第24話 姉に訪れる不穏な気配

「進学校を舐めてたわ」


 思わずそんな言葉が零れてしまう。


 2学期の中間テストの結果が張り出されている。私の学年順位は28番、学年の定員が320名という事を考えれば、何とか上位1割に入っている。そう考えればそれ程低い訳では無いのかもしれない。それでも、今まで常に学年で1番か2番にいた事を考えると、やはり厳しいとしか言いようがない。


「だね、まあ各中学校の成績優秀者を集めたんだから、楽だとは思っていなかったけどね。まさか35番とはなあ」


 私の横で、貼り出された順位表を見ている美穂がそう言いながら顔を顰めている。1学期の最高順位は二人揃って18番だった。そこから夏休みも含め、遊んでいた訳では無いのだが、まさか順位が下がるとは思ってもみなかった。


「トップとは合計点で28点差かあ。幾つか判らない問題がマジであったからなあ」


 28番も私を含め3名いる。それこそ、1点、2点の点差で順位が大きく上下動する。


「天才っているから質が悪いよね。こちとら必死に勉強して今の順位なのに」


「いや、それは他の人も私達に対して思ってるよ。300番とかの子だって中学時代は学年でトップとかの優等生だったんだよ」


 美穂の言う事は間違いないだろ。ここ金鯱に合格して誰もが喜んだだろうし、その後の楽しい高校生活を夢見たかもしれない。

 ただ、いざ入学してみると、周りは天才ばかりじゃ無いかと思えて来る。実際に一度聞いたり見たりした事は忘れないと言っている子もいる。こっちは何度も何度も問題を解いて、何とか身につけているというのに。それでも、此処からどう踏ん張るかで今後の成績も、未来も変わって行くのだろう。


「美穂がいてくれてよかった。居なかったら踏ん張れなかったかもね」


 自分のモチベーションをどう維持するのか。それが高校3年間の最大の課題になるだろう。前の人生を経験した事は、此処まで来ると殆ど助けになっていない。小春の事や、大人としての、親としての思考が出来る事は有利である。それでも、もし同じように頑張る美穂がいなければ、どこかで挫けていたかもしれない。


「それはお互いさまだって、私も日向が居なければ家や親族からの圧力で間違いなく折れてたね。日向と同じ中学を選択した自分を褒めてやりたい」


 美穂はそう言って笑っているが、美穂の御両親は娘が医学部へ進むのが当たり前だと思っている。そして、その事をまるで決定事項のように口にする。それが子供に対しどれほどの圧力となっているのか考えていない。


「よう、お二人さん。今回は調子が悪かったみたいだな」


 私達が順位表を見ていると、後ろから隣のクラスの野田君が話しかけて来る。


「学年順位1位おめでとう。真面目に凄いと思うわ」


「だね、ほぼ満点じゃん」


 それこそ、今回のテストで学年1位に輝いたのはこの野田君だ。ただ、私達が其処迄驚かないのは、この野田君が1学期の中間テストも期末テストも常に1番だったからに他ならない。


「ありがとう。どの道2年生になったら易々とトップは取れないだろうから今のうちはね。二人だって2年生から受験対象科目に絞るんだろ? そうなったら順位も上がって来るんじゃないか?」


「国立志望だから、結局やらないと駄目な教科は多いんだよね。それに、その条件は他の人も一緒だから」


「それでも、生物と世界史は捨てるつもりだから、それ以外は頑張るけどね」


 高校の成績もある程度は必要。ただ、それでも高校は大学へ進むために必要なステップでしかない。塾でもしつこいくらいに言われている為、私も美穂もそこは完全に割り切って勉強している。


「二人は関東の大学へ進むのか?」


「どうかな? 未だに名古屋から出た事が無いし、東京とかは人が多そうだから遠慮したいかな」


「そうだね。まあ第一志望は名古屋だよね」


 美穂と顔を見合わせて頷いていると、野田君が怪訝な表情をする。


「ん? 野田君どうしたの?」


「え? ああ、鈴木さんって神奈川の出身じゃ無いの?」


「え? 名古屋生まれの名古屋育ちだよ? 神奈川は行った事が無い。千葉はネズミーランドに遊びに行った事があるけど」


 野田君は、私の言葉に益々怪訝な表情をする。


「あれ? もしかして鈴木さんって前に長者番付に出てた人とは別人?」


 その言葉に何を思っていたのか思い当たった私と美穂は、揃って噴き出したのだった。


「あれね、それ中学でも良く揶揄われた。美穂とは小学校から一緒だから、小中と同じ学校だった子達は別人って知ってるよ。そもそも、そんなお金持ちだったら此処まで必死に国立狙ってないって。お金持ちは美穂かな? お医者さんの子供だから」


