27 少年




店先に残された築ノ宮は一瞬どうしようかと迷った。


由美子が作ってくれた時間で彼は初めて涙を流した。

何かが少し溶けた気がするがまだ心が冷たい気がした。

悲しい気持ちで固まっている感じだ。


店の前の歩道で少し立っていると、

彼の前を小学6年生ぐらいだろうか

少年が通り過ぎてヒナトリ・アンティークの窓から中を覗いた。

彼はその後ろ姿を見た。


ひょろりとした少年だ。片手には財布を持っている。

彼は何度も店の中を迷ったように見ていた。


「どうかされましたか?」


築ノ宮が彼に声をかけると少年はびっくりした顔で振り向いた。


「あの……、」


店に用があるのは確かだ。

緊張した顔が可愛らしい。

少しばかり築ノ宮の口元が緩んだ。


「私はこの店の人と知り合いなのです。

御用があればご一緒にいかがですか。」


少年は少し迷ったが頷いた。




ヒナトリ・アンティークには客がいた。

ヒナトリと更紗がそれぞれ相手をしている。


店の扉が開く。


「いらっしゃいませ。」


ヒナトリがそこを見ると少年が立っていた。

そしてその後ろに築ノ宮がいる。

ヒナトリは由美子から築ノ宮が来ることを聞かされていた。

そしてどうして来るかの理由も。

だが連れがいる事は知らなかった。


「お連れの方ですか?」

「いや、違うんだがこの子はこの店に用事があるようで……。」


築ノ宮がヒナトリに言うと店内の客も少年を見た。

少年は気後れしたように築ノ宮を見上げると、

築ノ宮は彼に優しく笑いかけた。


「大丈夫ですよ。ご用は?」


ごくりと少年がつばを飲み込むと決心したように言った。


「お母さんにプレゼントをしたいのです。」


はっと皆が息を飲んだ。

そしてヒナトリが優しく笑った。


「はい、お伺いいたしましょう。」


そして築ノ宮を見た。


「申し訳ないがこの若いお客様は彬史がお相手してくれるか?」

「構わないよ。さあどうぞこちらへ。

お話を伺いましょう。」


築ノ宮が席へと少年を誘った。


ヒナトリは彼が相手をしていた客の元に戻る。

更紗が少年にお茶を入れるのだろう。

彼女の相手に断りを入れると席を立った。


「えらく可愛いお客様だな。」


ヒナトリの前の中年のお客が言った。


「そうですね、珍しいお客様ですね。

すみませんが数分お時間を頂けますか?」

「どうぞ。」


ヒナトリが客に断ると奥に入りすぐに

ジュエリーボックスを持って築ノ宮と少年の席にやって来た。

ヒナトリは少年に頭を下げた。


「いらっしゃいませ。お母様へのプレゼントとの事ですが、

ご予算は?」


少年はおずおずと財布の中身見せた。


「あの、二千円……。」


中は500円玉や100円玉がいくつか入っていた。

彼の顔は恥ずかしいのか真っ赤になった。

そうだろう。

入ったはいいがショーウィンドウには高級品ばかり並んでいる。

あまりにも場違いなのを感じているのかもしれない。

だがヒナトリはジュエリーボックスを開けた。


「彬史、この前万年青がこれを持って来たんだ。

多分このお客様のためだと思う。」


その中には土台が合金の小さな石が付いたアクセサリーがいくつか入っていた。

デザインは綺麗だが正直なところ高いものではないのは分かる。

ただ小さな石は全て本物のようだった。

築ノ宮はそれらを見て言った。


「多分ご予算で購入できると思いますよ。」


それを聞いて少年はほっとした顔になった。

ヒナトリはそれを見て微笑むと席に戻った。


「お待たせしました。」

「構わんよ。

しかし、お母さんに買ってあげるとはなかなかいい話じゃないか。

助けてやろうかな。」


ヒナトリが笑いながら首を振った。


「いえ、あの子は自分が貯めたお金を持って来たようですよ。

それから代金を頂く方があの子の為でしょうね。」


