1-6 決意
〈灰色の子〉の肉体は、当時その悲劇に関わった者たちの子孫によって、四百年経ったいまでも厳重な封印が施されている。
切り分けられたからだは全部で六つ。左右の腕と脚。核となる頭と、心臓。少女の両親であるノワールとブランが頭を保有し、残りの五つを夫婦の協力者たちが引き取ったという。
その協力者の内の一人、黒十字騎士団の創立者であるガストン・オペラが、心臓の守護を務めることになったのだ。
「それが……」
自分の中にある。
ドクン、ドクンと。胸の奥で歪な旋律を刻む命が、ただの借り物であったという事実。
いったいいつから? わからない。ロニは何も教えてくれなかった。
当然だ。彼にとってカルマは、己の野望のために利用するべき〈
「カルマ。あなたの心臓のことは私たちがなんとかする。だからそんな顔をしないで」
うつむくカルマの肩に手を置き、幼子をあやすような口調でエリーが言う。
ぎゅ、と唇を引き結んだ。彼女に申し訳ないと思った。自分はロニの甥で、騎士団にとっては敵側の人間である。たとえ無自覚であったとしても、恐ろしい研究に加担していたことに変わりはない。
「あの、おれ……」
ごめんなさい、と言おうとして口を開いたときだった。
「待って」
途端にエリーの雰囲気が変わった。険しい表情を浮かべ、ばっと視線を上方に向けた少女にカルマは戸惑う。
「戻るわよ」
重々しい声を発したエリーに、ナナギがこくりと頷いた。
**
最初に目に飛び込んだのは、道の真ん中でへし折られた街路樹と、その枝を一心に齧る人型の
破壊された民家。大きな石が引き摺られたあとのように抉れた道。この町の本来の姿をほとんど知らないカルマでも、これが異様な状態であることは理解できる。
「ひどい……」
生まれて初めて、自分の足で屋敷の外に出た。そんな感慨にひたる暇はどこにもなかった。
エリーたちの背後で呆然と立ち尽くすカルマの視界を埋めるのは、無惨なまでに荒らされた知らない町の光景だった。
住民はいない。代わりに町を徘徊するのは、先刻カルマが地下室で見たものと同じ、歪な形をした灰色の化け物たちだ。
「ロニのやつ、町ごと
「逃げる時間を稼ぐためでしょう。三年前と同じ手口です。住民たちを避難させておいて正解でしたね」
苦虫を噛み潰したような顔で呟くエリーに、ナナギが冷静な口調で返す。
そのとき、道を塞いでいた一体の
「エリーちゃん!」
壁の中で化け物のからだが爆発した。内部で灰色の嵐が巻き起こり、閉じ込められた衝撃がわずかに周囲の空気を揺らす。
その後方に一人の少女が立っていた。エリーたちと同じ黒い
「リスティ。状況は?」
息を切らして駆けてきた少女に、エリーが尋ねる。緊迫した彼女の様子にカルマは息をのんだ。どうやら町中が大量の化け物に襲われているらしい。
「障壁の中にいる人たちは今のところ無事だよ。ダフニスさんが周辺の敵と戦ってる」
「壁は維持できる?」
「たぶん。でも長引くともたないかも。亜種とはいえ数が多過ぎるもの」
「わかったわ。ここは手分けして──」
「うわあぁっ!」
男の叫び声が聞こえた。
少女たちの後方。カルマとナナギから見て正面。半壊した民家の前で、長身の
「障壁を抜け出してきたんだ……!」
事態を悟ったリスティが声を上げた。緊張の糸が巡り、エリーがざっと右足を後ろに引く。
そんな彼女よりも先にその場を駆け出したのは、カルマだった。
「カルマくん!」
背後から自分を呼ぶナナギの声が聞こえたが、反応することはできなかった。
思考を放棄した身体が勝手に動く。あの人を助けたいと。本能に近い無謀な思いが、カルマの足を突き動かした。
「……っ!」
化け物と男の間にカルマが割り込んだ瞬間、細長い灰色の腕が空高く振り上げられた。
左半身を襲う衝撃。激しく叩き飛ばされたカルマの身体が、一回転して遠くの地面に打ちつけられる。
「う……」
痛みに呻きながら身体を起こし、片膝を地面につく。
視界を塞ぐ大きな影。眼前で
朦朧とする意識の中。ずきずきと疼く自身の左腕に、カルマは触れる。
(……血だ)
袖が破れ、その下に覗くぱっくりと割れた皮膚から、生ぬるい液体が溢れ出ていた。