「まあ、日向の家はサラリーマンの共働きだから普通ね。そこと比べれば家は金持ちになるのかな? 両親共に医者だし、個人経営だからね」


 美穂が茶化すように言いながらも、野田君を見る視線は中々に冷たい。というか、完全に敵認定している。


「あ~~、そっか。ごめん、テレビで騒がれてて、同姓同名だから同じ人かと勘違いしてた。別に悪気は無かったんだ」


 そう言いながらも、ほぼ間違いなく野田君は私の家が金持ちだと思い込んで近づいて来たのだろう。そうで無ければ成績が良くて18番くらいの私達に、クラスも違うのに話しかけて来ないだろう。


 まあ、そこにどのような意図があるにせよ、決して良い感情は湧いてこないわね。


 その後、野田君は美穂と私の視線の冷たさを察したのか、早々に教室へと引き上げて行った。ただ、この会話は当たり前に掲示板前にいた多くの人が聞いている。そのお陰で、後になって似たような勘違いをしていた人達が少なからず居た事を知った。




 そんな日常を繰り返しながらも、特に大きな問題も発生する事が無く時間は過ぎて行く。はずだったのだけど、ある日夕食を食べていると母から唐突に声を掛けられた。


「日向、またちょっと投資を始めようと思うんだけど、貴方はどうする? 貴方には貯金の事とか話しちゃっているから、勝手に私が何かするのも違うかなって思って聞くんだけど」


「え? 投資って株の?」


 私の質問に母が頷く。実際に、忘れている訳では無いけど私名義で30億円以上のお金がある。それは、そもそも私が何かして得たお金ではない為、私に決定権があるとは思っていない。それでも、母が態々私に確認をしてくれるのは、私の意志を尊重してくれたのだろう。


「えっと、もう凄い額の貯金があるけど、まだ投資するの?」


「ええ、日向はインターネットって判る?」


 至極聞きなれた言葉に、私は思わず頷く。


「これからの世の中ってインターネットが色んな分野で主流になって行くと思うのよね。だから、幾つかの会社に分散投資してみようかと思って」


「インターネット、分散投資」


 遊び惚けていた前の人生だけど、それでもインターネットという言葉は当たり前に知識として知っている。そして、その後に世界的な大企業へと成長する会社の名前も。


「お母さん、ちなみにどこに投資するの?」


「NAIAGARAと、Orange、あとはクイックショップを考えているわ」


 NAIAGARAとOrangeの名前は流石の私も知っていた。ただ、クイックショップの名前は知らない為に首を傾げる。ただ、未だかつて株価なんか気にした事も無い人生だったから、それがどれくらい儲かるのか何て知る訳が無い。


「悪くは無いと思うんだけど、幾らくらい投資するの?」


「それぞれ2億円くらい考えているわ。でも、上がるまでに10年や20年くらいは掛かると見ているから、悩み処なのよね」


「ち、ちなみにお母さんはどれくらい儲かると思ってる?」


 淡々と話す母に若干気後れしながら、私は自分では想像がつかない為に母の予想を確認する。


「そうね、最低10倍、場合によっては20倍以上は上がって欲しいわね」


「20倍!」


 2億円の20倍で40億円、勿論全ての株が上がるとは思わない。それでも、一つの銘柄で20倍上がれば他が上がらなくてもまったく問題は無い。


「株って、そんなに儲かるの?」


「運が良ければかしら? もっとも、何処まで未来を思い描けるかの勝負? それに、株は長期での利益を考えて、短期で儲けようと思わなければ其処迄損はしないと思うの。だって、買った時の価格より安ければ売らなければ良いだけよね?」


 そう笑う母は、損をするとは欠片も思っていないようだ。


「そんな単純な話じゃないような気がするんだけど」


 ただ、そもそも私は株に関しては素人だし、投資に回してもまだ20億円以上のお金が残る。その為、今回の件は母に一任することにした。


 そして、そんな事もあったかなと忘れた頃、今度は学校で不穏な噂が流れ始める。私や美穂の耳にその噂が入ったのは噂がある程度広まってからだった。


「え? 私が夜に遊び歩いている?」


「う~ん、というか、何かそれ以上? 年齢隠して夜のお店で働いてるらしいよ?」


 美穂はニヤニヤ笑っているけど、その噂って結構質が悪いな。そもそも、コミュニティーを作っていない私だからこそ、面白おかしく言われているのかもしれない。 


「はあ、遊ぶだけの時間なんて欠片も無いんだけど? っていうか、何で一緒に行動している美穂は話題になってないの?」


「さあ? 何でだろ? ほら、日向ってちょっと垢抜けてるじゃん。だから誰かが嫉妬したのかも?」


「これくらい今どきでしょ? そもそも、その恩恵を受けてる美穂が蚊帳の外なのが納得いかない」


 伊達に前の人生でファッションだ何だと遊んでいた訳じゃ無い。その御蔭で今もお金を掛けないながらも美容には気をつけているし、学校の制服も可愛く着こなしている自信はある。