客がふふと笑う。


「そうだな、男のプライドがあるよな。」

「そうですね。」

「予算はいくらだって?」

「二千円だそうです。」


客が驚いた顔をした。


「君の所はそのような価格から用意してあるのかね。」


ヒナトリがにやりと笑う。


「はい。」


更紗が少年の元にお茶を持って来る。

相手が子どもでも大人と同じ対応だ。

そして更紗も客の元に戻った。


少年は築ノ宮の前でジュエリーボックスを見ていた。

築ノ宮は優しい顔で彼を見た。


ジュエリーボックスの中にはローズクォーツのペンダントトップと

水晶のブローチ、ガーネットの指輪があった。

全て手ごろな価格の石だ。


「お母様は何色がお好きですか。」


少年が思い出すように言った。


「ピンクかなあ。」

「ではこのローズクォーツはどうでしょうか。

可愛らしいピンクですよ。」

「あの、これって水晶?この透明なのが水晶だよね?」


少年はブローチを指さした。

彼には少しばかり知識があるようだった。


「そうですよ、でもローズクォーツも紅水晶と言われます。」

「このピンクも水晶なんだ。」

「そうですね。」


彼はローズクォーツのペンダントトップを見た。


「お母さんの結婚記念日がもうすぐなんです。それで水晶を贈りたくて。」

「ご結婚して15年目ですか?」

「うん、水晶婚って言うんでしょ?」

「そうですよ、よくご存じでしたね。」


少年がにっこりと笑う。


「じゃあ、お父様もお母様に何か差し上げるのでしょうか?」


それを聞いて少年の顔が少し曇った。


「あの、お父さんは1年前に事故で死んじゃって。」


築ノ宮がはっとする。


「申し訳ありません、そのような事情とは……。」

「だってお兄さんは知らないから。」


少し大人びた顔で少年は笑った。


「本当に申し訳ありませんでした。

ならばお父様の代わりにお贈りになるのですか?」

「うん。」


少年は店の中を見た。


「お父さんがいる時にこの店の前を通ると、

お母さんはいつも一度はここで買い物をしたいなと言ってたんだ。

今は凄く忙しくなっちゃって散歩も出来ないから……。」


多分突然に夫が亡くなったのだろう。

それから一年程しか経っていないようだ。

忙しい様も想像出来る。


「ならばこのローズクォーツのペンダントトップはいかがでしょうか。

この石は愛を表します。

私はそれがあなたの心を表している気がします。」


築ノ宮がにっこりと笑った。

そしてローズクォーツの色を見る。


彼が心から愛したあの波留に贈った石と同じものだ。

あの彼女の髪。


優しく柔らかな美しい桜色だ。


それと同じ色の石をこの少年は母親に贈ろうとしている。

彼も大事な人を亡くしたのだ。

そしてその人の代わりに母親に宝石を贈ろうとしている。


築ノ宮の心が緩む。

優しい何かを彼は感じた。

まるで波留が自分のそばにいるようだった。


築ノ宮は少年にペンダントトップを渡した。

彼はそれを手に取り色々と見た。

土台は合金だが流れるようなデザインで、

小さなローズクォーツが輝いている。


「これにします。」


彼は笑いながら築ノ宮にそれを渡した。


「はい、ありがとうございます。

きっとこれはあなた達に幸せを運びますよ。」


その時、ヒナトリと話をしていた客が少年のそばに来た。


「君も決まったのかね?」

「はい。」

「どれにしたんだい?」


築ノ宮は少年が選んだペンダントトップを見せた。

男性がため息をつく。


「これは良いデザインだ。美しいね。」


彼は財布を出すと築ノ宮を見た。


「それは君が買うがギフト代は奢らせてくれるかな?」


そして更紗が相手をしていた客もやって来る。


「私も半分出させていただける?」


品の良さそうな老女だ。


