2-7 初任務

 灰色人グレースケールが出現したと報告が為されたのは、首都プリオシンの北区にあるガラシア最古の国立博物館だった。

 レオーノ博物館。二百年以上の歴史を持つこの国の重要文化施設だ。百万を超える所蔵品と、広大な敷地内に建てられた四つの号館。それらに囲まれるようなかたちで設置された噴水庭園は、美の名匠レオナルドによって百年前に造られた、博物館の中でも特に有名な展示物の一つである。


 カルマの好きな本、『怪盗アールの事件簿』にも同じ名の博物館が登場する。

 母親の形見である「緋の宝石」を捜すため怪盗となった青年アールが、盗みに入った先で起こる数々の難事件を解決に導いていく児童文学だ。

 その第四巻で、アールは宝石が埋め込まれていると噂の「黄金の女神像」を盗み出すためレオーノ博物館に侵入した。

 すると館内に大きな樹が生えていた。前日まではなかったはずの、天井を突き破るほどの高さを持つ一本の巨木が。

 盗みどころではなくなったアールは、館長の娘と協力して室内に樹が生えた原因を調べ始める。そのうちに明らかになる、博物館の真実や女神像に隠された秘密。館長の正体。娘の思惑。


「ここが……」


 現在は敷地ごと封鎖され、黒騎士を除くすべての人間が立ち入りを禁じられた博物館の扉の前で、カルマはそんな物語の内容を思い出していた。

 文字でしか見たことのなかった場所に自分がいる。感慨深いというより、不思議な気分だ。


「緊張してる?」


 隣に立つ栗色の髪の少女が、穏やかな口調でカルマに尋ねた。

 カルマがこくりと頷くと、髪と同じ栗色の目を細めて彼女は言った。大丈夫だよ、と。

 その視線の先では、金髪の少年と金髪の少女が向かい合い、真剣な様子で今後の動きの段取りを確認していた。エリーとナナギだ。


「頼もしい人たちだから。特にエリーちゃんは、騎士団うちで一番強い団員なんだよ」


 まるで自分のことのように得意げな調子で、リスティが微笑む。

 なるほど、とカルマは思った。瞬きをする間に部屋をまるごと爆破するような人だ。相当な実力があるのはまちがいない。


「……けど、本当によかったんでしょうか」


 おれなんかがここにきて、とカルマは目を伏せた。自身を包む黒い外套マントの裾が、視界の先ではらりと揺れる。

 今回の任務にカルマが同行することになったのは、騎士団の一員になるなら自分たちの討伐対象である灰色人グレースケールについて詳しく知っておいた方がいい、というエリーの提案があったからだ。

 ナナギは一度反対したが、「だからあなたもいっしょにくるんでしょ」と至極当然のように宣うエリーの態度に口を閉ざし、最終的には彼女の意見を受け入れていた。


「気配があるのはこの本館だけね。魔力の感じからすると原種。亜種でも、原種もどきでもない。ロニは関係してなさそうよ」


 原種。〈灰色の子〉が残した魔力によって生まれる元来の灰色人グレースケールだ。そこからロニが生み出した偽物を亜種、亜種が強化された個体を原種もどきと呼んで彼女たちは敵を区別しているらしい。

