第2章 黒十字騎士団

2-1 善悪

 ロニの姉は底なしの善人だった。その夫である義兄も。


 彼らのことが嫌いだったわけではない。身内ゆえの愛情はたしかにあった。ただ、ついていけないと感じる瞬間が多かったことは事実だった。気味が悪いとさえ思うことも。嫌いというよりは、苦手。そう表現するのが相応しいかもしれない。


 幼い頃に両親を亡くし、姉弟そろって貧しい孤児院に預けられた。健やかな成長ができる環境にいたとは言いがたかった。

 にもかかわらず、姉は善を絵で描いたような生き方を好んで選んだ。

 だれかを救える人になりたい、と言って医師という職業を選び、世界各地を回って多くの人々を治療していた。その過程で同じ医師である夫と出会い、カルマを産んだ。

 ロニはそんな姉を尊敬し、軽蔑もした。過ぎた利他は利己にもなる。理不尽な世界だ。あなたに救われる人間がいる一方で、救われない人間が毒牙を剥く可能性は考えないのか。

 ひねくれ者の弟にそう訴えられるたび、姉は肩を揺らして笑った。やっぱりロニはやさしいね、と。


「──やさしいわけがない。私はあなたの息子の人生をめちゃくちゃにした」


 電灯の消えた部屋でひとり呟く。右手に持った小瓶の中身だけが、暗がりの中でも鮮明に目に映った。

 どろりとした灰色の液体。妻と甥の血を混ぜ合わせて作った、怪物を生む呪いの血。


「エルサ、アルベルト。私は……」


 十八年前に亡くした妻は、ロニの共犯者だった。

 約束したのだ。教団を抜け出して復讐を願った彼女と、灰色の世界を創ることを誓い合った。

 白と黒。

 大人と子供。

 善人と悪人。

 多くの線で区切られるだけの世界に、とロニは価値を見出せない。

 だから、その色分けをなくすことにした。何もかも混ぜてしまえばいいと思った。騎士団から心臓を盗んだのも、姉夫婦を死に追いやったのも。すべては妻との約束を果たすためだった。


「カルマ。私にはまだお前が必要だ」


 小瓶を床に落とす。ぱりんと音を立て、硝子の器が砕け散った。

 白でも、黒でも、赤でもない歪な色が、パレットから垂れる濁った絵の具のように、ロニの足元を汚していた。

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