「私がお母さんならすごく嬉しいわよ。」

「あの……、」


少年が頭を下げた。


「ありがとうございます。」


築ノ宮がにこりと笑った。


「ほら、最初の幸せですね。」


二人の客はにこにこしながら店を出て行った。

そしてアクセサリーは綺麗に包装されて少年に渡された。


「ありがとうございました。」


扉の前で少年が頭を下げた。

ヒナトリが彼を見た。


「この店は手頃な価格のものもありますから、

お暇でしたら覗いて下さいとお母様にお伝えください。

見るだけでも歓迎ですよ。

お待ちしています。」


少年はにっこりと笑って店を出た。

その足取りは軽かった。


ヒナトリは横に立っている築ノ宮を見た。


「悪かったな、手伝ってもらって。」

「いや、いいよ。むしろ良かった。」


築ノ宮が少し笑う。

それを見てヒナトリはほっとした。


由美子から築ノ宮の様子がおかしいと話を聞いていた。

それはそうだろう。

彼の大事な人がいなくなってしまったからだ。


そして先日万年青が持って来たジュエリーケースだ。


彼女が送って来る物は高級品ばかりだ。

そのケースに入っているようないわゆる廉価品は見た事が無かった。

だが彼女のやる事には必ず意味がある。

それが今現実になった。


あの少年と築ノ宮の為だったのだ。


「1750円か。」


ヒナトリが言った。


「良い価格だろ。」


値段を決めたのは築ノ宮だ。


「たまたまいらしたお客様がパッケージ代を

出してくれたのには驚いたが。」

「そうだな。」


築ノ宮が外を見た。


「皆さん、優しいですよ。」


小さな呟きだ。

ヒナトリが築ノ宮をちらと見た。


「なあ、今日うちで飯食ってけよ。」

「夕飯か。更紗さんのご飯は嬉しいが、

突然だが良いのか?」

「良いよ、足らなきゃと言うか足らない事はまずないぞ。

俺が大食いだからな。いつも溢れる程おかずがある。」

「更紗さんも大変だ。

更紗さんが食べている暇はあるのか?」


何となくいつもの築ノ宮の口調になって来た。

ヒナトリは少し嬉しくなった。


「あるよ、俺も作る事があるし。

そう言えば万年青が送って来たものがある。

アメリカの大富豪の何かを手に入れたらしい。

富豪とかお前の方が詳しいだろう。」

「まあね。」

「来歴のコピーも入ってるから、それを見ながら飲もうぜ。」


ヒナトリが築ノ宮の背中をばしりと叩いて

店先のシャッターを下ろしに行った。


築ノ宮がその後ろ姿を見て店の奥に入って行くと、

台所からおかずの匂いがする。


宝飾品を扱っている店なのに食べ物の香りが漂うのは

少しばかり変だがそれがこのヒナトリ・アンティークだ。

彼にとってはほっとする場所だ。

そして今日も傷ついた心が少しだけ柔らかくなった気がする。


だが本当に癒される時は来るのだろうか。

築ノ宮は思う。

それはずっと抱えたまま自分は生きて行くのだろうと。


波留と過ごした時間。

とても短いものだった。

だがその思いは今でも忘れてはいない。

あのような気持ちを持ったのは生まれて初めてだった。


彼女の笑い顔が目に浮かぶ。

優しい微笑みだ。


絶対に忘れない。

だが彼女は絶対に戻らないのだ。

それは今でも信じられないが、それは確かな現実なのだ。


心はまだ空っぽだ。

それでも自分にはやらなくてはいけない事がある。


波留のような哀れな人を作ってはいけない。

そしてそれを成す力は自分にはあるのだ。


強くあらねばならない。

宿命なのだ。


それでも今だけはヒナトリと更紗に甘えようと彼は思った。

これからも道を強く歩き続けるために。


「波留……。」


彼は呟いた。






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