 それどころか、時代を先取りしているとも言えるかもしれない。

 ただ、それは私が色々と口出ししている美穂も同様だ。


「そもそも、美穂はどこでその話を聞いたの?」


「同じ塾にいる清水君が教えてくれた。清水君も私達が目一杯塾にいるの知ってるから、こんな噂が流れてるから気をつけてって」


「え? 何で美穂に言って私に言わないかなあ」


 そこはちょっと不満だけど、まあ清水君は大人しいから仕方が無いか。何故か私を苦手にしているみたいだし。そこはとりあえず置いとくとして、噂が流れる原因を考える。


 私と美穂は、ほぼ毎日一緒に行動している。それこそ、学校が終わってそのまま塾へ行き、帰りは美穂と一緒に地下鉄に乗り、途中の駅までは一緒だ。そこからは勿論分かれるけど、そもそも塾を出るのが自習室が閉まる10時なので、遊んでいる余裕なんて欠片も無い。


「塾の入退室記録を見れば誤解は解けるかもだけど、地下鉄に乗ってる私を見て誰かが勘違いした?」


「まあ、栄付近を通るからね。ただ、遊んでるようには見えないと思うけど、めっちゃくちゃ悪意を感じるわこれ」


「遊んでて今の成績を維持できる訳ないって普通に考えたら判りそうなものだけど」


 そう言って苦笑を浮かべていたんだけど、驚いた事にその二日後に何故か母が学校に呼び出される。


「それで? うちの子が遊んでいるっていう証拠があるのでしょうか? まさかその様な悪意しかない噂だけで呼び出された何てありませんよね?」


 母の表情は、まさに目が笑っていない状態だ。そもそも、なぜ今回呼び出しへと繋がったのか、私もまったく理解できていない。


「私どもも噂だけで動いたわけでは無く、ご父兄から通報を受ければ流石に確認しない訳にはいかなくてですね」


 そう言って生活指導がテーブルの上に置いたのは、一通の手紙と私が制服で歩いている写真だった。


「これは?」


 それこそ、恐らく塾から家へ帰っている途中だ。ご丁寧に駅構内の時計迄写真には写っている。時計の針は10時半を示していた。ただ、恐らく学校側が問題にしているのは、その写真に写っている私以外の人物だろう。


「遅くまで生徒がこの様に遊んでいるのはどうなのだと」


 そう言って此方の表情を窺う教師に対し、私は塾の入退室カードを取り出してその名前を見せる。


「私が今通っているのは駅前の○○塾です。私以外にもこの学校から複数の生徒が通っており、ほぼ同時刻に地下鉄に乗って帰宅しています。なぜ私だけ追及されるのでしょうか? これは塾の入退室カードで、何時何分に塾に入り、何時何分に帰宅したかが記録されています。それと、この男性二人は一昨日駅構内で声を掛けて来た見ず知らずの人です」


「見ず知らずの人だという証明は可能ですか?」


 写真に写っている私の表情を見れば、その相手が明らかに私と親しいかは判りそうなものだ。しかし、この教師はまるで私が犯罪者かのように問い詰めて来る。


「失礼ですが、この写真を先生に渡された方は判っているのですか? その方に聞けば判ると思うのですが。それに、この写真は明らかに意図的で悪意を感じます。そもそも、娘のこの表情を見て親しい相手に見えて?」


 母の言葉に私も頷く。ただ、この写真は実際は匿名で手紙と共に送られてきたものだと言う。


「成程、それで? 私どもは警察に訴えれば良いのでしょうか?」


「え? 警察ですか?」


 母から飛び出した言葉に、生活指導の教師が驚きを顕わにする。それに対し母は淡々と会話を進めて行く。


「ええ、名誉棄損罪で訴えれば、今であれば駅構内の防犯カメラの映像なども確認できますわね。あと、失礼ですがその手紙、それも証拠になりますから、ビニール袋などに入れて先生が大事に保管しておいてくださいね?」


「い、いえ、何もそこまでしなくても。私どもは噂の真偽が判ればそれで良いので」


 警察と言う言葉に一気に尻込みする教師を余所に、母は淡々と話を進めて行く。


「娘がこの様に被害を受けています。今後、放置して手遅れになる可能性だってあります。丁度犯人も色々と証拠を残してくれてますし、丁度良い機会だと思いますわ。ご存知です? 本人の了承を得ないで撮影する事は盗撮と言って、罪になるんですのよ?」


「あ、いえ、そうですが」


 何やらまごつく教師に対し、母は早々に席から立ち上がった。


「それでは、これから警察へ被害届を出さないとなりませんから。ああ、その写真と手紙を一応写真に撮らせてください」


 そう言って母は有無を言わせず携帯電話についているカメラで写真と手紙を撮影した。その後、本当に警察署へと向かう。


「お母さん、本当に警察に届けるの?」


「ええ、今回の事はちょっと悪意が強すぎる気がするの。放置したら駄目だって気がしてならないの。まあ、勘だけどね。あと、あの先生が言ってた噂と言うのも教えなさいね」


 そう告げる母の表情は真剣そのものだった。そして、果たしてこんな事を警察がちゃんと受理してくれるか心配していた私だったが、想像以上にスムーズに警察署では受け付けてくれた。


 その事に、私のみならず母も若干首を傾げるのだった。

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