 原種もどきを生んでいるのは、カルマの血だ。カルマの黒血と妻エルサの白血を混ぜた液体によって亜種を原種に変えている、とロニは言っていた。

 灰色の血を片手に微笑む叔父。その足元で蠢く醜い化け物。あの光景を思い出すだけで、カルマの胸は重い鉛を沈められた沼のようにどろりと淀む。


「さ! 中に入るわよ。さっさと片付けて帰りましょう。本拠地アジトの案内もまだちゃんとできてないしね」


 曇り空を吹き飛ばすような声でエリーが言い、リスティが頷く。ナナギはいつもの無表情のまま、不安な気持ちで佇むカルマを扉の前から見つめていた。


 固く閉じられた本館の扉の取っ手に、エリーが手をかける。ギイ、と鈍い音を立てて開いた扉の先は、電灯が消えているのか全体的に薄暗かった。


「え……!?」


 エントランスに足を踏み入れた瞬間、カルマは大きく目を見開いた。

 一瞬、別の世界に迷い込んだのかと思った。信じられない。自分たちが入ってきたのは、本当にあの博物館の中なのだろうか。


「ありゃ。すっかり侵食されちゃってるじゃない」


 室内全体が、大きな灰色の物体に覆われていた。

 壁も、床も、天井も。生物のようにカサカサと蠢く気味の悪い何かによって、ほとんど余すところなく埋め尽くされているのである。


「灰色の、樹……」


 カルマは思わず呟いた。隣に立つナナギが自分を見る気配を感じる。彼も同じことを考えたのかもしれない。

 その物体の表面は、乾いた樹皮のように硬く筋張っていた。細長いものから、太く短いものまで形状はさまざまだが、それらすべてがであることは理解できた。

 そう。まさしく樹だったのだ。室内に生えた灰色の大樹。その張り巡らされた根がフロア中の床を支配し、無造作に伸びた枝の先が壁や天井を貫いている。

 博物館に出現した巨大な樹。聞いたことのある話だ。


「これが、灰色人グレースケールなの?」

「人間以外の形をとることもある。植物というのは珍しいけど」

「そういえば……」


 ナナギの返答にカルマは納得した。『黒騎士物語』を始めとした灰色人グレースケール関連の本にも書かれていたことだ。実際、レザールの屋敷でロニが放った化け物たちの中には、人間ではない形をしたものも存在していた。


「二階の奥に大きな魔力を感じるわ。こいつのエネルギー源でしょうね。そこを叩けば一度に終わらせられるはずよ」


 ホールの中央に設置された女神の石膏像が倒れ、取れた頭が粉々になって赤い絨毯に散乱していた。細い蔦が絡みついたシャンデリアは無残に砕け、二階へと続く左右の階段はどちらも途中で折れている。

 二階の奥とエリーは言うが、これでは先に進めそうにない。


「よっと」


 と、心配する必要はなかった。たんと軽やかに床を蹴ったエリーが、壊れた階段の上側にまで瞬時に移動したからだ。


「ちょっと様子を見てくるわ。みんなはここか外で待ってて」

「ええ!?」

「結局一人で行くの!?」

「外には出られないようですが」


 驚くカルマとリスティをよそに、ナナギが平坦な声を落とす。その視線の先を追ったカルマは息をのんだ。

 たったいま通過したばかりの正面の入り口が、両側から伸びてきた幾本もの枝によって塞がれていた。重なる枝と枝の間からは外の光がわずかに漏れ込んできているが、人が通れるほどの隙間はどこにもない。

 ナナギが無言で剣を抜き、灰色の壁を横に斬り裂く。

 すると、斬られた枝の先が目を疑うほどの速度で伸長した。再び封鎖される出口。通り抜ける暇はなかった。


「閉じ込められたわね。なら──」


 階段上から様子を見ていたエリーが、何かを提案しかけたところで言葉を切った。彼女の足元がぼこりと盛り上がり、下から巨大な根が出現したからだ。

 ぐにゃりと伸びた根の先は、鋭く研がれた刃のような尖った形状をしていた。

 その鋭利な先端が、真上から獲物を貫く槍のようにエリーを狙う。


「逃す気も進ませる気もないってわけね!」


 根の攻撃を軽やかに避け、エリーは跳んだ。階段を激しく抉る灰色の巨根。折れた手摺りが落下する。

 続けて別方向から現れた枝を回し蹴りで粉砕すると、輝くブロンドを背中に流し、少女は高く宙を舞った。


「片っ端から攻撃して弱らせるわよ! 隙ができたら二階に突入!」


 四方の壁を突き破って生えてきた無数の枝が、振り下ろされた鞭のような勢いでエリーを襲う。彼女はそのすべてを器用にかわし、蹴り、掴み、引きちぎった。

 もはやどちらが襲う側なのか。容赦のない反撃。空中で踊る黒外套マント。少女は息ひとつ乱さない。

 その絶対的な強さは、『ファントム・ソード』の主人公である麗しき女騎士、マチルダを彷彿とさせた。


(これが……)


 カルマは思った。これが、オペラ家の血を引く純血の少女。黒十字騎士団最強の戦士、エリー・オペラなのだ。

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