29 時計マニア




築ノ宮が激怒したあの時から半年ほど経った頃だ。

お好み屋モンちゃんの暖簾をモンちゃんが下げていた。

昼時が過ぎ、夕方まで店はお休みだ。


その時、ふっとモンちゃんの後ろに人の気配がする。

彼女はそれに気が付き振り向いた。


「お、つきちゃんじゃないか。」


そこには築ノ宮が立っていた。


「久し振りだねぇ、どうしてた。」

「色々と忙しくて。それでお店は休憩ですか。」


築ノ宮はモンちゃんが手に持った暖簾を見た。


「そうだけど良いよ。なんか食うかい?」


築ノ宮がにっこりと笑う。

二人は店内に入った。




築ノ宮はカウンターに座り周りを見渡した。

店内はあの時と全然変わっていなかった。


「何にする?」

「じゃあミックスで。」

「あいよ。」


モンちゃんが手際よく焼き始める。


「モンちゃん、ビール飲みませんか?」

「良いけど歩きか?」

「そうですよ。」


と築ノ宮が言うとモンちゃんがご機嫌な様子で

ビールを取り出した。

コップを出し築ノ宮に持たせてそれを注いだ。


「モンちゃんも飲みますよね。」


と築ノ宮がビールを向ける。


「ありがたいねえ。」


と彼女もグラスを持った。


「いやー、旨いねえ。」


それを見て築ノ宮もビールを飲んだ。

そしてお好みが焼き上がる。


「あっ、」


モンちゃんが声を上げた。


「ごめん、二つ焼いちゃったよ。」


築ノ宮はそれを最初から見ていた。


「一つあたしが食べるよ、

うっかりしたよ、呆けちまったのかな?」

「いえ、全然構いません。

一つ持ち帰るので包んでもらえますか?」

「それは構わないけど……、」


モンちゃんは首をひねっている。


「ところでモンちゃんは時計マニアなんですよね。」

「えっ、なんで知ってるんだい。」

「秘密情報ですよ。」


と築ノ宮が自分の腕時計を外した。


「見ますか?」


と彼が彼女に差し出すとモンちゃんの顔が明るくなる。


「良いのかい?ヴァシュロンだろ?」

「お好みを食べている間預かって下さい。」

「お好み代か?」

「さすがにそれはダメですよ。」


築ノ宮が笑うとモンちゃんが時計を手に取り

細かい所まで見始めた。


「いやあ、凄い時計だね。本当に綺麗だ。

カタログでしか見た事ないよ。

でもあんた、背広とかこんな高いものつけていて

気を遣って大変じゃないかい?」

「仕事柄そう言う事を気にする方とお会いする機会が多いので、

ある意味必要経費みたいなものです。」

「そうかい、はったりをかまさなきゃならんのだな。

お金持ちも色々と気を使うな。」

「そうなんですよ、お金があるから楽でもないんですよ。

休みが欲しいなあ。」

「貧乏暇なしと言うが金持ちも暇なしだな。」


と二人は笑った。


「築ちゃん、時計ありがとう。良いもん見たよ。」

「そうですか、楽しんでもらえて良かったです。」


築ノ宮が時計を彼女から受け取った。


やがて食事が終わり築ノ宮が代金を払うと

持ち帰りのお好みを持った。

そして立ち上がる。


「そう言えばモンちゃんにプレゼントがあるんですよ。」

「プレゼント?」


築ノ宮が内ポケットから細長い包みを出した。


「色々とお世話になりました。

モンちゃんは覚えていたんですね。」


と築ノ宮は笑いかけてカウンターにそれを置いた。


「さようなら。お元気で。」


と言うと彼は外に出て行った。


モンちゃんはあっけに取られて彼を見た。

そして慌ててプレゼントを手に持ち外に出た。

だがそこにはもう築ノ宮の姿はなかった。


「さよならって、なんか二度と来ないみたいに……、」


と彼女は呟きプレゼントを開けた。


「これは……。」


そこにはハミルトンの女性用の腕時計があった。

シンプルで機能的な時計だ。


「築ちゃん……。」


モンちゃんはしばらくそこに立っていた。


そして築ノ宮はそれを近くで見ていた。

彼女からは見えない様にまじないをかけていたのだ。

彼はモンちゃんとその店をしばらく眺めていた。


やがてモンちゃんが店内に入る。

それを築ノ宮は見て呟いた。


「本当にありがとうございました。

またここには来たいけどやっぱり辛いです。

二人で来た時のままだから。」


彼は歩き出し、少し離れた所に停まっていた車に乗り込んだ。


「すみません、お待たせしました。」

「構いませんよ、渡辺さんから次の行先の連絡が来たので

そちらに向かいます。」


運転手がそう言うと築ノ宮が持っている袋を見た。


「良い匂いですね。」

「お好みですよ。そこのお店のものです。」


と築ノ宮がモンちゃんの方向を指した。


「築ノ宮様はご存知のお店なのですか?」

「何度か行きましたよ。

庶民的な店ですが味はかなりのものです。

一度行ってみてください。」


彼は運転手に袋を差し出した。


「差し上げます。」

「えっ、良いんですか?」

「私はさっき食べて来たんですよ。」

「嬉しいな、ありがとうございます。」


と言うと彼はにこにことそれを受け取った。


「では参ります。」

「よろしくお願いします。」


車が静かに動き出す。


あれから色々なものが彼から去って行った。


マンションにあった何年も集めていたカプセルトイも全て消えた。

波留が暇に飽かせて自分が好きなように並べ替えていたからだ。

本当に彼女に関するものが歪んだブローチ以外消えていた。


戸籍は残っていたが死亡届を出した。

それももう無いのだ。


モールに行ってあの警備員とも顔を合わせたが、

お互いに頭は下げたが彼は不思議そうな顔をした。

波留の憶えが無いのだろう。

モールのあの小部屋には別の占い師が入っていた。


だがモンちゃんは違った。


無意識で二つお好み焼きを焼いたのだ。

築ノ宮はそれを見て驚き、切なくなった。


そしてそれだけでも救われた気がした。


築ノ宮は自分の内ポケットを服の上から触れた。

そこにはあの形が変わってしまったブローチが入っている。

それは絶対に手放さないだろう。


「築ノ宮様、着きました。」

「ありがとうございます。」


ビルの入り口には由美子が待っていた。

彼女は車を見ると近寄って来る。

扉を開けて外に出ると彼女が妙な顔をした。


「お好み焼きですか?」

「えっ、分かりますか?」

「すごく臭いますよ。」


由美子は慌てて車から消臭剤を取り出し

築ノ宮にかけた。


「それにアルコールですか?」

「それも分かるんですか?」

「分かりますよ。」


と彼女は口臭ケアグッズを取り出し築ノ宮に渡した。


「やっぱり渡辺さんは有能な秘書だ。」

「秘書としての気配りです。それで、」


彼女はちらりと車内を見た。


「助手席のあれ、なんですか。」

「お好み焼きですよ。美味しいですよ。」


彼女が運転手に言う。


「半分残して。お昼食べてないの。」


築ノ宮が驚く。


「すみません、私だけ食べてしまって。」

「そうですよ、食べ物の恨みは怖いですよ。

早く仕事を済ませましょう。」

「分かりました。

あの、半分残しておいてくださいね。」


築ノ宮が焦って運転手に言うと彼はこくこくと頷いた。

そして築ノ宮と由美子は急いでビルに入って行った。








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