2-2 本拠地

 黒十字騎士団は、灰色人グレースケールの退治を主な生業とする、黒血の人間のみで構成された組織である。


 団長の名はルルー・オペラ。五大名家の一つ、オペラ家の現当主を務める女性であり、エリーの実の母親だ。

 五大名家とは、かつて〈灰色の子〉の封印に協力した者の子孫からなる五つの家系の総称である。切り分けられた六つのからだの内の一つ、頭と並んで核となる心臓の守護を任されるオペラ家は、中でも特別な立ち位置にあるというが。


騎士団うちに入りたい、ね」


 カルマが連れてこられた騎士団の本拠地アジトは、ガラシアの第二の首都と呼ばれる大都市、シグナスの街外れに位置する広い敷地の中にあった。歴史を感じさせる古びた外観の、三階建ての大きな屋敷だ。

 その執務室で、カルマは団長のルルーと初対面を果たした。

 騎士団に入れてほしい。叔父をとめたいという一心からこぼした願いだったが、冷静に考えるとおかしな話だ。

 カルマの中には〈灰色の子〉の心臓がある。彼らが守護、監督を行う対象そのもの。他の黒血と同様に扱われるはずがない。


「もちろんよ。歓迎するわ」


 だから拍子抜けしてしまった。まさかあっさり頷かれるとは。

 同時に、レザールの地下室で聞いたエリーの言葉を思い出す。私たちはあなたの味方よ、と彼女は言っていた。あれは真実だったのだ。


「信じられないって顔ね」

「その……剣で心臓を貫かれたり、縄や鎖で縛られて牢屋に入れられたりするのかなって、思ってたので……」

「私たちをなんだと思ってるの。しないわよそんなこと」


 長い睫毛をはたりと伏せ、ルルーが椅子から立ち上がる。

 エリーと同じ腰まで伸びたプラチナブロンドをさらりと揺らし、彼女はカルマの前に立った。


「カルマ。あなたは被害者なの。騎士団が……私がロニに心臓を渡さなければ、あなたがこんな目に遭うことはなかったのだから」


 本当にごめんなさい、と苦しげに顔を歪めてルルーが言う。

 カルマは慌てて首を振った。悪いのはロニと、彼の口車に乗せられていた無知な自分だ。


「ロニに心臓を奪われたのは十六年前。私がエリーを身籠っているときだった。私たち黒血や白血は、ふつうの人間より出産時にかかる負担が大きい。その隙を突かれたのよ。……本当に情けない話だけど」


 背後の机に片手を置いたルルーがうつむく。憂いを帯びた横顔を、はらりと垂れた美しい金髪が覆い隠した。


「私たちは必死にロニを捜したわ。でも、やつはなかなか尻尾を出そうとしなかった。ようやく見つけたのが三年前。リザーという北西の町にロニの研究所となっている屋敷があることが発覚したの」


 リザー。馴染みのある響きにカルマは驚愕する。

 かつて住んでいた町の名だ。レザールに移動する前、その町にあるロニの屋敷でナナギと出会った。両親を亡くし叔父に引き取られたカルマが、物心つく前から療養生活を送っていた場所である。


「ロニの甥であるあなたの中に心臓があると知って、私たちはすぐあの屋敷に乗り込んだわ。でも、失敗した。町中に大量の灰色人グレースケールの亜種を放って、やつは逃亡したの。今回みたいにね。あなたもいっしょに連れていかれた。──その様子だと、覚えていないみたいだけど」

「……はい」


 彼女の言うとおりだった。カルマには三年前の記憶がない。

 町を移動したこと。黒血になったこと。叔父との関係が変わったこと。そのすべてを事実として認識はしているが、詳細に何があったかの説明はできないのだ。

 まるで肝心な部分だけが、頭からきれいに抜き取られてしまったかのように。


「ショックで記憶が飛んだのかもしれないわね。……酷い有様だったもの。やつに使い捨てられたあの町は」


 ぐ、とルルーが拳を握る。騎士団の黒い外套マントをかけた彼女の肩が、微かに震えた。


「けど、もうロニの好きにはさせない」


 強い光を宿したルルーの瞳が、真っ直ぐにカルマをとらえる。晴れた空を思わせる鮮やかな青。エリーの目と同じ色だった。


「〈灰色の子〉の心臓の守護。四百年に渡り人々を苦しめ続ける灰色人グレースケールの討伐。その灰色人グレースケールを量産するロニの捕縛。それが私たち黒十字騎士団の使命よ」


 つまりね、と。ルルーが表情をやわらげる。


「私たちの目的と、あなたが騎士団うちに入ることは矛盾しない。あなたは黒血で、私たちが守るべき心臓を持ってる。ロニをとめたいという意志がある。仲間になる理由としては十分でしょう」

「仲間……」


 実感の伴わない言葉だった。カルマの知る仲間といえば、『黒騎士物語』に登場するカンパニュラの同志たちだ。

 憧れていた。他者のために命を懸けて戦う彼らのような、心優しい英雄になりたいと思った。


(おれが……黒騎士に……)