闇よりも深い漆黒の血だった。人を殺す呪いの血。
なぜ、自分は黒血になったのだろう。かつて流れていた赤い血はどこにいったのか。
心臓は? 少女のものを奪ったかわりに、カルマ自身のものも奪われてしまったのか。
いや、ちがう。きっと最初から存在しないのだ。赤も、黒も、白も。カルマには何もない。何者にもなれやしない。
顔を上げ、自分に迫る化け物の姿をカルマは見つめた。
歪な形をした頭と、鋭い歯が覗く口。どろりとした目玉。乾き切った砂のような皮膚。
彼らはいったい何を考えているのだろう。町を壊し、人を襲う。傷つける。その行動に意思はあるのか。
──どうしてそんな目で見るの
化け物の背後に、少女の幻影が現れた。
灰色の血を持つ孤独な子供。恐ろしい怪物の生みの親。
──ともだちでしょう。わたしたちの
哀しげな少女の声が頭に響く。悲痛にすら感じられるその訴えに、そうか、とカルマは思った。
やはり友達だったのか。
「……ちがうよ」
ナナギと話したことがある。〈灰色の子〉が人を化け物の姿にしたのは、友達が欲しかったからではないかと。
それを友人とは呼ばないとナナギは言った。人と人が心を通わせるには相応の過程が要る。彼女は方法を誤ったのだと。
「友達じゃ、ない」
玩具は時として子供にとっての友達となり得る。けれど、その逆は絶対にない。
カルマは思った。友達じゃない。少なくとも、
──どうして?
化け物越しに責めるような視線をぶつけてくる少女に、ふるふると首を振る。
無惨に崩れた家。歩く場所をなくした道。踏み潰された庭の花と、折れた木々。全身を震わせて怯える男。左腕から流れる血。
こんなものを、過程とは言わない。
「友達は──」
目の前の化け物を睨みつける。
ドクン、と。内から鼓膜を破るような音を立て、心臓が脈を打った。
「こんなこと……しない!」
少女の目が見開かれる。灰色の化け物が、ぴたりとその動きをとめた。カルマの叫びに磔にされたかのようだった。
バキ、と。呆気に取られるカルマの前で、化け物から不穏な音が鳴り響いた。
長い手足が歪に曲がる。ぎょろりと飛び出る目玉。頭部にぼこりと窪みが生まれ、薄い背中が不自然な角度に仰け反る。
次の瞬間。そのからだの内側から閃光が迸った。
「え……」
破裂する風船のように。無造作に手足をもがれ、引き裂かれる人形のように。
四方に弾け飛んだ灰色の肉片が、乾いた砂の嵐となって周辺を覆い尽くす。
一体だけではなかった。町に蔓延るすべての化け物が、最初に消えた個体の後を追うように、次々と爆散していく。
「カルマ!」
呆然と座り込んだままのカルマのもとに、エリーたちが駆け寄ってきた。
はらりとなびく
「……おれ、は」
何も知らない、と掠れた声でカルマは言った。
叔父の目的も、自分が生きている意味もしらない。この身に他人の心臓が宿る理由も、黒血としての生き方もわからない。
ただ、ひとつだけ確信していることがある。知らないことは、だれかを傷つけていい理由にはならない。わからないなら、わかる努力をしなければならないのだ。
「叔父さんを、とめたいです」
自分のことを知りたい。この体に流れる血の意味を教えてほしい。
鳥籠の中で本を読むだけでは知り得ない真実があることを、カルマはもう知ってしまった。
「こんなの、いやだ。いやなんです。おれは叔父さんに、こんなふうに人を傷つけてほしくなんてない」
地面に両手をつき、カルマはうつむく。透明な雫がぽたりと落ちた。
「だから、お願いします。どうかおれを──」
勢いよく顔を上げる。ぐ、と地面を掻く拳を握りしめ、自分を見つめる少女たちに懇願するような気持ちで、カルマはその望みを口にした。
「おれをっ……騎士団に入れてください……!」
二人の少女が目を見開く。ナナギだけが表情を変えぬまま、月明かりに照らされた淡い金髪を風にさらしていた。
涙でぼやけた視界に光が差し込む。
これまで部屋の窓から眺めていた景色とはちがう、本物の月夜の空が、そこにあった。
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