされている。


「黒血と白血は、同じ……」


 対極の存在だと思っていた。黒と白。呪いの血と奇跡の血。嫌われる者と愛される者。

 だがそうではなかったのだ。赤でなければ異端となるのは白血も同じ。

 なら、自分はいったい何者なのだろう。

 赤でも、白でも、黒でもない。中途半端な黒血の自分が存在意義を証明するには、いったい何を為せばいいのか。


「つまり僕は教団にとっては扱いづらい厄介者ってわけ。あの女の子の怪我を治したあとも怒られたし。覚えてる? 街で初めて会ったときのこと」

「うん。あのときのことも、ありがとう」

「だから礼はいらないって。僕は僕のやりたいようにやっただけだし」

「……あ!」

「ん?」


 あのとき街でナナギから言われたことが頭をよぎり、ざっと青年の前から後ずさる。

 慌てて距離を取ったカルマに、彼ははてと首をかしげた。


「白血と黒血は不干渉、不接触だって……」

「ああ、なるほど」


 合点がいったように瞬きをし、ザリは笑った。


「それは白血と黒血がつがいになって子供ができたらまずいからって話だろ? 不吉ってのはあくまで建前。〈灰色の子〉のような怪物が二度と生まれないようにするための対策だ」

「つがいって」

「つまり僕らは平気だよ。男同士だからね。仮にそういう関係になったとしても子供はできない」


 ひらりと手を振りながら答える青年に、カルマはきょとんと目をみはった。

 軽い。よく言えば飾らない。

 ゴリオという老人の神官への対応でもそうだったが、基本的には飄々とした性格なのだろう。


「それとも君、実は女の子だった? まあたしかに十五にしては童が……あどけない顔つきだとは思うけど」

「いま童顔って言おうとした?」


 あどけないも同義のような気はするが。

 そう指摘しようとしたところで、カルマはふと違和感を覚えた。


「おれ……十五歳だって、ザリに言ったっけ」


 正直な疑問を口にして、相手の顔をじっと見つめる。

 彼は依然として微笑んでいた。やわらかな藍色の髪の毛を風に揺らし、透明な琥珀色の瞳を静かに細めて。


「……いい人なんだっけ? 君にとっての僕は」


 ざあ、と冷たい風が吹く。ぱちりと目を瞬かせたカルマの前で、ザリはにやりと口角を上げた。


「じゃあさ」


 穏やかな微笑みではない。ぞっとするような冷笑だった。


「こうしたら、今度は悪い人になるのかな」


 え、と掠れた声が口からこぼれる。氷の入った水を背中から流し込まれたように身体が冷たい。風のせいではないと思った。

 この足の震えは。両手で首をしめられるような息苦しさは。


水球アルノ


 ザリが言葉を発すると同時に、カルマの耳横を何かが途轍もない速さで通り過ぎた。

 ぐしゃりと金属の板がひしゃげるような音がして、カルマはびくりと肩を震わせる。振り返ると、後方にある倉庫の壁に丸い窪みができていた。ちょうど人間の拳で殴ったような大きさの窪みだった。


「……ザリ?」


 カルマは呆然と目を見開いた。呼吸がとまり、遅れてどっと心臓がとび跳ねる。


「──君が死ぬと困るやつがいてさ」


 静かに微笑むザリの掌上に、透明な球体が浮かんでいた。陽光を反射しながら緩やかに波を打つ、人間の拳程の大きさをした水の塊だった。

 倉庫に現れた灰色人グレースケールの肩に穴を開けたのも、たったいまカルマの横をすり抜けたのも。


「僕そいつのこと大嫌いなんだ。だから困らせてやろうと思って」


 助けられてよかった、と言ったときと同じ表情を浮かべるザリの手の上で、静かに波打つ水球が、澄んだ輝きを放っていた。

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