 烏滸がましいことはわかっている。都合のいい話だとも。

 それでも、なれるのだろうか。彼らの仲間に。カンパニュラのような心優しく強い騎士に。

 あの地下室で救いの手を差し伸べてくれた、エリーたちのような存在に。


「僕は反対です」


 背後から耳を刺した冷たい声。高鳴り始めたカルマの胸が、急速にその温度を失った。


「ナナギ」


 カルマの後方にある扉の前に視線を向け、ルルーが言う。眼鏡をかけた金髪の少年がそこにいた。


「ようやく保護した心臓の持ち主を団員にするなんて正気とは思えません。彼には本拠地ここでおとなしく生活してもらうべきです」


 紙に書いた文字を何の感慨もなく読み上げるように、淡々とした口調で彼は主張した。わずかに表情を曇らせたルルーとは対照的に、少年は眉ひとつ動かさなかった。


「ロニの計画には彼が必要です。やつは必死に僕たちから彼を取り返そうとしてくるでしょう。団員になって任務のために外に出れば、その分狙われる可能性は高くなる。あえて餌をぶら下げるような真似はするべきじゃない」

「ナナギ……叔父さんは」

「なぜロニが君を自分の手元に置いていたと思う。やつの本当の目的は何なのか、考えたことはあるのか」

「ナナギ」


 待ちなさい、と窘めるような声をルルーが発する。


「いつ知ろうと同じことです。むしろ早めに危機感を抱いてもらった方がいい。いいかいカルマくん。君は──」

「〈?」


 ナナギが静かに口を閉ざす。ルルーがはっと息をのんだ。そんな二人の顔を見て、カルマは薄い笑みを浮かべた。


「わかってます。叔父さんが必要としているのは、黒くなったおれの血だけじゃない。心臓を宿したおれの体そのものですよね。たぶんだけど、叔父さんは……」


 ドクリと鳴る心臓を手で押さえ、カルマは結論を口にした。


「おれを、〈灰色の子〉にしようとしてるんだ」


 〈灰色の子〉の器。それはただ彼女の心臓を宿す者という意味だけではない。

 ロニの目的。それは、カルマの体を封印された灰色の少女に明け渡すことなのだ。


 ──わたしはあなた。あなたはわたし

 ──そして、いつかわたしになるもの


 夢の中の少女の声が脳裏をよぎる。

 ばらばらにされた肉体。奪われた意思。彼女はいまも眠り続けている。深く、遠い、真っ暗な闇の底で。


「……気づいていたのか」

「叔父さんに言われたんだ。彼女の器として育てたって」


 方法はわからない。本当にそんなことが可能なのかも。

 けれど、カルマはこの晩に嫌というほど思い知ったのだ。

 あり得ないことが起こる世界だ。信じていた叔父に裏切られることも、憧れた騎士たちに救われることもある。


「……ナナギ。おれはもういやなんだよ。自分だけ何も知らないのも、気づかないうちにだれかを傷つけるのも」

「……」

「戦いたいんだ、自分の運命と。……叔父さんを放っておけない。おれの存在があの人を暴走させる要因になってるなら、なおさら」

「ちがう」


 カルマの真剣な訴えを、少年がばっさりと切り捨てた。


「君の意志の問題じゃない。ロニの思惑どおりになれば、君は〈灰色の子〉として世界に災厄をもたらす存在になるんだよ」

「それは……」

「よく考えてくれ。ロニに捕まる危険を冒してまで外に出るか、この屋敷で安全に過ごすか。どちらがより賢明な選択か、君なら判断できるだろう」

「それこそちがう話でしょ」


 扉の方から聞こえた声が、ナナギの意見に異を唱えた。

 エリーだった。母親と同じブロンドをさらりとなびかせながら部屋に入ってきた彼女は、唖然とするカルマににこりと笑いかけたあと、真面目な顔でナナギを見る。


「ナナギ。たしかに本拠地ここから出なければカルマは安全かもしれない。でもわかってる? それはカルマをひとりの人間としてじゃなく、として扱うってことなのよ」


 ナナギの眉が微かに動いた。

 注視していなければ気づかないほど小さな反応だったが、エリーは何かを察したようだ。ふっと両目を細め、諭すような口調で続ける。


「リスクがあるのは承知の上。それでも私たちはこの子の自由を奪うべきじゃない。今度こそ守ればいいのよ。そのためにあなたは──」

「僕は」


 声をわずかに大きくし、ナナギは少女の言葉を遮った。

 一度何かを言いかけた彼が、自分の顔を見て口を噤んだことに気がつき、カルマは戸惑う。

 程なくして、ナナギは無言で執務室を出て行った。


「……怒らせちゃったわね」


 苦笑いを浮かべたエリーが、ふうと息を吐いて腰を下ろした母親と目を合わせる。

 そんな母娘の顔を見つめ、カルマは切り出した。


「おれ、ナナギを追いかけます」


 部屋を出る前の彼の様子が、頭から離れなかった。


「友達なんです」


 カルマにとっては何よりも重要なことだった。

 また君に会えて嬉しいと。

 そんな大事な一言すら、まだ彼に伝えられていないのだから。

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